カット4. 生徒指導室
『ふぁいおー、ふぁいおー』
脱力しきった溌剌ない声が窓の外から漏れてくる。
陸上部かサッカー部か。まったく、くだらないことに時間をかける連中だ。
部活で汗水垂らしながら努力して、得られるものといったら数試合の大会出場権利と友情(笑)。どう考えても失うものの方が多い。
練習に奪われる時間があれば、家でゆっくり休息がとれるし、バイトをすれば同じ運動なのに対価を得られる。友達なんて部活に入らなくとも安易に手に入るし、部活動で大した成績を出せないならやらない方が断然お得だ。
自分にとって不利益でしかないことを進んでやれる神経が分からない。清濁併せ吞んでいるような善人しかいないのか?
そんな鬱陶しい声に加えて、煌々とした光が隔てているはずのガラスを通り抜けてくる。
それがやけに目に染みて、カーテンを閉めようとしたところで声が響いた。
「分かってるのか柳」
やけにテンションの低い、呆れたような男性の声。
視線を真正面に向ければ、こちらを凝視している三十代の男性教師がいた。
「分かってますって松本先生」
「何が分かってるのか、言ってみろ」
「……えー、課題を提出してないとか?」
はぁー、と思いっきり溜息を吐かれた。どころか、頭まで抑えている。
まるで俺が悪いと言いただな、おい。
お生憎さま、俺がここにいる理由すら把握していない。
「というか、なんで俺は呼ばれてるんすか? 昼飯食べたいんすけど」
「そこからなのか、お前は。あと、俺だって昼飯は食べたいわ。なんでお前の指導で昼休憩を削らないといけないんだ」
またも嘆息を吐かれる。
「じゃあ、指導したってことにしてお開きにしましょうよ。それならウィンウィンじゃないですか」
昼休みの現在。俺と坂本先生は、二人仲良く生徒指導室にいた。
理由は分からずとも、生徒指導室と言うことは、俺が何かやらかしたということである。
長居は無用、というか不要なので、ここを抜け出すべく一つの提案をする。
昼飯を食べるために帰りたい俺と昼休憩を削りたくない先生。完全なる利害の一致だと伝える。
幸い、この生徒指導室にはこの二人しかいない。互いに閉口していれば、バレる恐れもないのだ。
そもそもの話、呼び出しを食らった俺ではあるが、まったく持って用件が何なのか分からない。こちとら、割と真面目に学校生活を送っていると自負しているからな。
携帯ゲーム機は持ちこんでないし、髪も染めてないし(染めてるのは先生の方だし)、不純・清純異性交遊もしてないし(あえて彼女をつくっていないし)、勉強の方は真面目に受けてるし、何なら成績は学年でも上位の方だ。
自分で言うのもなんだが、そこそこ高スペックだと思う。
なのに、何故生徒指導室なる場所に呼び出されないといけないのか、何故彼女が出来ないのか、甚だ疑問である。
俺の真摯な眼差しに気づいたが、
「そうしたいのはやまやまなんだがな? 流石にこれはやばいだろ」
提案にあぐねる様子もなく、先生はテーブルに置かれた一枚の紙を裏返してみせた。
表面は理科のテストの答案用紙。九十四点で学年六位と好成績を残している俺のだ。何もやばくない。
そして裏面。片面印刷なので案の定白紙……ではなく、びっしりと文字が書き込まれていた。いた、と言っても自分が書いたので、特に思うことは無いが。
「これがどうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもない。これが、お前が呼ばれた理由であり、俺が理科の先生から押し付けられた難題だ」
びしっと突きつけられる裏面。
そこに書かれているのは、理科の計算のメモ、ではなく、『異世界への行き方』と書かれた考察文だった。
「これのどこが問題なんすか?」
「全部に決まってんだろ! なんだよ『異世界への行き方』って」
タイトルが読めないのだろうか。文字通り、異世界への行き方についての考察に決まっている。
取り敢えず、呼び出しの理由は分かった。が、俺が悪いとは一切思わない。
なので、反論するべく口を尖らせた。
「いや、仮にその文章が悪かったとしても、テストの裏面は自由記述欄ですよね?」
「自由記述欄ではないけどな?」
「でも、採点対象外じゃないですか」
「……まぁ、そうだな」
「だったら、そこになにを書いてあっても、呼び出される筋合いはなくないですか?」
「それはそうだけどさぁ」
至極まっとうな正論をお見舞いしてやった。
大体、裏面にそれだけの文章を書けるってことは、それだけテストが簡単だったということ。もっと難しい問題にしておけば、俺が余白に暇を潰す必要が無かったのではないのか。
「谷村先生が心配していたぞ? 大丈夫かって」
「大丈夫に決まってるじゃないですか。テストの点数学年六位ですよ? それに、異世界への行き方を考えてただけなんですから」
何を心配する必要があるのだ。
「普通そんなこと考えるか?」
まるで俺の思考回路が分からない、と言いたげな声音。
「そりゃ考えますよ。先生だって、気になったことの一つや二つ、真面目に考えようと思うことだってあるでしょ?」
「まぁ、あるけどさ。それにしても異世界って……。そんなもの無いだろ?」
呆れるような物言い。
「危なかったですね先生。もう少しで、温厚な性格で知られる俺の堪忍袋が切断されるところでしたよ」
「怖いなっ、おい!」
「人には深く聞かない方が良いこともありますからね」
にこやかに笑みを浮かべながら、しげしげと頷く。
そして、如何にテスト中に考えていたことが高尚なことなのかを、ご高説してやる。
「賢者の石を探し求めた錬金術師然り、霊界との通信を試みたエジソン然り、無いものに情熱を捧げた人はこの世界には幾万といるんですよ? 大体、「無い」と証明することは物凄く難しいんです。無いと言い切れないからこそ、世の中の研究者たちは研究を重ねているんじゃないんですか? 先生は、彼らのことを嘲笑うと言いたいんですか?」
詰問するように言葉を畳みかける。
あり得ないことがあり得るようになったからこそ、今の社会があるといっても過言じゃない。
こんなロマンあることを真面目に考えているだけなのに、何故指導されなきゃいけないのだ。
俺の紳士たる思いが伝わったのか、
「いや、そういうわけじゃねーけどよー」
面倒げな声音が返ってきた。これ、まったく伝わってないな。
ただ、意味は伝わっていなくとも、熱意は伝わったらしい。
「まぁー、もういいか。谷村先生には適当に言っておくから、お前もう戻っていいぞ」
先生は俺に退出を促した。
このタイミングでそう言われると、まるで追及するのが面倒くさくなったとか、昼休憩がもっと削られそうだからとか、もう諦めたように聞こえるのは気のせいか。
「あざマース」
中身が空っぽの感謝を述べて、俺は立ち上がる。
「俺に感謝しろよ」
と先生は言うが、
「いや、これ以上昼休憩を削られたくないからでしょ」
「バレたか」
胸中くらいお見通しだ。
けれど、次の言葉は予想できなかった。
「まぁ、お前は優秀だからはなから心配してねーよ」
「……あざます」
照れんなよ、と笑われた。
さりげないフォローが女子から好感がある、と聞いたことがあったがこれか。
「……あと、ちゃんと反省した感じで部屋出ろよ? 外に誰が居るか分かんねーからな」
が、そんなかっこ悪い言葉を付け加えてきたので、どうやら気のせいだったらしい。
「すみませんでしたー」
俺は笑顔で指導室を出た。
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