第30話 生前の約束を


「……違う……」

「シャルルちゃん?」


「ダメ……このままじゃ……――すぐに止めないと!!」

「空木? 止めるって、もしかして、この試合をか?」


 木野の質問に答えず、シャルルは出入口の扉に手をかけるが……、

 当然、鍵がかかっているため、開くことはない。


「あ、開かない……ッ、ねえっ、どうしたら二人のところにいけるの!?」


「無理ですよ。早期決着でなければ、九十分はこの部屋から出ることはできません。トイレでしたら申告してくれればお連れしますけど……?」


 シャルルの異変を感じた天死がすぐさま現れた。壁、天井を関係なく移動できる彼女は、多少席を外していたところで、異変を感じ取ればすぐに戻ってこれるようだ。

 移動というより、もしかしたら瞬間移動でもしているのかもしれないが。


「このままじゃ、野上ちゃんが……っ!」


 そうか? と口を挟んだのは聖良だ。


「見たところ、野上がやられるようには見えねえが……、優勢なのは野上だぞ? どちらかと言えば、危ねえのは榎本の方だろ」


「……誘ってるの。野上ちゃんは自分を殺すように、挑発してるから……! このままじゃ大喧嘩をした二人は、本気の殺し合いをしちゃうよ!!」


「いいと思いますけどね……これこそがデスゲームですよ」


 天死ならそう言うだろう。

 だからシャルルは、近くにいた、最も頼りになる人物に視線を向けた。


「――モカちゃん!!」


「私に頼るの? うーん……どうにかしてあげたいけど、難しいわねえ……。たぶん、もう間に合わないわ……」


 黒板に映されている映像には、二人の決着の、決定的な瞬間が記録されて……。


「空木っ、見るな!!」


「見るなって、木野……お前な……。過保護過ぎるだろ。こいつはもう、浦川の死を見てんだ……、矢藤の死体も見てる――見せないようにする必要はねえだろ」


「それでもだ……見せたくない光景くらい、あるだろ……ッ」

「あ――」


 心臓一突き。


 包丁が、深々と――野上果澄の胸に、突き立っていた。



「――決着、ですね。心臓一突き……まあ、野上様が少し、手を貸した感じもしましたが、それはそれで、ルール違反ではありませんから……気にしないでおきましょう。

 確実に、野上様はこれで絶命していますので、勝者は榎本様となります――」


 淡々とした天死の結果発表に、教室内は静寂に包まれている。……やはり三人目とは言え、まだ慣れないのだろう……慣れるべきではないのだけれど。


 デスゲーム中に、そんなことは言っていられない。

 自分の身を守るためなら、他者を蹴落とす覚悟をしていなければ、話にならないのが今の状況である。


「なん、で……野上ちゃんは……」


「フン、死者に触発されたか……、死んでも尚、あいつは影響を与えるってことだろ。良し悪しはともかくな――……分からないなら聞けばいいだろ。オレは野上の魂を拾ってくるが……空木もついてくるか?」


「…………いく」


 胸を手で押さえ、苦しみを堪えているシャルルを、木野が引き留めた。


「無理しなくていい……空木。いったところで、そこにあるのは死体だけだ」

「だからいくの。……野上ちゃんと、このままお別れは、嫌だから……」


「……魂じゃなくて、顔を見たいってことなのか? ……分かった、俺もいくよ」

「……木野くん、ありがとう……」


「気にしなくていいよ。いつでも、困ったら俺が助けてあげるから――」

「…………」


 親切心なのか? それとも……。

 木野の過保護に見える行動に、久里浜は疑いの目を向ける。

 気に入らない――と思ってしまうのは、ただのヤキモチなのだろうか。


「久里浜ちゃんもくる?」

「いかない。野上とは、そう距離が近かったわけじゃないから」


「……そっか」

「冷たいと思う? ……そうだよね。でも、なんとも思っていないわけじゃないから」

「うん――」


 シャルルたちの最後尾には、モカと雅が別の目的で同行しようとしていた。


「私と雅ちゃんは恋ちゃんの回収をしましょうか」

「そーだなー……今の恋は、ちょっと荒れそうだし……」


「ちょっと? 相当荒れるんじゃないかしら。そうなったら……しばらくは離れていた方がいいかもねえ……、八つ当たりされても嫌だしぃ」


「なんだよお前ら、フォローする気ねえのかよ」

「んー? じゃあ、聖良ちゃんに任せてもいいのぉ?」


「嫌に決まってんだろ。それに……オレの言葉が届くわけねえだろうが」

「そうかしらねえ?」



 決着がついた現場へ辿り着いた。

 床に転がる野上の死体と、それを前に、呆然とする榎本の姿がある。


「恋ちゃん。おーい、恋ちゃーん?」


「…………」


「れーんー。……って、こりゃダメだ。呆然自失だよ。まあそっかって感じ? 殺されそうになったから反撃したら、殺しちゃった――しかも野上が自分を殺すように誘導していたってことが直前で分かれば、嫌っていたちょっと前の自分が嫌になるもんね」


「はぁ……今の恋ちゃんは、放っておけば野上ちゃんの後を追いかけそうね……、拘束しておいた方がいいかもしれないわ――」


 冗談ではなく、モカの中では、するべきこと、として認識されている。


「自分の意思で死ぬなら別にいいけどな。食糧も、一気に二人分が浮くことになる……食う人間が減れば減るほど、オレたちは助かる可能性が上がるんだ」


「聖良くんッッ!!」


「冗談、でもねえが……命令したいわけじゃねえよ。あくまでも、榎本の意思を尊重するって話だ……。死にたい奴を引き止める余裕は、こっちにはねえんだよ」


 勢いで叫んでしまったが、聖良は『しろ』とは言っていない。相手の選択に任せるつもりでいる……、死にたい人間を引き止める権利が自分にあるのか?

 シャルルは……、望まない救済は攻撃なのではないか、と思い、反論できなかった。


「はぁい……じゃあ、恋ちゃんを回収するわね。雅ちゃん、そっちの肩を支えてくれる?」

「おう、って、完全に全体重を乗っけてるな……自分の足で立つ気ないじゃん」


「このまま寝かせてあげましょう……明日になればだいぶマシになっているはずでしょうから」

「だといいけどなー」



 シャルルの足下。

 思わず踏んづけてしまいそうになったが、仮に踏んでも相手はフェルト人形である……、痛みがあるのか分からないが、そのクッション性が、踏んだ重さを分散してくれるのではないか、なんてことを思った。


「矢藤くん? ここにいたんだ……おいで、あたしが久里浜ちゃんのところまで連れていってあげる」


「では、野上様の死体を処分しますけど、よろしいですか?」

「ああ。もう魂は抜き取った……好きにしろ」

「では」


 大きな鎌が出現する。

 天死による死体処理が実行された――。


「……野上ちゃん……」

「空木……大丈夫か?」


 シャルルの背中に腕を添え、倒れないように支えたのは、木野だ。


「……大丈夫、かな……魂は聖良くんが持ってるわけだし、もう話せないってわけじゃないから……」


「デスゲームが終わるまでは、話せるんだよな……でも、聖良が死ねば、異能の効果も切れるんじゃないか……? 早くて聖良が死ぬまでだな。それまで話せるとして……もう話せないのは、浦川だけか……」


「…………」

「……ごめん、言わなくていいことだったな」


 シャルルは首を左右に振った。

 その反応は、木野にとっても意外だった。


「……でも」

「でも?」


「もう、いないんだって、ちゃんと認めた方がいいのかもしれない……」

「空木? ……無理、しなくていいんだからな?」


「…………」


「ゆっくりでいいんだよ。もし、浦川のことを認めて、新しい空木の人生を踏み出したなら……浦川の代わりって言うわけじゃないけど、俺を頼ってくれ――

 きっと、空木の力になれるはずだから」


 浦川大将がいないことを認めたその空白に、別の誰かを当てはめる日が、いずれやってくるのだ……、遠い未来の話かもしれないし、もうすぐそこまで迫っていることかもしれない……。

 シャルルにも予想がつかないのだ――自分の気持ちなのに。


 自分のことを一番分かっていないのは、自分だった……。


「……うん、分かった。その時、お願いするね……ありがとう、木野くん……」



 そんな二人の会話を、少し離れたところで聞いていたのは、久里浜だ。


 彼女は隠す気がない不快な顔を浮かべ、心底気持ち悪いと、木野を罵った。


「……気持ち悪い。浦川くんがいなくなった隙間を見つけて入り込んでくるあたりが……、下心丸出しの男って感じで、ほんとに……害虫以上に、気持ち悪い……ッッ」



『久里浜、俺がその場にいない時、シャルルが困っていたら見ておいてくれよ。助けなくていい……見ているだけでさ、それ自体が相手への牽制になるはずなんだ』


 生前、彼に言われたことだ。


 図書室で意気投合した彼と久里浜は、仲良しでこそなかったけれど、会えばよくお喋りをした。どうでもいいことばかりだったけれど、たまに重要なことを同じテンションで言うこともあり……、シャルルについて語る時の彼は、冗談なんか一つも挟まなかった。


『……いいけど、どうしてわたしに頼むの? 手助けしなくていいなら、適任は他にも……』


『久里浜は、悪い奴じゃない、って分かったからかな。無害そうで有害な奴はごまんといる。有害そうで実は無害って奴は、少ないんだ……。中でも久里浜は無害そうで実際に無害……まあ、攻撃されたら反撃するだろうけどさ。

 久里浜が私利私欲で他者を貶めようとする奴には思えないんだよ。……俺の目に狂いがなければ、だけどな。見誤っていたら仕方ない、これは俺のミスだ』


『……見るだけでいいのよね? 助けなくても……いいんでしょ?』


『必要ない。したければしてもいいけど……強制はしないよ。後日、さり気なく俺にその時のことを教えてくれればいい……それ以上は望まないから』


 いつまで経っても……浦川大将は、空木シャルルの手を引いているのだ。


『過保護』

『よく言われる。治す気はねえから、これ以上言っても時間の無駄だぞ?』


『分かったよ。浦川くんがいない時、意識して見ておくよ』


『悪いな、久里浜……。

 今度はお前のお願いも聞くよ。無茶ぶりじゃなければ、俺でもできるだろ――』


『言ったね? じゃあ、その時がくるまで待ってて――楽しみにしておく』


 結局、そのお願いをすることはなくなった。


 ――もう一生、その機会はやってこない。


「約束破って、死んでるじゃん…………浦川の、バカ」


 約束は破られた。だけど、だからと言って、じゃあ、死人のお願いを無下にすることは、久里浜にはできなかった。

 呪い殺されたくないから――なんて、久里浜は言うけれど。


「……今回だけだからね」


 そう言いながらも。

 きっと一生、彼女の様子は見てしまうのだろうな、と、彼の過保護がいつの間にか伝染していることに気づく久里浜である……、それを、嫌だとは感じなかった。


 空木シャルルにはやっぱり、幸せになってほしいから――。


 だから。


 絶対に。


「……木野の思い通りには、させない」

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