第18話「艶めく夜に」

 戦勝会せんしょうかいとまではいかなかったが、豪勢な夕食が出た。

 予備パーツや弾薬は勿論もちろん、こうした食料や衣料、医薬品なんかの補給もセリエナが兵站へいたんを担ってくれているからこそである。

 それとなく、特装班の食事事情は結構裕福なものだった。

 整備部もパイロットも、身体が資本の極秘部隊だからこそだろう。


「お肉、美味しかった……おにく……牛だよ、牛」


 食堂を出たいろはの言葉に、ひふみもうんうんと頷く。

 今日の虚脱状態スーパー賢者タイムは少し長くて、夕暮れからずっといろはは虚ろな瞳でふらふらしていた。兄として目が離せないが、物静かで穏やかないろはに先程の話が思い出される。

 もしかしたら、こうした寡黙で内向的な状態が本来のいろはなのかもしれない。

 普段の快活で闊達かったつな姿の方がひふみは好きだが、船長の話も聞いてしまった。

 一族郎党全員を惨殺し、切腹した槇島しきしま中佐……その事件の生き残りという可能性。

 今日はいろはから「お父さん」という言葉も漏れ出たから、なおさら気になる。


「ほら、いろは。手を繋いで。真っ直ぐ歩いて」

「ん……なんか、眠いかも」

「さっきまで寝てたんだけどね。いいよ、部屋に送ってくから寝ちゃいなよ」

「そーする……」


 大人たちはまだまだ食堂で騒いでいて、今日も宴会騒ぎのようだ。

 やはり、命がけの戦いを生き抜いた日は、こうなることが多い。ひふみと同世代や、少し年長の少年少女たちも一緒だった。

 はしゃいで生存を祝わないと、実感できない命。

 恐るべき霊子力兵器との戦いは、正気を保つために狂騒を求めた。


兄貴あにき……一緒に寝よ」

「あー、僕はまだちょっと作業が……でも、眠れるまでそばにいるよ」

「うん」


 いろはの小さな手を握って、あてがわれている船室まで歩く。

 パイロットは士官扱いだから、特別に個室が用意されていた。

 だが、今日のいろははよほど疲れているのか、今にも歩いたまま眠ってしまいそうである。今もうつらうつらと足取りも危なっかしく、ひふみにより掛かるようにして歩いていた。

 ほのかに体温がツナギを通して浸透してくる。

 体温の高いいろはは、まるで人型の湯たんぽだ。

 かといって、抱き締めて寝てもいい存在じゃない。

 あくまで義理の兄妹きょうだい……ひふみだって健全で健康的な男子なのだから。


「ほら、いろは。部屋についたよ? いろは?」


 いろははもう、立ったまま寝ていた。

 コクリコクリと睡魔すいまのリズムに乗って、小さく三つ編みの頭が揺れる。

 やれやれと苦笑しつつ、今回はこの状態がやや長いことが心配だ。

 いつもは数時間でいつものいろはに戻る筈だ。

 だが、食事中も彼女はずっとこうだったのだ。


「どれ、よいしょっと」


 いろはを抱き上げ、器用に部屋のドアを開く。

 簡素な個室は、まだまだこの船が軍艦だった頃の名残を残していた。どこか息苦しい狭さの中に、籠もった怨念のようなものが感じられる。

 それでも、ハンモックや三段ベッドじゃない寝床はありがたい。

 そっといろはをベッドに横たえ、毛布をかけてやる。

 静かに上下する薄い胸に、安らかな寝息が広がっていった。


「じゃ、おやすみ……いろは。お疲れ様」


 そっと離れて、静かにドアを開く。

 隙間から無音ですり抜けるように出て、後手で扉を閉めた。

 明日はまた、元気ないろはに会えるといい。

 函館はこだてに上陸したら、時間があれば市街地を観光したいとも思っていた。ひふみだって、本州を出て北海道に行くのは初めてで、ただ寒い土地だとしか聞かされていなかった。

 ただ、美味しい料理が沢山あるらしいので、少し楽しみである。

 もっとも、上陸しての休暇があるかどうかは、敵さん次第といったところだ。


「さて、僕は格納庫に……あの大砲、少し手を入れればチキチキ……チキチキ、ナントカ? えっと、艦砲だから、チキチキカノンとでもしておこうか」


 船底の格納庫へと足を向けた、その時だった。

 不意にどこからか、荒い息遣いと共に湿しめった声が響いてきた。

 その空気の震えは、どこか急くようにじっとりと熱い。

 小さな嫌悪と同時に、あらがいがたい情欲が込み上げた。

 それは、むつみあうように囁かれる男と女の声だった。


「……キヱさん、お、おおっ、お、俺っ! もう!」

「あぁん、待って……お部屋に行きましょうね? それに、私は暗い所の方が」

「で、でも、なんで……キヱさん、と、とと、とっても綺麗で……いい匂いがして」

「顔の疵跡きずあと、乱れちゃうと見えちゃうから。ごめんなさいねぇ、面倒なおばさんで」


 慌ててひふみは、廊下を遡って物陰に隠れる。

 ちょうどその前を、若い船員とキヱが手を繋いで通り過ぎていった。

 ひふみだって馬鹿じゃない、男女の痴情だってわかる。経験も知識も少ないが、そういうことがあるってのは当たり前じゃないかと思うようにしていた。

 コソコソと狭い廊下の角に隠れて、二人を見送る。

 きっとこれから……想像するだけで鼻の奥が暑くなった。

 そんな時、突然背後から声が書けられた。


「ひふみ君」

「は、はいぃ! いえ、これは、その、ですね……ん? ミマル?」

「はい、わたしです。ミマル・シセイです」

「なんだ……脅かさないでよ」

「なにか、お邪魔をしてしまったようですね。すみません」


 ミマルもちらりと、角の向こうへ消えてゆく男女を見やる。二人は、恐らくキヱが使っているであろう個室に消えていった。

 ミマルはわかりやすく「ああ、なるほど」と両手をパム! と合わせる。

 そして、着ているツナギのポケットをあちこちまさぐりはじめた。


「ちょ、ちょっと、ミマル? あれ、もう全部捨てたでしょ」

「あ、そうでした。でも、ひふみ君は」

「ぼっ、僕は違うからね! そういうのないから! いや、ない訳じゃないけど、なんていうか……」

「おや? ああ、ちょうど一つだけ裏ポケットにありました。使いますか?」

「……捨ててください。はぁ、夜風にでも当たろう。で、僕になんか用があるんじゃ?」


 やれやれとひふみは、無表情のミマルに背を向け歩き出した。

 階段を登って甲板を目指せば、ミマルは黙ってついてきた。


「実は、零号機ゼロごうきの右脚部を少し見てほしいのです」

「あー、うん。ちょっと待って、今夜中に見るよ。調子悪い?」

「歩調がずれる感覚があって、右脚の反応が鈍いんです」

「負荷がかかって部品が摩耗まもうしてるのかも。……ふう、いい夜風だ」


 甲板に出ると、空は星々できらめいて見えた。

 ずっと向こうに北海道が近付いている筈だが、今はまだ見えない。街明かりも少ないだろうから、より一層星空が鮮明に輝いて見える。

 吹き渡る海風は冷たいが、火照ほてった身体に心地よかった。

 手すりに見をもたげれば、その横にミマルが姿勢良く立つ。


「今日は危ないところでしたね。……わたしは、あまりお役に立てませんでした」

「しょうがないよ、M1カービンや三八式歩兵銃さんはちしきほへいじゅうじゃ届かないし。それに、勝てたからいいんじゃない? ミマルはその後の作業を頑張ったんだし」

「ありがとうございます。ひふみ君は優しいですね」

「まあ、これでもお兄ちゃんだからね。……ミマルの方が年上か、えっと、いくつ?」


 聞いてから内心「しまった」と思った。

 確か、女性には年齢の話は厳禁、二番目にしてはいけない質問だった。因みに一番目は体重だそうだ。弾児だんじがそんな冗談を言っていたが、なるほどと思った。

 ミマルは少し、困ったように小首をかしげた。


「18と答えるように言われています。18歳です」

「なにそれ」

「それに、わたしも弟や妹が多かったので、ひふみ君の苦労が少しわかるつもりです」

「そ、そうなの?」


 ミマルはこくりと頷いた。

 それでなんだか、ひふみは無性に話を聞いて欲しくなった。なるほど、確かにミマルはいろはのあつかい……というか、が上手い。妙に突っかかられてるのは不思議でわからないが、彼女自身が気分を害した顔を見せなかった。

 というか、感情を表すことがほとんどないのがミマルだった。


「今日さ、もしかしたら……いろはの本当の家族のこと、わかったかもしれないんだ」

「それは、つまり」

「前も言ったかもしれないけど、僕たち実の兄と妹じゃないんだ」

「でも、とても仲がいいです。……少し、羨ましくて、懐かしくなりました」

「えっ? ミマルの下は、ええと、何人くらい? 弟? 妹?」

「弟も妹も100人はいたと思います。わたしが000番なので」


 不意にミマルは、ツナギの襟元を緩めた。そして、胸元を大きく開く。

 そこには確かに、000のナンバリングが刻まれていた。以前、風呂場でも見た不思議なものだ。そして、やっぱりかとひふみは愕然とする。


「わたしは旧帝国軍が開発した人工神童兵じんぞうしんどうへい、試製000号が本当の名前です」

「それで、ミマル・シセイ……」

左門工助さもんこうすけさんが戦後、保護してくれました。生き残ったのはわたしだけです。皆、過酷な実験と戦地で死にました」


 弟や妹も、自分と同じく人造子宮で生み出された戦うための少年兵だという。

 そして、ミマルは主に二〇式特殊工作車ふたまるしきとくしゅこうさくしゃ……まだ名前が二〇式歩行戦車だった頃のテストパイロットだったという。同時に、一部の軍人たちの性のはけ口だったのだ。

 先程の、一つだけ残った試製性処理用避妊膜しせいせいしょりようひにんまくを差し出してきた。


「また、捨ててもらえますか? あんなことする男の子、ひふみ君が初めてでした」

「……あ、ああ、うん。そうだよな、いらない。もういらないんだ、ミマルにはこんなもの」

「ありがとうございます。では、わたしは先に格納庫に行ってますので」


 ミマルは颯爽さっそうと去っていった。

 彼女もまた、あの大きな戦争で大切なものを奪われた人間だった。そして、自分さえも大事にできない人間として造られ、そのように扱われてきた。

 ひふみは受け取った小さな包み紙を海に捨てる。

 あっという間に真っ黒な波濤がそれを飲み込み、今度こそいままわしい避妊具は消え去ったのだった。

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