第17話「海は全てを飲み込み沈める」

 大海の怪物は沈み、太平洋に平穏が訪れた。

 そして、偽装用のコンテナを破棄した強襲揚陸艦きょうしゅうようりくかん"酒呑しゅてん"にも、最後の戦いが待っていた。

 勿論もちろん、ひふみのチキ参号機さんごうきは脚部破損で参加できないし、いろははまたしても虚脱状態でリタイアだ。

 それでも、全員総出で最後の作業に取り掛かる。

 見るからに軍艦、艦砲で武装した空母に戻ってしまった酒呑……その装備を全て、海中へと投棄するのだ。


『うーし、ミマル! さっさと片付けちまおうぜ』

『了解です、弾児だんじ班長』


 チキ壱号機いちごうき零号機ゼロごうきで、甲板に並ぶ兵装を次々と移動させてゆく。

 勿論もちろん、ひふみもボルトを抜いたりと工具片手に忙しく走り回った。

 そして気付けば、夕焼けの空に目を細める老人の姿が傍らにあった。

 船長の海江田万里かいえだばんりは、祈るように制帽を脱いで海を見詰めている。


「いつの時代も、ふねが沈むのを見るのは辛いものじゃ。明日は我が身とも思うしのう」

「あの、船長」

「ああ、ひふみ君。さっきは大活躍だったね。ああいうのはどこで?」

「あの内火艇ランチはどこで拾ったものだったかな……うちの備蓄資材は半分廃材みたいなものですから」


 酷使しすぎて短時間で沈んでしまったが、一応はチキチキライダーは役割を果たした。

 しかし、万里からすればこれも心が痛む話だろう。

 どんな小さなボロ船でも、海の藻屑もくずと消えるのは気持ちのいい話ではない。


「あ、船長。あの……あれを一つ、もらえませんか?」


 忙しく作業員が行き来する飛行甲板で、ひふみは振り返りながら艦尾方向を指差す。

 そこには、チキでの海上投棄を待つ小さな砲塔があった。

 駆逐艦の主砲用に作られた、旧帝国海軍の連装砲だ。


「ふむ……五十口径三年式十二糎七砲50こうけい3ねんしき12せんち7ほうかね」

「あのサイズなら改造すれば、チキで運用可能かなって」

「しかし、ひふみ君。もう日本は今は、軍備を持たぬ国じゃが」


 チキは正式名称を二〇式特務工作車ふたまるしきとくむこうさくしゃ装脚車両そうきゃくしゃりょうという名の重機扱いである。運用される装備も人間サイズのものをそのまま大きく作って『これは兵器ではなく武器』という、苦しい言い逃れでの戦いが続いていた。

 そんな中で、駆逐艦の主砲はどんな言い訳も通用しない。

 制帽を被り直した万里は、ふむと小さく唸った。


「……酷い戦争じゃった。皆、国のために死ねと言われて、家族が生き残るために戦った」

「そして、その多くが帰ってこなかった」

「そうじゃ、ひふみ君。だからもう、日本は戦争をしかけてはいかん。今は軍備もいらんはずじゃった」

「今は、というと」

「戦争は、挑むのをやめても挑まれることがあっての。そうなれば防衛の戦いは必要じゃろうが……」


 今は、それも考えられないと万里は言う。

 それほどまでに日本は、あまりに多くの犠牲を払いすぎたのだ。

 そして今、その負の遺産である決号計画けつごうけいかくの駆除に苦慮している訳である。


「いつか日本は立ち直る。その時、自衛のための軍備を持つこともあるだろう」

「警察予備隊、そして僕たち保安隊……その先に、ですか」

「そうじゃ。平和憲法は日本の起こす侵略戦争から国民を守ってはくれるが、日本に侵略してくる第三国には無力じゃからのう」


 小さくため息をついて、万里は例の連装砲の処分をひふみに任せてくれた。

 完全に解体して、必要な部品のみを特装班の備蓄とすることを許してくれたのだ。

 ひふみとしても、砲塔をそのまま使うことは難しいと思っていたので、願ったり叶ったりだ。あとでミマルにでも頼んで、クレーンで格納庫に移動させよう。

 チキには斧やスコップ等、実際の土木作業等のための装備も豊富である。

 そんなことを考えていると、去りかけた万里がふと脚を止めた。


「妹さんは大丈夫だったかのう? たしか、いろはという名は」

「いつもああなんです。気にかけて頂いてありがとうございます、船長」

「いやなに……古い知り合いの娘さんが、確か……生きてればあれくらいの年頃だったと思ってのう。名前も同じ、敷島しきしまいろはといって」

「……詳しく聞いてもいいですか?」


 船長の古い戦友、敷島中佐は亡くなったという。

 戦死ではない。

 

 そんなに珍しい話ではないが、中佐も徹底抗戦派だったという。

 何故なぜかふと、ひふみは妹の本当の姿が見えた気がした。


「敷島君は国をうれいてはいたが、手段でしかない戦いにのめり込んでいったんじゃ」

「まさか、それって」

「そう。決号作戦立案にも関わり、本土決戦兵器として決号計画を生み出した一人じゃよ」


 以前は復員船の船長もやっていたので、万里にはわかるという。

 まだ、終戦から七年……もう七年とは思えない人間は少なくない。特に、南方や大陸で地獄を見てきた復員兵の中には、戦いに取り憑かれてしまった者も多いという。

 そういう人間たちにもいつか、心の平穏が訪れるのだろうか。


「そういえば、船長は……志郎しろうさんとはどこで?」

「ん? ああ、榊原君かね。沖縄からの撤退時、だったかのう」


 遠くを見るように、ふと万里は足を止めた。

 決三号が連れてきた嵐も今は去り、穏やかな海が静かに凪いでいる。

 もうすぐ日が暮れ、真夜中には函館港はこだてこうに到着予定だ。

 ひふみも、少し肌寒くなってきた気がして肘を抱く。


「……彼は一人で決号計画を察知し、戦後も密かに対策を練ってきた。こんな老いぼれにまで声をかけてまわってな」

「志郎さんは本気です。ただ……時々、それが少し怖いというか」

「そうじゃなあ。以前、呉鎮守府くれちんじゅふの庁舎でちらりと見たときとは別人になったみたいじゃ。もっとほがらかで明るい男だったんだがのう」


 やはりかと心の中でひふみは大きく頷く。

 今、特装班を影で指揮している男は、榊原志郎さかきばらしろうではない。

 男ですらないのだ。

 謎の人物がその名を使って、旧帝国軍の怨念を潰して回っている。いうなれば、正義の味方を勝手にやっているようなものだ。

 だが、それでも謎が多すぎる。

 いろはのことだけでも手一杯だが、ひふみは以前から志郎に不思議な懸念を感じていた。拾ってもらえたことには感謝しているし、彼がいなかったらひふみといろはは路上で死んでいただろう。


『ひふみ君、あの砲塔で最後ですが……ひふみ君?』


 ふと、上から声が振ってきた。

 真っ白な零号機が、最後の仕上げに連装砲を海へと落とそうとしていた。

 慌ててひふみはそれを制止し、手を振りながら声を叫ぶ。


「いいんだ、これは僕がもらうことになったから。あとでバラすから、格納庫に運んでくれるかな」

『了解です。クレーン・ユニットの装備が必要ですね。少々お待ちを』


 精密機械のように、ミマルの操縦は徹底して正確無比だ。

 彼女も含め、とにかく特装班には謎が多すぎる。

 ただ、今は決号計画を全て殲滅せんめつするのが先だ。

 その果てに平和があって、復興が終わって……再び日本にも、正式な軍隊が誕生することになるんだろうか。そう考えても、今はなんの実感もわかないひふみだった。


「敷島中佐のこと、もう少しなにかわかりませんか? いろははやっぱり、もしかしたら」

「ふむ。榊原君に頼んでおこう。なに、ワシも気にはなっていたからな」

「自決は勝手ですけど、家族まで皆殺しにするなんて」

鬼畜米英きちくべいえい、負ければ欧米人に奴隷にされると本気で思い込んでおった奴もおるからのう」

「同じ人間ですし……とは、思えなかったんでしょうね」

「そうなるのもまた、戦争というものよのう」


 万里はそのまま手を振り、船内へと戻っていった。

 ひふみもまた、作業を再開させる。

 ずらり並んだ寄せ集めの砲塔群も、それを隠していたコンテナも今は一つもない。

 今、再び貨物船"しゅてん"へと艦は戻りつつある。

 同時に、かつて航空母艦だったころの飛行甲板が全て開通した形だ。


「いろははもしかして……じゃあ、いつかは」


 ふと、今まで考えてもみなかったことが脳裏をよぎる。

 そして、当然とも思えた。

 ひふみがそうであるように、いろはにも本当の両親や家族がいるのだ。そして今、その全てが死に絶えていることを知った。ただ、親戚筋とかに今でも彼女を心配している人間はいないだろうか? それとも、既に死んだものとして扱われているのか?

 なんとなく、彼女の異常な人格と精神に説得力が加わった感じだ。

 当たらない射撃に、戦闘時の発狂状態、そしてその後の無気力感……なにか全てが、生い立ちと敷島家の悲劇に繋がっている気がした。

 そして、思考を遮るように金属音が高鳴る。


「はいはーい、みなさーん! お夕飯の準備ができましたよぉ~」


 小湊こみなとキヱが、大きななべをガンガンとおたまで叩いている。

 甲板上の誰もが、その声に笑顔で振り返った。

 炊事や洗濯を担当するキヱもまた、満面の笑みである。


「おーし、今日はこの辺で切り上げるか! 食堂だ、食堂に行くぞ!」

「酒や煙草たばこもあるんでしょうね?」

「ほら、ボウズも行くぞ! 菓子も配られるかもしれんからな!」


 船員たちは次々と、キヱの声に向かって引き上げてゆく。

 ひふみもそれに続こうとしたが、ふと気になって脚を止めた。まだ、ミマルの零号機が作業中で、固定用のボルトを外された連装砲がゆっくりクレーンで釣り上げられてゆく。チキの背にはオプションパーツで、こうした本来の重機としての能力を加えることができた。

 一人でやらせるのもなんなので、ひふみは付き合って零号機に駆け寄るのだった。

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