第15話「幻の亡霊戦艦、出現!」

 波濤はとうの果てより害意は来る。

 今、輸送船"しゅてん"をけたたましいサイレンの音が震わせていた。

 急いでひふみたちが格納庫へ降りると、そこはもう戦場。

 装弾作業や燃料補給の整備員が行き交っている。

 そして、すでに出撃体勢のチキ壱号機いちごうきがエレベーターに向かっていた。

 その開けっ放しのキャノピーから、身を乗り出して弾児だんじが叫ぶ。


「おう、ひふみぃ! ちょっと脚を見てくれ! 右脚だ!」


 すぐにひふみはきびすを返すや、上昇をはじめたエレベーターへ飛び乗る。

 正式にはひふみは整備部なので、こっちの方が本職だ。すぐに壱号機の足元に屈めば、右脚の膝下にオイルれがある。駆動系のシリンダーを調節した際に、ボルトの締めが緩かったのだろう。

 すぐさまひふみは振り返って叫ぶ。


「おやっさん! 僕のレンチ、七番って書いてるやつを!」

「おう、これか。そうれ!」


 阿吽あうんの呼吸でおやっさんが工具を投げてくれる。

 ひふみは正規の教育を受けた人間ではないので、工具のナンバーには深い意味はない。自分でわかりやすいように、貰ったり買ったりした順に番号を振っていた。

 回転しながら飛来するそれを受け取るや、すぐにボルトを締め上げる。

 丁寧ていねいにグロスでオイルを拭き取れば、これ以上漏れてくることはなさそうだった。

 同時に、ガクン! とエレベーターが停止して視界が開ける。

 巨大なM1カービンを構えて、壱号機が歩き出した。

 キャノピーを閉めながら、男児がグッ! と拳に親指を立てる。


「助かったぜ、ひふみ! っしゃ、蜂の巣はちのすにしてやるぜ!」

「よく気付くもんですね、弾児さん! 戦闘には問題ないレベルでしたけど」

「ちょっと歩かせりゃわかるぜ? なにせ、命を預けてんだからなあ!」


 コンテナに囲まれた中で、既に多数の火器が射撃位置に移動している。

 レールをすべる砲台が全て、コンテナの隙間から砲身を外へと向けた。

 手近な隙間を覗き見るようにして、壱号機も銃身だけを突き出す。

 ひふみはそのまま外に出て、手すりから身を投げ出すように周囲を見渡した。


「嵐が、来る……!」


 先程まで晴天に凪いでいた海の向こうに、黒い雷雲のかたまりが迫っていた。

 その中から、強烈な殺意が広がってゆく。不可視のさざなみが押し寄せて、その風にビクリとひふみも身を震わせた。

 同時に、遠雷の音さえ掻き消す絶叫が海原に響き渡る。

 それは、進水も就役もなかった幽霊船ぼうれいの絶叫。

 空と海とを揺るがす巨砲の咆哮ほうこうだった。

 やや間をおいて、しゅてんのすぐ近くに水柱が屹立きつりつする。


「砲撃、至近弾! 確か、こういうのって」


 急いで船内に戻ると、スピーカーを通してブリッジの混乱が伝わってきた。

 そして、二度三度と砲撃が船体を揺らす。

 こちらからはまだ攻撃は始まっていない。

 その射程外から、敵は巨砲をバンバン撃ってくるのだ。

 交錯する通信もマイクの切り替えを忘れているのか、丸聞こえである。


『至近弾、夾叉きょうさ! 完全にとらえられました!』

『次弾、当たります!』

『クソォ、こんな距離から……大和級やまときゅうの46cmかよ!』


 しまったなと思った。

 実はこんなことも想定して、ひふみはチキ用の長射程武器を考えていた。実際、ベースとなる廃棄物もあって、多少の改造で使えるようにする予定だった。

 だが、それは間に合わない。

 そして、完成していても届かない距離だ。

 焦れる中で誰もが思案を巡らせる、そんな一瞬が永遠にも感じられた。

 叱咤しったするような厳しくも静かな声が響くまでは。


『こちら船長、海江田かいえだだ。総員、深呼吸!』


 この非常時になにをと思ったが、ひふみは落ち着いて胸に手を当てる。

 火薬とオイルの臭いを吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 心拍数は急上昇で高鳴っているが、恐怖とパニックは追い払えた。

 そして、周囲の誰もが同様に平静を取り戻してゆく。


『これより本船は……! 甲板上の偽装コンテナを破棄!』


 大戦を生き抜いた老提督ろうていとくの声が、粛々しゅくしゅくと響く。

 その奇異な命令に首を傾げる人間はいなかった。甲板上の船員たちは、あらかじめ用意されていたケーブルやクレーンを使って、次々と海中にコンテナが投棄されてゆく。あとから上がってきた零号機ぜろごうき弐号機にごうきも手伝って、完全に偽装が排除された。

 改めて見るとやはり、しゅてんは航空母艦だ。

 しかも、航空甲板の片側、艦橋の前後には砲も配置してある。


強襲揚陸艦きょうしゅうようりくかん"酒呑しゅてん"ッ! 面舵一杯おもかじいっぱい! 両舷全速!』


 ――強襲揚陸艦"酒呑"

 かつて重巡洋艦として生まれ、航空母艦へと改装された伊吹いぶきの今の姿だ。

 満載されたコンテナを全て捨てた酒呑は、身軽になった船体をひるがえす。大きく艦が傾斜するようなターンの直後、艦尾後方にひときわ巨大な水柱が雨を降らせる。

 そして、帝国海軍最後のふねが加速する。

 その先に荒波は時化しけ十重二十重とえはたえに連なり、既に空は闇夜のように黒く染まった。


『艦長! 目標を視認! あ、あれは……ッッッッッッ!』


 ブリッジ要員は双眼鏡かなにかを使っているのだろう。

 だが、甲板上のひふみにもはっきりと肉眼で見えた。

 嵐を引き連れ、巨大な戦艦がこちらへと向かってくる。

 その姿はまるで、海に築かれた難攻不落の大要塞だ。


「あれが……決三号けつさんごう。あのレベルの戦艦が? ビックセブンってレベルじゃないぞ」


 流石さすがのひふみも驚きに言葉を失う。

 戦後、帝国海軍の秘匿ひとくしてきた機密情報が公開され、日本国民は誰もが真実に愕然がくぜんとした……もっとも、くれや長崎等、一部の者たちは知ってて口をつぐんでいたのだが。

 

 それも、三隻もだ。

 大和級とよばれたその巨艦は、さしたる活躍もなく伝説のまま海へ消えた。

 その脅威を今、ひふみたちは目の当たりにしているのだ。


「大戦中、確か大和級は既に時代遅れ……世は空母と艦載機による機動部隊の戦いになってたって聞くけど。こんなものとは戦えないぞ!? どうする……どうする、真中まなかひふみ!」


 自問自答に最適解さいてきかが浮かばない。

 だが、そんなひふみを白い影が包んだ。

 三八式歩兵銃さんはちしきほへいじゅうにスコープとロングバレルを装着した、狙撃用のライフルを持って零号機が現れたのだ。そのキャノピーは開いたまま、中に座るミマルがこちらを見下ろしてくる。


「先程の着弾音、炸薬量、そして射程距離……あれは大和級では、46cm砲ではありませんね」

「ミマル、わかるの?」

「ここから届くかどうか……ひふみ君、ちょっと上がってきてもらえますか?」


 片膝を突いて狙撃体勢を取る零号機の上で、コクピットからミマルが右腕を伸ばしてくる。ひふみは脚部をよじのぼるようにして、その白い手を握った。

 グイと引き上げる力は片手なのに強くて、あっという間にひふみはミマルの横だ。

 チキの操縦席は酷く狭いので、ミマル自身が計器類に身を寄せスペースを作ってくれる。それでも、二人ではぎゅうぎゅう詰めの密着状態だった。

 こんな絶体絶命の危機に、ひふみは思わずゴクリとのどを鳴らしてしまう。


電魂演算球でんこんえんざんきゅう"アラタマ"による誤差修正を用いて、狙撃してみます」

「そ、それで、僕は」

「機体の制御をお願いします。わたしは普通の視界は失いますので」


 そう言って突然、ミマルは狭い中で立ち上がった。自然と柳腰の腹部が顔面に押し当てられる。そのまま気にせずミマルは、真上に設置された頭部のある天井へ両手を差し出す。

 慌ててひふみがフットペダルを踏み、操縦桿で機体を安定させた。

 零号機は今、ミリ単位の照準調節を行いながら、激震に揺れる酒呑の航空甲板で不動の構えだ。


「――ソビエツキー・ソユーズ級」

「え? ミマル、それって」

「ソビエト連邦で計画されていた、超弩級戦艦ちょうどきゅうせんかんです。いわゆる大祖国戦争だいそこくせんそう、独ソ戦の勃発ぼっぱつと共に建造作業が遅延し、最終的には計画破棄で建造中止になったいわくつきの艦です」

「それを旧帝国軍が?」

「真の決号作戦けつごうさくせん立案時にはもう、大和や武蔵は……その代わりといったところでしょう」


 北の大地で、生まれる前に死んだ船。

 その幻影が、本土決戦のための決号計画として取り込まれたのだ。

 そういうことにも何故なぜかミマルは詳しく、この緊急時の中でも淡々と喋る。彼女は目を瞑って、静かに天井へと語りかけていた。


「射角調整、仰角ぎょうかくプラス0.03……そう、いい子ですね。そのまま……ひふみ君っ!」


 言われるままに、ひふみは銃爪ひきがねを握り締めた。

 零号機の構えたライフルから、螺旋らせんの空気をまとって弾丸が飛び出す。激しい暴風の中で、必殺必中の魔弾は真っ直ぐ決三号へと吸い込まれていった。

 だが、待てども待てども着弾の感触がない。

 重装甲に弾かれたという、そんな音さえ拾えなかった。


「……届きませんね。ひふみ君、大口径の滑空砲かっくうほう迫撃砲はくげきほうは」

「チキ用に実は、三式中戦車チヌの主砲を改造してたんだけど、まだできてない」

「他に火砲は」

志郎しろうさんの許可がなかなかね……歩兵用の携行火器をチキのサイズでそのまま作る。それ以上やったら、それは武器じゃなくて兵器だっていう解釈なんだと思う」

「平和憲法、ですか。……わたしは嫌いではありません、寧ろ好感触です。ただ、最低限の自衛は人間……いえ、生物全てが持つ不変の本能です」


 狙撃は失敗した。

 三八式歩兵銃では、全く射程が足りない。

 同じことをいろはが弐号機でやってるのも見たが、あっちも同様の結果だった。

 それでも、酒呑は徐々に増速しながら未完の大戦艦へと迫ってゆくのだった。

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