第14話「あの戦争を生きたお母さん」

 輸送船"しゅてん"……見るからに航空母艦ながら、その広大な飛行甲板全てにコンテナを積み上げた貨物船だ。

 そしてそれが名目上の話であることを、ひふみはすぐに知ることになる。

 かつて格納庫だった船内のスペースには、チキを整備するためのあらゆる環境が整っていた。


「なるほど、ちょっとした移動基地ってことかな。さて……あれを仕上げるか」


 すでにしゅてんは仙台港を出港し、北海道へと向かい始めた。

 その船内には、チキ四機を含む全ての資材が積み込まれている。

 整った環境での長旅となれば、ひふみはゆっくりと趣味を兼ねた仕事に没頭できる。

 そう、廃材や不用品を駆使しての、新しい武器作りだ。


兄貴あにきっ、海だよ! 海! ねねっ、甲板に出てみようよっ!」


 先程からいろはが、右に左にと身を寄せては笑顔を向けてくる。

 周囲でも整備部は仕事を終え、一服している者がほとんどだ。おやっさんを中心に、大戦中の話に花を咲かせながら煙草たばこを吹かしている。

 ひふみとしては、こうした時間を活用して作業を進めたい。

 だが、浮かれた妹を放置しておくのも、それはそれで気になるのだった。


「なんか、船の中は狭くて息苦しいっ! オイルの臭いが酷いし」

「そりゃ、ここは格納庫なんだから。ん、まあ……ちょっと上に出てみよっか」

「やたっ! 兄貴大好きっ!」


 すぐにいろはは全身で好意を爆発させてくる。

 いつものように、左腕に彼女をぶら下げるように抱きつかせて、ひふみは上へと向かう階段へ向かった。艦載機用のエレベーターを使うまでもないし、そもそも上はコンテナがびっしり積まれている。

 そう思っていたが、それが周囲を欺くための偽装だとすぐに知れた。

 海風の中に出て好天の中、コンテナ郡はよく見れば微妙に隙間を設けて積まれてある。


「兄貴、こっち! ここを入るの」

「ちょ、ちょっといろは!? 危ないよ、これ……崩れてこないよね」

「アタシでもわかるよ、これって、えーと、だまし絵? みたいなもんだよね」

「えっ、そ、そうなの? ……ここ、通路なんだ」


 すぐにからくりがわかった。

 コンテナはそれぞれわずかずつずらして積み上げつつ、互いが支えるようにして天井を形成している。その隙間へ分け入れば、すぐに目の前に広い空間が開けた。

 そう、コンテナはドーム状にその中に外側だけを覆っているのだった。


「……なにこれ。あっ、そうか。これならエレベーターで機体を上げられる」

「それだけじゃないよ? ほら、あれ!」

「艦砲? 対空火器も。なるほど、武装を隠してる訳か」

「アタシ、平和憲法ってなんかわかってきたなっ! よーするに『!』ってことでしょ」


 酷く教育に悪い上に、若干手遅れな気がした。

 だが、間違いなくこの船はかつての航空母艦……その前は重巡洋艦だった伊吹いぶきの面影を残している。持ち込まれた兵装はどれも不揃いでバラバラなものだが、終戦時に進駐軍の目を盗んで集められたものらしい。

 既に艦載機の運用は想定していないのか、飛行甲板には無数のレールが敷かれていた。

 有事の際には、このレールで各武装を外向きへと移動、コンテナの隙間から射撃するのだ。


「ん、ひふみ君。ひふみ君も見学ですか?」


 ふと気付けば、船員たちの行き交う中にミマルが立っていた。

 彼女もまたひふみやいろはと同じ黄色のツナギ姿で、律儀に襟元をきっちり締めている。妙に姿勢もよくて、立っている姿を見るだけでも一種独特な美観があった。

 そのミマルが、ツカツカと近付いてくる。

 天敵を見るかのように、ギュムと抱き着いてくるいろはが目元を険しくしていた。


「かなりの重武装ですが、いいのでしょうか。この船は輸送船では」

偽装輸送艦ぎそうゆそうかん、といったところかな。これは言い訳がきかないなあ」

「うん? いろはさん、どうかしましたか? お顔が」

「うっさいわね、泥棒猫どろぼうねこっ! 行こう、兄貴っ!」


 グイグイといろはに引っ張られて、広い甲板の上を歩く。

 ミマルはなにも言わずにそのあとをついてきた。

 すると、不意に機械や火薬の臭いに芳香が入り交じる。

 人だかりの方からなにか、いい匂いが漂ってきた。そう言えば早朝に出港してから、なにも食べていない。そろそろ正午だし、食べざかりの少年少女にはたまらない香りだった。


「ほらほら、見てっ! まかない! なんか、船内の食堂は準備中だから、甲板でおなべしてるって言ってた!」


 なるほど、この散らかった惨状も、ありあわせのコンテナによる偽装も、全て突貫工事の賜物たまものといったところだろう。

 列に並ぶとすぐ、割烹着かっぽうぎを着た妙齢の女性の姿が見えた。


「みなさぁん、沢山ありますからねえ。一列に並んでくださーい」


 妙なうれいを帯びた美人が、せっせと鍋の豚汁とんじるを器に盛り付けている。

 その熱い湯気に乗って、肉と脂の匂いがひふみの鼻孔を刺激した。

 船員たちも皆、屈強で厳つい男ばかりだが……妙に行儀よく、律儀に皆が順番を守っていた。美女の微笑みは、それだけで場の空気を柔らかく緩めていた。

 ひふみたちも並べば、すぐに順番が回ってくる。


「あらあら、こんな子供たちまで。ちょっと待ってねえ、おばさん大サービスしちゃう」


 大きなタレ目のまなじりをさらに下げて、母性のかたまりのような笑み。

 だが、その顔半分は長く伸ばした黒髪に覆われている。

 そして、ひふみはちらりと見てしまった。

 前髪の奥に、大きな火傷の跡がある。顔半分を覆うように、左目の周囲だけがかれた肌をひきつらせていた。

 それでも笑顔が眩しくて、ひふみは熱々のうつわはしと共に受け取る。


「私は小湊こみなとキヱ、この船の、そうね……おさんどん係、かしら。ふふ、困ったことがあったらなんでも言ってね」

「よろしくおねがいします、小湊さん」

「キヱでいいのよ、キヱおばさんで。さ、そっちの子もたっぷり食べて頂戴ちょうだいねえ」


 どこかはんなりとした、穏やかな雰囲気の人だ。

 荒くれ揃いとも思える海の男たちも、静かにまかないに舌鼓したづつみを打っていた。

 ひふみも腹の虫にせっつかれて、一口すする。これがまた、たまらぬ美味うまさであった。どれだけ美味おいしいかというと、一瞬だけにせよいろはとミマルが意気投合してしまう程である。


「美味しい! しかも、お肉! お肉が入ってる! あと、美味しい!」

「じつに味わい深いですね。あ、いろはさん。ほおに糸こんにゃくが」

「もー、ミマルってば鬱陶うっとうしい! ……はーっ、これがおふくろの味ってやつかも」

「おふくろの味……おふくろとはどのような家畜かちくですか? これは、おふくろの肉なのでしょうか」

「ミマルさあ……アンタ、馬鹿なの? お母さんの手料理みたいって言ってるの!」


 確かに、いろはの言う通りで素朴な味わいだ。特別な材料などなにもないし、贅沢に豚肉が沢山入っているが、それも決して上等な肉ではなかった。

 だが、不思議な旨味うまみに箸が止まらない。

 気付けばひふみも、すっかり器の豚汁を平らげてしまった。

 キヱがおかわりを勧めてくるが、他の者たちのことも考えて丁寧に辞退する。


「まあ、子供が遠慮することじゃないわ。大変なお仕事を頑張ってるんですもの」

「いやでも、まあ、食べ過ぎても仕事にさわるので」

「ん、それもそうねえ。ふふ、食べざかりなのに偉いわあ」


 その時だった。

 不意に、キヱの笑顔が一変する。

 いな、先程からの変わらぬ優しさが微笑んでいるが、周囲の空気が震えて裏返る。

 たった一言、その言葉にひふみは奇妙な薄ら寒さを感じた。

 背筋を走る、それは悪寒のようなもの。


「お国のためですものね、女子供も頑張らなきゃ。おばさんもね、七生報国しちしょうほうこくの根性で頑張ってるの。ふふ、ふふふふ……もう二度と、日本を火の海になんかさせないわぁ」


 ギラついた目だけが、笑っていなかった。

 良妻賢母りょうさいけんぼの鏡のような姿から、殺気にも似た寒さが広がってゆく。

 いましがた食べた熱々の豚汁の、その生命の熱さえ奪うような気迫だ。

 キヱの過去になにがあったのか、考えるまでもなくひふみには察することができた。ここにもまた一人、戦争をまだ終わらせられていない女性がいるのだ。

 そしてそれは、なにもキヱだけに限ったことではない。

 そんなことを考えていると、不意にサイレンが船内に響き渡る。


「なにっ!? 兄貴、敵かも!」

「格納庫に戻ろう。それと……キエさん、ごちそうさまでした。美味しかったです」


 ミマルも礼を言って、空の器を丁寧に返す。

 キヱは既に先程のたおやかな美貌を取り戻していたし、声も優しかった。

 だがやはり、その言葉はとても物騒だ。


「みんな、頑張ってね。鬼畜英霊きちくえいれい……なんだか、おばさんは詳しくないけど、そういうのと戦ってるのよね? 今度こそ日本を守ってくれるのよね?」

「え、ええ……」

「おばさんには、料理洗濯と竹槍くらいしかないけど、気持ちは一緒よ。しっかりねえ!」


 ――

 言い得て妙で、あのミマルでさえピクリと無表情を崩す。

 鬼畜米英きちくべいえいと敵をあなどり、知ろうともわかろうともしなかったかつての旧日本帝国軍。その怨讐おんしゅうの産物たる決号計画けつごうけいかくには、本当に英霊の魂が宿っているのかも知れない。

 それもまた、戦争の終わりを知らぬ哀しい兵器群だ。

 そして、ミマルが不思議なことを小さく呟く。


「そう、英霊……弟妹きょうだいたちもまた、英霊に」


 一瞬意味がわからなかったが、彼女は駆け足で格納庫へと走る。

 豚汁を食べながら後を追ういろはに続いて、ひふみも新たな戦いへと向かうのだった。

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