第13話「鬼の棲む船」

 夜明け前、港への引込線ひきこみせんで列車は海へと向かっていた。

 朝靄あさもやの仙台港は、静寂の白い闇に沈んでいる。

 その中をカタコトと、ひふみは線路に揺られていた。昨夜は客車に戻って寝たのだが、今もちらりと見ればおやっさんが一升瓶いっしょうびんを抱いて床に転がっている。

 他の面々も、あちこちの座席で毛布にくるまっていた。

 そして、ひふみの左右にも安らかな寝息が響いてくる。


「ん、どいて兄貴……ソイツ殺せない……むにゃむにゃ」

「ひふみ君、右前方です。そうです、お箸を持つ手の方です……Zzz」


 いろはとミマルに挟まれた状態だった。

 ほんのりと二人が温かくて、ひふみに二度寝の誘惑が訪れる。

 だが、突然の薄闇が眠気を吹き飛ばした。

 列車がなにか、巨大な建造物の影に入ったのだ。それで窓の外を見て、灰色の壁に思わずひふみは絶句する。


「空母? ふ、船が……それも、大きい」


 やがてゆっくりと列車が停止し、その揺れでちらほらと仲間たちが起き始めた。

 今、ひふみたちは港の埠頭ふとうで巨大な艦船の横にいた。艦船、どう見ても空母のように見えるが、敗戦での武装解除で日本には軍艦はもう存在しない。海軍自体がないのだ。

 それはまるで、霧の海に浮かぶ幽霊船ゆうれいせんのよう。

 でも、よく見ると航空甲板には山のようにコンテナが積まれていた。


「起きたようだな、諸君。深夜の移動、御苦労ごくろうだった」


 ふと気付けば、志郎しろうが入り口に立っていた。

 こんな早朝なのに、ピシリと仕立ての良いスーツを着てしゃんとしている。この人には多分、三大欲求のようなおおよそ人間が持ち合わせている熱がないのかもしれない。

 とても怜悧れいりするどく、ともすれば寒々さむざむしいほどにいつも毅然としている。

 対して、特装班の面々は整備部も含めて、いかにも愚連隊ぐれんたいといった風体だった。


「イチチ、頭が……久々に飲み過ぎちまったぜ」

「もう朝か。ってかここは……うおっ! な、なんだありゃ、空母が何故なぜ?」

「……そうか。完成していたのか、伊吹いぶき


 二日酔いの弾児だんじの横で、おやっさんが外の風景に目を細める。

 どうやら、旧帝国海軍の残滓ざんしは伊吹という名らしい。

 ひふみも記憶を総動員しつつ、左右の二人を起こしにかかる。


「伊吹? 伊吹山から取られてる名なら、重巡洋艦のはずじゃ」

「おう、ひふみ。それな……最初は重巡じゅうじゅんだったんだよ。この艦は」

「途中で建造計画が変わったとかですか?」

「ん……空母が足りなくなったんでな。けど、笑っちまうぜ。改装作業中に終戦、それにそもそも……


 おやっさんの目が、どこか寂しそうな輝きを灯している。

 どうやら特装班とくそうはんは、これから目の前の巨艦で海へと出ねばならないようだった。

 そのことを改めて志郎が説明してくれる。


「これより特捜班は北へ向かう。北海道だ。そこまでの脚は用意したが、私は同行しない。別任務があるのでな」


 どうやら志郎とはここまでのようだ。

 彼女はあくまで男として振る舞い、のちの指揮権を弾児に任せるらしい。勿論もちろん、現場での戦闘指揮だけで、統括的な判断は今後は船長に任せるとのことだった。

 そう、この伊吹という改装空母が、今日からひふみの新しい家というわけである。


「いろは、ほら、起きて。ミマルも」

「ん……兄貴、あと5分」

「わたしも同様です。あと5時間……むにゃあ」


 いやちょっと、いいから起きてってば。

 二人を揺すってみてあきらめ、やれやれとひふみは一人で立ち上がる。三人でくるまっていた毛布を剥ぎ取れば、寄りかかっていた真ん中のひふみが抜けて二人は倒れかける。

 丁度頭と頭がゴチン! とぶつかって、なんとかお姫様たちがお目覚めとなった。


「いったーい! なによミマル、この石頭!」

「ど、どうも……照れますね」

「褒めてないっての!」

「あ、おはようございます、ひふみ君。昨夜はお楽しみでしたね」

「つーか無視するなー! あと、言い方! 言い方っ!」


 まあ、それなりに楽しかった。

 夜汽車よぎしゃでの旅行なんて初めてだったし、同世代と話せば次から次にと話題は尽きなかった。甘えてくる妹のぬくもりと、薄ら寒い過去を語るミマル。その二人の世界に、ひふみも少し触れられたような気がした。

 もっとも、まだまだミマルのことは謎が多い。

 大戦中から軍と接点があったようだが、いったい何歳なのだろう?

 ぱっと見、ひふみと同じくらいか、やや年上に見える。とすれば、今のいろはよりも若い頃から、あのチキ零号機ゼロきょりに乗っていたのだろうか。操縦の習熟具合を思い出せば、それも妙な説得力があって怖かった。


「ん、どうしたんですかひふみ君。そんなに見詰められると、わたし」

「あ、ああ、ごめんごめん。いや、ちょっとね」

「大丈夫です、わたしは察しがいいので。健康な男性特有の朝の生理現象ですね? 処理いたしましょうか」

「う、うるさいよ。……ミマル、ほんとどういう脳味噌のうみそしてるの」


 むしろ、どんな生き方をいられてきたのか。

 すかさずいろはに突っ込まれて、二人の夫婦漫才じみたやりとりが始まる。それもなんだか見慣れたような気がして、わずか数日での馴染み具合に不思議と感心してしまった。

 同時に、何故かちょっと前から急激にミマルのことを気にしている。

 今までは、妹のいろはを食わせていくこと、無事に育てることで頭が一杯だったのに。


「ミマルさあ、綺麗な顔してあれじゃん! メリケンではそういうの、ビッチっていうんだよ? やめなって、アタシみたいに大和撫子やまとなでしこな方が兄貴だってウケがいいんだから」

「わかりました、気をつけます。ちなみに、大和撫子とは?」

つつましくてたおやかで、なんていうか、アタシみたいな清楚せいそ可憐かれんな女のことっ!」


 大人たちが荷物を手に客車を降りる中、ひふみも付き合いきれなくて網棚のかばんを手に取る。ここからは船旅のようだが、果たして北海道ではどんな戦いが待っているのか。

 外に出るとすぐ、潮風が冷たくて思わず身が震えた。

 そして、その寒風を遮るように、巨大な船体がそびえ立っている。

 よく見れば、乗船のためにタラップが出ていて、そこに一人の船員が立っていた。きっちりと制帽をかぶった、老齢の男である。


「ようこそ、輸送船"しゅてん"へ。歓迎しますよ、保安隊の皆さん」


 とても穏やかで、これぞまさしく好々爺こうこうやといった雰囲気の声だった。だが、その言葉も笑顔も、深いシワの奥になにかを隠しているような気がする。

 彼は志郎と二、三の言葉を交わして、そしてひふみたちに向き直った。


「保安隊の装備はこれからクレーンで搬入しますぞ。さあ、ワシの船に乗った乗った」

「しゅてん……酒呑童子しゅてんどうじ? ああ、そうか」

「む、少年。君は賢いのう、よく知っておる」

「もとが伊吹、伊吹山といえば伊吹童子いぶきどうじですからね。一節には酒呑童子と伊吹童子は同じ存在とも言われていますし」


 こういうことに詳しくなるのは、ひふみも年頃の男の子だったことがある証拠だ。小さなころから機械いじりが好きで、生き物よりも機械に強い興味をいだいてきた。帝国陸海軍の兵器を本で読むのが好きだったし、軍艦の名前の由来なんかも一通り調べたことがある。

 酒呑童子というのは、昔話に出てくる鬼の名前だった。

 そんなことを振り返っていると、不意に隣に並んだ弾児が敬礼に身を正した。


「……御無沙汰ごぶさたしております、海江田提督かいえだていとく!」

「ん、おお! 君は早乙女さおとめ君か。よく生きておったなあ! 立派になった」

「航空母艦"葛城かつらぎ"ではお世話になりました。提督もお元気そうでなによりです」

「なに、今も昔も海の運び屋よ。……葛城は艦載機がなくてな。特攻兵器の輸送ばかりやらされておったわい。しかし、君も運の太い男だ。本当によかった」


 葛城は確か、終戦間際に就役した空母だったはずだ。

 勿論もちろん、日本の資材と資源は枯渇していて、搭載する艦載機も尽きていた。

 だから、葛城は物資の輸送任務ばかりで、実質的には輸送艦だった。

 そんな戦争も終わって、特攻隊の生き残りはその艦長に再会したのだ。

 海江田は改めて名乗り、ひふみにも手を差し出してくる。


「船長の海江田万里かいえだばんりだ。よろしく頼むぞ、少年」

「こちらこそ、よろしくお願いします、艦長」

「なに、今は民間船じゃよ。老いぼれ船長に任せて、どうか船内ではゆっくりしてほしい」

「……わかりました。ありがとうございます」


 確か伊吹は、重巡洋艦から空母に改装する途中で終戦を迎えた筈だ。スクラップとして解体されたという話も聞いていたが、まさか民間に払い下げられているとは驚きである。

 改めて見上げても、もう軍艦の面影おもかげはほとんどない。

 飛行甲板にはずらりとうず高くコンテナが満載されている。

 今も昔も、万里は輸送任務一筋だと自分を自分で笑った。


「それにしても、今もこんな子供が……嫌な戦いが続くのう、早乙女君」

「同感です。自分も特攻に指名された時、丁度これくらいか、もう少し上だったか」

「それでも、やらねばならん……ワシら老人のせいで生まれた、決号計画けつごうけいかく殲滅せんめつをな」

「はい。もう日本は戦争をしない国らしいので……馬鹿な自分にもわかります。誰一人としてもう、死なせやしませんよ」


 うなずく万里が、バン! と弾児の肩を叩く。

 だが、次の瞬間には彼は、威厳たっぷりな老将の仮面を脱ぐ。


「おお、こんな少女までもが……おうおう、かわいいのう。うんうん、将来べっぴんになるぞう! ふぉっふぉっふぉ!」

「うわ、なにこのクソジジイ。ちょっと、兄貴! 蹴っ飛ばしていい? なれなれしいんだけど」

「いえ、お待ち下さい、いろはさん。ご高齢とはいえ、性欲を持て余してるだけかもしれません。……失敗しました、昨夜ひふみさんに全て試製性処理用避妊膜しせいせいしょりようひにんまくを処分されてしまいました」


 ただのスケベジジイがそこにはいた。

 それが仮面の下の素顔だと、この時ひふみは完全に誤解してしまっていた。親しみやすく優しい老紳士……が、本当はいい年して下心丸出しだった。

 だが、それもまた仮面……そのことを海に出てから、ひふみは思い知らされるのだった。

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