第12話「夜汽車は北へ」

 夜汽車よぎしゃは闇を突き抜け走る。

 国鉄の時刻表には存在しない、極秘の貨物列車だ。

 特装班とくそうはんは全ての装備を貨物に偽装し、夕暮れの東京を出た。上野を過ぎて日が落ちれば、既に周囲は真っ暗である。点在する光は、いかにも荒涼こうりょうたる影に飲み込まれていた。

 ひふみは今、最後尾の客車からデッキに出ていた。

 自分の下を流れてゆく線路が、ライトに照らされぼんやりと揺れている。


「単純計算で、12%の性能UPアップ……ま、こんなもんだろうな」


 ひふみが手元のランプで見ているのは、新しい両腕を装備した予備機、参号機さんごうきのテスト運転結果である。やはり、精度がワンランク高い部品で構成されたパーツは性能が違った。ほんのわずかな差、コンマ数ミリレベルでも大違いである。

 摩擦抵抗フリクションがより少なく、なめらかで軽い。

 そのことはまだ秘密だし、振り返れば黙ってもいたくなる。

 大人たちは客車の方で宴会を始めている。

 整備部にはひふみより少し上の少年少女たちもいるが、あっちはもう大人気分なのだろう。そんな騒がしい客車から、いろはがやってきた。


兄貴あにきっ、寒くない? ほらっ、暖かくしないと風邪引いちゃう!」


 いろはは毛布をマントのように広げると、そのまま背中に張り付いてきた。

 冷たい秋の風が、柔らかな体温に上書きされてゆく。

 そのまま耳元に白い息を吐きながら、いろはが手元を覗き込んでくる。


「あっ、予備機も直ったんだ?」

「まあね。ただちょっと」

「ただ、ちょっと?」


 出処でどころが怪しい。

 というか、あれはチキのパーツでありながら、全く違うものだ。

 見た目も材質も同じ規格なのに、性能は別物である。

 もし安全性が実証されたら、実働機のと取り替える必要があった。だが、疑念が消えない……結局セリエナは、パーツの出自に辿り着けなかった。

 必死に調べてくれたらしく、調査は今も続行中である。


「そういえば、セリエナさんは」

「ああ、あの外人さん? なんか、お酒飲んで泣いてたよ?」

「……なんで?」

「さあ? 泣き上戸じょうご、っていうんだよね。なんか、弾児だんじとかおやっさんと飲んでて、泣きまくってた。ウオーン! て」

「ウオーン、か……そっか」


 おおかた、戦時中の苦労話でも聞かされているのだろう。まったく人のいいお姉さんで、ほとほと軍人には向いてないなと思った。ひふみでもそう思うのだから、他の連中も一緒だろう。

 こんな人がアメリカ人で、今は共に日本を守るために戦ってくれてる。

 しかし、この日本を焦土にしたのもまた、アメリカ人だ。

 そして今度は、朝鮮半島で再び戦争が始まっている。


「あんな人でも軍人やらなきゃいけないなんて、戦争はヤだね」

「だよね、兄貴。なんかさあ、あの人アタシに勉強教えるとか言い出したんだけど」

「ああ、僕が頼んだ」

「いいよー、そんなの! 勉強ヤダ! それより、もっと射撃がうまくなりたいな」


 ギュッ、といろはがしがみついてくる。

 密着度が増して、なだらかな胸のささやかな膨らみが、服を通して肌に浸透してきた。まるで赤ちゃんみたいに体温が高くて、あっという間にぬくもりが全身に伝わる。

 一つの毛布にくるまったまま、二人は夜風の中に目を凝らす。

 復興が進んでいるのも帝都周辺が中心で、ちょっと遠ざかればこうだ。

 微かにいその香りがするが、海も陸も漆黒の闇に沈んで全く見えない。


「ね、兄貴……ちょっとさ、こっち向いてよ」

「ん、やだ。……そういえば、見落としてた。この数値……油脂系オイルもワンランク上か」

「もー、おんぶに抱っこじゃなくてさー! 兄貴ー!」

「いや待って、メモが読めな――ちょ、ちょっと、いろは?」


 毛布の中でもぞもぞといろはが動き出す。

 前に回って対面の形で座る気だ。

 それはひふみには、ちょっと困る。

 義理とはいえ妹だし、ひふみだって健全な青少年だからだ。

 そんな訳で、もちゃもちゃともみ合っていると、背後で扉が開いた。


「ひふみ君、いろはさんも。熱いお茶をお持ちしました。……ハッ! これは失礼しました」


 ミマルだった。

 彼女は大げさに目を丸くして、そして湯呑ゆのみを持ったまま引き返そうとする。

 客車のストーブにはやかんが乗ってたし、熱燗あつかんのお銚子ちょうしが何本も突き刺さってたのをひふみは思い出す。同時に、まずいと思った。

 ミマルには、なにをやっているように見えただろうか。

 がというか、ように見えてしまっただろうか。


「待って、ミマル。勘違いだ。僕たちは兄妹きょうだいだし――」

「おじゃま虫ー! あ、でもお茶は置いてってよ。寒いんだしさ」

「わかりました。それと」


 ミマルは真顔でぐっと屈み込む。

 眼の前に精緻せいちな小顔が迫って、思わずひふみは呼吸が止まった。それはどうやら、いろはも同じのようだ。同性でもわかるのだろう……異次元の美貌は、まるでおとぎ話の女神様だ。

 だが、この女神様は凄腕の操縦士パイロットで、謎多き少女である。

 0ゼロが三つでミマルという名前からして、普通じゃない。


「お二人が血の繋がった兄妹ではないことは聞いています。問題ありません」

「いや、ちょっと、誤解しないでね? ね、ミマル……僕にとっていろはは」

「ただ、避妊ひにんには万全の注意を払わねばなりません。さ、これを」


 流石さすがのいろはも、真っ赤になった。

 逆にひふみは、キリリと無表情のミマルを前に青くなる。

 なにを言ってるんだこの人はと思った時には、小さな包み紙を渡されていた。それをミマルはひふみに握らせ、さらに手を重ねてくる。


「あ、あのね、ミマル。僕たちはそういう関係では」

「そ、そうだよっ! ……だ、だって、生えてないから恥ずかしいし。それに、兄貴となら赤ちゃんできてもいいんだもん!」


 そっとひふみは、すがるような思いで客車内を見やる。

 大人たちは大いに盛り上がっていて、どんちゃん騒ぎで歌えや踊れやである。

 助けて欲しい、むしろ救援求む。

 だが、残念ながら孤立無援こりつむえんのようだった。

 そして、ひふみは手の中の小さな包に目を落とした。なにかしらの薬剤らしいが服用するタイプのものにも思えない。むしろ、着用するような感じで、それは――


「……ミマル。これは」

「はい。旧帝国海軍が開発した、試製性処理用避妊膜しせいせいしょりようひにんまくです。これをひふみ君の局部に装着することで」

「ごめん、返す」

「避妊はとても大事なことですが」

「っていうか、なんでミマルがそんなもの持ってるのさ」


 全く持って理解不能である。

 男性が装着する避妊具らしく、よく見れば御巫製薬の刻印がある。

 あの会社、なんでも作ってるんだなと思った、その時だった。

 ミマルがぽつりと、とんでもない一言を漏らした。


「戦時中の性処理任務では、それを使ってもらうよう言われていました」

「……は?」

「あちこちを実験と訓練で回りましたが、成人男性特有の問題なのでしかたがありません」

「いや、それって……いいや、ちょっとミマル。持ってるの全部出して」


 きょとんとしてしまったミマルだが、ツナギのポケットから次々と例の避妊具を取り出す。ひふみの両手の上に、ちょっとした小山ができてしまった。

 これをミマルは、ずっと常備させられているのだ。

 ミマル自身を大人たちが、男たちが使うために。

 そして、そのことを全く気にしていないミマル自身にもひふみは腹が立った。

 だから、背後へ飛び去る夜の闇へと、手にした全てをばらまき捨てる。


「あ……いけません、必要な備品です」

「いけなくない! こんなもの、ここでは必要ないんだ! 僕たちには必要ないっ!」


 弾児やおやっさんは、そういう人間ではない。

 この特装班に、ミマルを道具扱いするような大人はいないのだ。

 同時に、今までがそうだったと暗に知らされ、ショックと混乱の中でひふみは息を荒げてしまった。

 逆に、なにを思ったかミマルはうつむき黙ってしまった。

 ぼんやり暗い中でも、彼女が耳まで真っ赤になっているのがわかった。


「ひふみ君、今のは」

「君はチキ零号機ゼロごうきの操縦士。僕たちの中では一番練度の高いベテラン、エースだ。それで十分だろう? それ以外のことは、やりたいことだけ、楽しいことだけやればいいんだ」

「……ひふみ君と、わたしには、あれは必要ない、と?」

「当たり前だっ!」


 なにかが、すれ違った。

 結ばれ混じる可能性を持って、行き交ったのだ。

 それがひふみには全く気付かなかったし、自覚していなかった。

 ただ、まばたきを繰り返すミマルがようやく顔を上げてくれる。赤面に火照ほてった彼女のほおを、小さな光が流れていた。それが自分でも不思議なのか、しきりに彼女は手の甲で涙を拭う。

 そんなひふみとミマルを交互に見ていたいろはが、突然「あーっ!」と叫んだ。


「この女めーっ! そういう意味じゃないっての! 兄貴、勘違いされてるよ! 面倒なことになる!」

「え? いや、それってどういう……!?」

「……しまった、兄貴もこの手の話はまるで駄目な朴念仁ぼくねんじんだった。と、とにかく、ミマルッ!」


 毛布を脱ぎ出たいろはは、長身のミマルに抱き着いた。そして背伸びしていい子いい子と頭を撫でる。突然のことで、ミマルはますます真っ赤になっていった。


「す、すみません、いろはさん。突然涙が……わたしは機能不全におちいりつつあります」

「いいの! 泣いたっていい! この馬鹿、もう……いい? もっと自分を大事にだよ? 命も身体も、気持ちだって、大事にすれば一生使えるんだから!」

「ありがとうございます。いろはさんにこんなこと言わせてしまうなんて……まだ生え揃っていないいろはさんに」

「ブッ飛ばすわよ!? ……ミマル、アンタ馬鹿過ぎるよ」


 いろはの怒りもそうだが、彼女なりの気遣いが女の子らしくて嬉しかった。

 戦争はいいことなんて一つもない。

 個人の自由もとみも、本人の命や心でさえ壊してゆく。

 その戦争を今も、世界のどこかで人類はやっている。

 そのための決戦兵器たちを処理するひふみたちも、そういう意味では同じかも知れないのだった。

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