第7話「在りし日の夢」
ひふみは夢を見ていた。
正午を少し過ぎて全作業が終了し、遅い昼飯を食べたあとの仮眠……初めての実戦による疲れもあってか、
しかし、その悪魔は古い夢を連れてくる。
気がつけばひふみは、上下に流れる人々の姿を見ていた。
(あ……また、この夢か)
紹和20年12月……
人々は皆、足早に垂直の壁を歩いていた。雪もちらつき始めた、そこは東京駅だったとひふみは記憶していた。
そして、ひふみは倒れたまま動けない。
自分が横になっているから、周囲が壁を歩いてる用に見えるのだ。
(そう、この時に僕は死ぬ筈、だった……かな)
極度の栄養失調で、この時代に無数の浮浪児が死んだ。
無論、皆が戦災孤児だった。
ひふみも当時10才、そうして消えゆく命の一つだった。
だが、そんな彼を必死で支える小さな女の子の姿があった。
『
いろはだ。
いつの頃からか、ひふみの妹を名乗る少女が隣にいた。
童女といってもいい、あどけない娘だ。
自分同様にガラガラに
それでも、彼女はいつも笑顔で金品を持ってくる。
どこからか、盗んでくる。
『待っててね、兄貴! アタシ、ご飯にしてくる。今日はこれ、沢山のご飯になるよ!』
いろはが持っているのは、金色の
ピカピカと綺麗に輝き、曇り空の下でも
同時に、僅かな違和感を感じる。
でも、身動きができなくて、その時のひふみは言葉も絞り出せなかった。
『いつものオヤジのとこで、お金に換えて……それから……あっ!』
不意に、いろはの背後に人影が立った。
当時まだ珍しくなかった、旧帝国海軍の軍服を着た
どうやら、いろはは後をつけられていたらしい。
『お嬢ちゃん、それは大切なものでね……返してもらえるかな?』
『あ、あ……うううっ』
『この私からかすめ取るとはね。なんの気配も感じない、俊敏な動きだったよ』
『や、やだっ! これは拾ったの! お金に変えて、兄貴にご飯食べさせるの!』
周囲の人々が何割か、脚を止めた。
それに、謎の麗人には部下らしき軍服姿が集まってくる。
まずいと思ったが、ひふみの耳にはそれとは異なる音が聴こえていた。
だから、精一杯の力を振り絞って身を起こす。
『あ、あの……』
『ん? 君がお兄さんかな? 警察に突き出せば、君の妹は施設行きだ。今なら君も一緒にというはからいもできるが』
『そ、の、時計……』
『ん、これかい?』
震える手を伸べて、いろはの肩を掴む。
いろははまだ、両手で握り締めた懐中時計を離そうとはしていなかった。
その手の光は今、チクタクと時間を歌っている。
ひふみにはすぐに、その違和感がわかった。
『……時間が、狂っ、て、ます……多分、内部に……壊れ……部品が、多分……』
その一秒は、少し、ほんの少し長い。
僅かなズレがひふみには感じられたし、その積み重ねが一日で数秒のズレになる。精密機械
だが、小さな頃から機械いじりが好きだったひふみには、はっきりとわかったのだ。
『……そうか、それで気付けば時間が進んでしまうのか。……少年、直せるかね?』
『やれ、ます』
『やります、ではなく、やれます、か……フフ、実にいい返事だ』
そうして二人は、その男に……実は女だった、
その時にはもう、極秘の計画は動き出していたのだ。
戦後の日本を影から襲う、旧大戦の
その時の志郎の手が、自分を抱き起こしてくれた温かさを忘れない。
彼は汚れて酷く臭う自分といろはを、気にせず抱き上げ救ってくれたのだ。
そして、夕暮れ時の西日にひふみは目を覚ます。
「おう、起きたかひふみ。夢でも見ていたか? うなされてたぜ」
布団を出て振り返れば、窓際に
彼は夕焼けの中で
その目が遠くを見据えて、眩しそうに細められていた。
「もうすぐ飯だってよ。んで、そのあとまた深夜に移動だ」
「……今、何時ですか?」
「四時を回ったとこだ。日が落ちるのも早くなってきたな、もう秋だぜ」
周囲では、まだ寝ている者もいるし、
進駐軍の基地ほど、今の日本で機密性の高い土地はない。
そしてまた今夜、闇夜に紛れての移動となるのだ。
「なんだか、久しぶりに夢を見たんです、弾児さん」
「悪い夢か?」
「いえ、まあ……懐かしい夢です。あれがなければ死んでいた、的な」
「……そういうのがお前にもあるか。まあ、そんな時代だったからな、戦争は」
弾児は、灰皿へと短くなった煙草を
そうして、二本目を取り出しながらポツリと呟いた。
「俺ぁ、特攻隊だったんだがよ……終戦のあの日をよく、夢に見る」
「特攻隊、って」
「神風特攻隊、人間爆弾さ。今まさに、飛び立つ瞬間だった。気持ち悪いくらい綺麗に晴れててよ、愛機も嫌んなるくらい調子がよかった」
だが、離陸寸前にその一報はもたらされた。
紹和20年8月15日……
それは、弾児の乗る零戦が今まさに、滑走路へ向かって離陸準備を終えた直後だった。
間一髪とはこのことだと、今の弾児は笑って見せる。
その笑顔も、影に別種の想いが感じられた。
「まあ、死に損なったのはいいが、家族はみんな広島でな。天涯孤独で手に職もねえ」
「それで、
「志郎は当時から、
そう、榊原志郎は謎の男。
そして、その正体は女だ。
沖縄の激戦を生き残ったというが、その全身は古傷に飾られ直視もはばかられる。そんな体を男装で覆って、彼は
この特装班の人間は、全て彼が独断で集めた特殊な人材だった。
そうこうしていると、
「あっ、兄貴! 起きたんだね、おはよっ! ……ちょっと、聞いてよ兄貴!」
「いろは……元気、出たんだね。おはよう」
「アタシ、またしなびてたでしょ? でね、ミマルがね」
そのミマルも、いろはに続いて姿を現す。
彼女は大きなトレイに
対象的に、いろはは感情を爆発させながら尻尾のようにお下げ髪を震わせる。
「ミマルってば酷いの、アタシを物みたいにゴシゴシ洗って」
「死体の洗浄には慣れてますので」
「っさいわね! もぉ! でねでね、兄貴。髪も洗って、乾かして
文句を言ってるのかなんなのか、よくわからない。
けど、特装班最年少の少女が話せば、周囲に笑顔が広がった。
だが、それも突然凍りつく。
「でも、ミマルってば最低! アタシ、嫌いだな! 酷いのはここからで」
「安心してください、いろはさん。
「だから、うるさいっての! バカ! 死ね! ……なんでここでそんなこと言うのよ……」
場の空気が凍った。
まあ、ひふみは昔から知っていたが、いろはの心身は成長が遅い。
あの厳しい戦後を、十分な栄養も取れずに育ったからだと思っていた。彼女はいつも、食べるものがあれば全部ひふみに与えてくれていたのだ。
その彼女が、幼児体型を気にしてることも知っていた。
気にせず一緒に入浴することもあったから……まだまだ女性的ではないことも知っていたし、月のものが来ていないのも聞いていた。
だが、そのことをミマルが真顔でばらしてしまったのだ。
「大丈夫です、いろはさん。わたしの妹にも、そうした前例は」
「だから、やめろっての!」
「はい、やめます。以後、いろはさんの無毛に関する情報を機密に指定」
「くそぉ……自分は生えてるからって、偉そうに」
そして、夕食の時間が部屋に告げられる。
いたたまれなさに、大人たちは我先にと食堂に向かっていった。
むくれて唇を尖らせるいろはは、ようやく普段の勝ち気で強気な姿を取り戻すのだった。
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