第6話「日本にして日本じゃない場所」

 そして夜が明けた。

 現場での初戦闘、そして痕跡の消去と撤収……早朝の日を浴びて、ひふみは痛むまぶたをこする。

 復興に沸き立つかつての帝都、東京。

 朝靄あさもやけむるその街は、午前五時を前にまだまだ眠りをむさぼっていた。

 それが、自分たちの守っている平和だという実感。


「おーい、いろは? 今日はこの基地で……いろはってば」


 ひふみたちのトレーラーが逃げ込むように入ったのは、厚木飛行場だ。

 かつてこの地にダグラス・マッカーサーが降り立ち、GHQによる日本の戦後統治が始まった。それも今年の春に終わって、それでもまだまだ進駐軍の駐屯ちゅうとんは続いている。

 いつか、戦後と呼ばれる時代が終わるかもしれない。

 その未来が訪れるかどうかは、ひふみたち特装班とくそうはん双肩そうけんにかかっていた。


「いろは、寝てるのか?」

「ん、起きてる……」

「えっと、いつものやつ?」

「そう、それ。気にしないで」

「そう言われてもなあ」


 助手席のいろはは、膝を抱えて座ったまま動かない。

 多分、あと小一時間はこの状態が続くだろう。

 ひふみは実際、妹のいろはがどこの誰かも知らないのだ。自分と同じ真中の姓を名乗らせているが、血は繋がっていない。戦後の混乱期を浮浪児となって生きていた時代に、気付けば二人は兄妹きょうだいになっていた。

 そうでなければ、今頃はもう死んでいただろう。

 ただ、特脚とっきゃくの操縦士になってからの彼女はよく理解していた。

 そして、反対側のドアが開く。


「ひふみ君、基地で休んでいいそうです。シャワーも使えるとのことで……ひふみ君?」


 ミマルだ。

 あれだけ激しい戦闘をしたにも関わらず、ミマルは澄ました顔の無表情だ。

 それは、表情どころか感情そのものが一時停止してしまったいろはとはまるで違う。


「ああ、ミマル。弾児だんじさんは?」

「イッパイノンデネル、を実行中です。……どのような待機状態でしょうか」

「ああ、うん。いいんだ。僕はいろはを見てるから、もう少し」


 ぼんやりといろはが、首だけをめぐらしミマルを見詰めていた。

 ミマルもまた、助手席のドアを明けたまま固まっている。

 だが、フンス! と突然ミマルはツナギの上を脱ぐ。唯一の着衣らしきインナーのシャツが、かすかに汗を吸って皮膚に張り付いていた。優美な曲線が浮き出てしまっていて、思わずひふみは視線を逸らす。


「いろはさんはわたしが。問題ありません、小さな子の扱いには慣れています」

「そ、そうなの? 弟とか妹、いるんだ」

「ええ、以前は沢山。さ、いろはさん。全身を洗浄した後、仮眠を取りましょう」


 よいしょ、とミマルは無気力ないろはを米俵こめだわらのように肩にかつぐ。

 大した胆力たんりょくだが、いろははぴくりとも反応しない。

 いろはは、何故なぜか激しい戦闘後に虚脱状態スーパー賢者タイムになることが多かった。模擬戦でも時折この症状が見られ、精神科医たちは首をひねるばかりであった。

 多分、ひふみの知らないことでいろはは病んでいる。

 見えない病魔に心をむしばまれているのだ。

 それは、あの戦争を経験した誰もがそうなのかもしれない。


「意外と重いですね、いろはさん。安心してください、隅々まで洗ってあげますので」

「はなせー、このやろー……アタシ、重くないもん」

「わたしも野郎ではありません。では」


 口ばかり反論しつつも、ぐったりとしたままいろはは運ばれていった。

 案外、二人は仲良くなれるかもしれない。

 ふとそう思ったら、急に眠気が込み上げてくる。

 それでも、おやっさんこと工助こうすけ、そして整備班の皆を先に手伝わなければいけない。操縦士は戦いが終われば解放されるが、整備士はそのあとからが戦いの始まりである。


「さて、忙しくなるぞ。砂をんだ脚部の洗浄とチェック、ええと、それから――」


 トレーラーをバックでかまぼこ型の建物に寄せようとする。

 特装班はあくまでお忍び、極秘任務のための特殊な戦術単位である。ゆえに、こうして米軍が占領した基地も使わせてもらえるし、そのことは国民はおろか多くの米兵たちにも知られていなかった。

 そう言われていたから、まさか声をかけられるとは思いもしなかったのである。


「ちょっと、キミ! なんで君みたいな子供が? とにかく、ちょっと降りてらっしゃい!」


 突然、呼び止められた。

 少し発音のギクシャクとした、カタカナを連ねたような日本語だった。

 ミマルとは別種の堅苦しさに、思わずサイドミラーを見やる。そこには、腰に手を当て歩み寄るアメリカ人の姿があった。眼鏡めがねの似合う美人で、朝の風に金髪が棚引たなびいている。

 やれやれと停車し、ひふみは運転席から飛び降りた。


「おはようございます。僕になにか?」

「なにかもなにも、ないでしょう? どこから入ったの、まったく。どこの子かしら!」

「えっと、特装班の整備士ですけど」

「……ホワット? え、えっ、今なんて?」


 背が高い上にヒールをはいてて、自然と見上げる形でひふみは黙る。

 他の者たちと同じツナギを着てるし、派手なオレンジ色は視認性を重視してるからだ。作業現場では、人身事故が一番危ないとされている。

 レンズの奥に星空みたいな瞳をまたたかせながら、美女はさらに詰め寄ってくる。


「特装班って、あの? 志郎しろうの言ってた、警察予備隊……改め、保安隊の? 第零管区隊特務装脚班だいゼロかんくたいとくむそうきゃくはんなの?」

「ええ。さっき、一仕事ひとしごとしてきたばかりです」

「なんてことなの……こんな子供を戦争に使ってるなんて」

「そうですか? 死ぬよりはマシですよ。殺されるよりずっとね」


 顔を手で覆いつつも、オーバーなリアクションで金髪美人はよろめいた。

 そして、事情もわからぬひふみの背後でいつもの落ち着いた声。


御苦労ごくろう、セリエナ・アドマイヤー大尉。彼は私たちの貴重な人材、戦力だよ」


 志郎だ。

 彼女は……いな、彼を演じる人物は、そのまま隣に並ぶとポンと背を叩いた。

 志郎だけはスーツ姿なので、軍服のセリエナとやらに相対しても違和感はない。

 それどころか、少し慌てた相手に比べて、嫌になるくらい堂々としていた。


「志郎、アナタ本気なの?」

「日本語がまだ下手へただね、セリエナ。問うならこうだろう? ? と」

「と、とにかく、さっきもちらりと女の子を見たわ! ハイスクールくらいの」

「あいにくと、どこぞの国が派手にやってくれてね。我が国は人員不足なんだ」


 言いたいように言って相手を黙らせると、取り出した懐中時計に目を落とす志郎。そして、わざとらしく思い出したように「ああ、そうそう」と彼女を紹介してくれた。


「ひふみ、彼女はセリエナ・アドマイヤー、米陸軍の大尉殿だ。我々特装班のお目付け役だよ。彼女を始めとする一部の米兵しか、我々の行動を知らないし関知しない。ただ、補給は心配ないという話だよ」


 軽い目眩めまいを振り払うような手振りのあと、セリエナは白い手を差し出してきた。


「ええと、ひふみ? だったわね。よろしく頼むわ。ごめんなさいね、驚いてしまって」

「あ、いえ」


 握手に応じようとして、ふと手を止める。

 見下ろせば、ひふみの両手は機械油の黒い臭いがまだまだ染み付いていた。洗えばある程度は綺麗になるが、手ぬぐいでこする程度じゃどうにもならない。

 それで握手を拒む素振りを見せたが、セリエナは無理に手を取って握り、さらにもう片方の手を重ねる。


「立派に戦ってるのね、キミ。……どうして、こんなことに」

「あ、えっと、勘違いしないでください。自分の意志でやってます。僕も妹も、衣食住に不自由ないんで、かえってありがたいんですよ」


 事実だ。

 終戦してもう7年……まだ7年だ。

 復興未だ半ばで、先日ようやく日本は主権を回復したばかりである。

 そんな世の中で、身寄りのない子供が生きていく道は多くはない。孤児院はどこも満員御礼で、路地裏に暮せば危険ばかりの明日をも知れぬ命だ。

 ひふみとしてはむしろ、いろはを比較的安全に養える場所にいると思っている。

 機械いじりは得意だったし、いろはも特脚の操縦に才能を発揮しているのも大きかった。


「さて、セリエナ。まずは休息を取ってもいいだろうか?」

「え、ええ、それは構わないわ。宿舎の一部を解放します。ただ」

「おっと、特脚に……チキに興味があるかい? 悪いけどダメだね、触らせられない」

「ステイツに秘密を抱えたまま戦うつもり?」


 なんだか、二人の間の空気が冷たく圧縮されてゆく。

 そのまま二国間、日米の関係を見せられているかのようだ。

 だが、その緊張を先に解いて笑ったのは志郎の方だった。


「冗談だよ、セリエナ。でも、チキに触るのだけは本当に勘弁してくれ。この通りだ、頼むよ。じゃないと、ジャパニーズ・ハラキリを見る羽目になるからね?」

「ホワイ!? え、あ、んと、軍事機密的な? そうならそうと」

「違う。我々は決号計画けつごうけいかくを全て根絶やしにする。……それは、決零号けつゼロごうも例外ではない。


 ――

 言うまでもなく、二〇式特殊工作車フタマルしきとくしゅこうさくしゃ……二〇式特務装脚車フタマルしきとくむそうきゃくしゃチキのことである。

 正確には、その頭部に搭載されたブラックボックス、電魂演算球でんこんえんざんきゅう"アラタマ"のことである。これもまた、本土決戦を覚悟した旧軍部によって開発された決号作戦のための兵器なのだ。

 その構造や原理は、まったくもって解明されていない。

 アレだけの大きさの人型重機を、僅かなレバーとペダルで自在に動かせる謎の演算装置。それ以外のことはひふみも知らない。強化硝子きょうかガラスの頭部バイザー奥に修められ、時折あかく輝く……何故発光するのかすら、誰にもわからないのだ。


「……オーケー、わかったわ。とりあえず、基地内の人間を近付けないようにしておきましょ。それと」

「わかってるよ、セリエナ。特装班の責任者はこの私だ。まずは誰から根回ししていけばいいのかな?」

「話が早くて助かるわ。そうね、まずは基地司令、次に――」


 二人はそのまま喋りながら行ってしまった。

 ひふみも大きなあくびを一つ零して、再びトレーラーに戻る。

 今はもう、あたたかな布団のことしか考えられない。だが、整備に手は抜けないし、寝られるのは昼過ぎくらいになるだろう。

 この時の日本人、そして地球人はまだ知らない。

 寝不足や徹夜が、いい仕事の大敵であるということを。

 そして、未知の敵はそれを知ってたとしても襲ってくるのだった。

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