第4話「初めての、敵」

 その夜、日付が変わって組織は刷新された。

 警察予備隊けいさつよびたい、改め……保安隊ほあんたい

 そして、その中に秘匿ひとくされた別働隊が編成されていることを世界は知らない。それは同時に、ひふみたちが世界から切り離されたことを意味していた。

 今、緊急出撃でひふみは大型トレーラーを運転していた。

 助手席には、ふてくされた顔のいろはが丸く座ってる。


「……ほんとーに? 本当に、なにもなかった? ねえ、兄貴あにき


 基地である廃工場を出てから、かれこれ二時間。

 ようやく海が見えてきても、いろはは同じ言葉を繰り返している。

 運転しつつ、ひふみもまた同じ答えを返すほかなかった。


「だから、誤解だよいろは。僕はミマルとはなにも」

「だって、あの女! 素っ裸すっぱだかで出てきたんだよ!」

「ああ、うん。困ったよね、僕もびっくりした」

「……そのあと、兄貴があの女の服を持って、追いかけてた」

「しょうがないさ。裸でウロウロされたらかなわないし」


 ひふみは平静を装って、穏やかに話す。

 妹のいろはは激情家で、感情の起伏が大きい。そういう子供っぽいところも、ひふみにとってはかわいいものだった。だから、扱いには慣れてるし嫌じゃなかった。

 激しい追求を受けながらの運転で、闇夜を裂いて車両は走る。

 トレーラーには、二〇式特殊工作車フタマルしきとくしゅこうさくしゃことチキが搭載されている。

 無論、公的には重機、工作機械なので問題はない。

 ただ、一緒に大砲レベルの銃火器も満載していた。


「まぁ、いいけどぉ……兄貴さあ、アタシの時でも追っかけてくれる?」

「いろはは全裸で飛び出るほど非常識じゃないでしょ」

「まーねー? でもさぁ……なーんか、気になるんですけどぉ」


 長い長いおさげ髪を指にいらいながら、いろはは機嫌を直してはくれない。

 彼女が自分を兄以上の存在に思っていることを、ひふみは知っていた。けど、その想いに応えることはできない。妹以外のなにものでもない、と決めているからだ。

 二人には戸籍こせきがない。

 戦争により消失し、二人共身寄りがない戦災孤児だったからだ。

 なかった、という表現が正しい。

 志郎しろうに拾われ、新たに兄妹きょうだいとして登録し直したのである。勿論、公文書偽造にあたる。


「ああ、そうそう。いろは、弐号機にごうきの足回りを少しいじったよ」

「えっ、ホント!? やたっ! でも、どやって? 本当に削っちゃった感じ?」

「まさか。かかとのアイゼンを小型化したんだ。接地面が減って不安定だけど」

「いーの、いーの! アタシなら乗りこなせる!」


 いろはが若干14歳で危険な操縦士を務めているのには、これには訳がある。

 幸か不幸か、彼女には類稀たぐいまれなる反射神経があった。

 ようするに、操縦の適性があったのである。

 そして、志郎は……志郎を名乗り演じるあの女は、慈善事業でひふみたちを拾った訳ではない。ある特別な任務のための、死んでも困らない人材が必要だっただけの話だ。


「っと、到着したみたいだね」

「海だ……ねね、兄貴。チキって水の中も大丈夫なの?」

「水深20mまでならね。でも、運動性ガタ落ちだし、あとで整備が大変だから困るかな」

びちゃうかもだしね」


 先導する小さなジープが、坂を下って砂浜に出た。

 ここがどの辺りかは不明だが、東京湾に面した海辺というところだろう。真っ暗な海は闇夜よりも黒く、寄せては返す波も音しか聴こえない。

 だが、ジープの停車前に飛び降りた志郎が、懐から懐中時計を取り出す。

 それを見ながら、無線にかじりつく同乗者を振り返った。

 なにやら観測所とやり取りをしているらしいが、周囲は静かで平和そのものだ。


「あのさ、兄貴。その……決号計画けつごうけいかくって、なに? 敵なんだよね?」

「僕もよくは知らない、けどね。ようするに、あの戦争が残した無人兵器らしいよ」

「そなんだ。人が乗ってないんなら、殺しちゃってもいいんだよね!」

「機械は死なないけどね。徹底的に破壊しろって、志郎さんには言われてる」


 ――決号作戦。

 かつて、アメリカを中心とした連合国軍との戦争のさなか、本土決戦のために軍部は最終兵器の開発を急いだ。それが、決号計画と呼ばれる一連の無人兵器群である。

 一億総火の玉となって、玉砕覚悟で戦うのが決号作戦だ。

 作戦とは名ばかりの、戦略的に戦術的にも無謀な計画である。

 だが、そのために生まれた殺戮装置キルマシーンたちは、戦後の今も生きているのだ。


「あ、ここでチキを下ろすみたいだ。いろは」

「うん、ちょっと行ってくる」

「気をつけて。あと」

「わかってるよー、あんましチキを壊すなって言うんでしょ?」

「……それもあるけど、僕は妹の方が心配なんだよね。だから、頼むよ。怪我したりしないでね。いざとなったら逃げればいいんだし」


 皆が訓練を受けているし、事前に決号計画のなんたるかを座学で知ってもいる。

 だが、それだけだ。

 その実、実戦も未経験だし、敵の具体的な正体もわからない。

 わかっているのは、ただ一つ。無理に無理を重ねた憲法解釈の末に生まれた、旧帝国陸軍の遺産を使ってまでも倒さねばならぬ敵だということ。それも極秘裏にだ。

 いろはに続いてトレーラーの運転席を降りて、海風に作業着のえりを立てる。

 不気味な静けさの中、月のない夜を遠くのサーチライトが切り裂いていた。


「ひふみ、準備はいいな? 全機、起こせ……あらゆる武器の使用を許可する」


 こんな時でも、志郎は落ち着いている。

 その白い横顔を見て、つい数時間前までのことをひふみは思い出してしまった。

 兄妹の保護者にして飼い主は、女性だった。

 本物の榊原志郎さかきばらしろうは、すでに死んでいるという。

 では、彼女は何者か?

 全身古傷だらけの女性は、今もりんとしたたたずまいで周囲の指揮を取っている。

 とりあえず、ひふみは周囲の仲間とトレーラーの荷台から保護シートを外す。同時に、ゆっくりとチキは立ち上がった。

 そう、車両扱いだが両脚がある。

 特務装脚車とくむそうきゃくしゃ、通称『特脚とっきゃく』とはよく言ったものだ。


零号機ぜろごうき壱号機いちごうき、それに弐号機も……稼働状態は良好、と」


 毎日ひふみたち整備班が、手間暇かけてメンテナンスしたのだ。ここ一番で動かないはずがない。だが、初めての実戦は不安だし、操縦士たちはもっと心配だろう。

 だが、白い零号機は躊躇ちゅうちょなく砂浜へと歩き出した。

 その歩調は安定していて、気負いを感じない。

 酷く慣れた印象で、改めてひふみはミマルに疑問を抱く。彼女が持ってきた零号機も、おやっさんが説明してくれた通り、かなりのハイチューンドである。

 それに比べて、よたよたと壱号機と弐号機は少し頼りない。


『ちょ、ちょっと、なにこれ! って、砂の上だからかぁ。もぉ、歩きづらいっ!』

『おじょう、俺より前に出るなよ? あと、そっちの白いの、ミマル! お前もだ』

『了解、早乙女班長』


 ややずんぐりむっくりとした印象で、特に弾児だんじといろはの機体は特に鈍重に見えた。

 対して、同じ機体の色違いでも、零号機のミマルはやはりスムーズに動く。

 三機はM1カービンを構えて、波打ち際まで歩いて足元を洗われていた。

 そして、待ち受けていたかのように海面が泡立つ。

 機体のスピーカーを通して喋っていた三人に、志郎が声を張り上げた。


「各機、展開! 来るぞ、応戦しろっ!」


 そして敵が現れた。

 そう、決号作戦のために生まれた、人類史上最悪の兵器だ。

 最初、それを見たひふみの第一印象は、


「……輪っか、だ? え、あれが? なんだろう、でもどこかで」


 ただの丸い輪に見えた。

 闇夜にぼんやり光って浮かぶ、直径10m前後の輪だ。車輪みたいなそれは、空中で回転しながら月のように滞空して漂う。

 誰もが呆気あっけに取られてる中、真っ先に行動したのはミマルの零号機だった。


『目標視認、攻撃します』


 機械が喋るような声音に、機械的な動作。

 正確無比な狙いで、軽々片手で零号機がM1カービンを構える。

 瞬間、轟音とともに火線が夜を引き裂いた。

 曳光弾えいこうだんを交えた弾丸が、空中の車輪に吸い込まれてゆく。その足元では、整備班のおやっさんたちが降り注ぐ空薬莢からやっきょうから逃げ惑っていた。

 瓶ビールほどのサイズの熱した金属だ、当たれば怪我では済まない。

 だが、ミマルは周囲を気にした様子もなく射撃を続けていた。


「おやっさん、こっちへ!」

「おう、ひふみ! すまんな、ミマルはいつも無茶ばかりしよる」

「……彼女、手慣れてますよね。僕たちだって訓練はしてるんですが」

「まあ、なに……本業、みたいなものだと思ってくれ」

「はあ」


 遅れて他の二機も攻撃を開始した。

 深夜の空気を燃やして震わす、銃声の三重奏が敵を蜂の巣はちのすにしてゆく。

 ――かに、思われた。


「……効いてない? これだけの火力で?」


 ひふみの呟きに、謎の敵は炎で応えた。

 突然、光る車輪のそこかしこから真っ赤な炎が吹き出したのだ。

 その姿は、まるで日本の昔話に出てくる妖怪である。文字通り、火の車となって決号計画は回転速度を増していった。

 そして、ひふみは既視感デジャヴの正体に気付く。

 以前、整備士たちの間で回し読みしていた資料が思い出されたのだ。


「たしか……? だっけ? それも、あんな特大の……どうして」


 昔、英国がノルマンディー上陸作戦に備えて設計した、新兵器があったという。失敗に終わったそれが今、高速回転しながら砂浜に降り立った。

 次の瞬間、ひふみたちは思い知ることになる。

 他国の秘密兵器や失敗兵器でさえも、貪欲に取り込んだ旧帝国軍の妄念もうねんを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る