第3話「男と女と」

 その日は志郎しろうの許可が出て、無礼講ぶれいこうで酒が振る舞われた。

 みんな、今日で警察予備隊けいさつよびたいがなくなるのを知っていた。

 そして、わかっていた。

 明日から保安隊ほあんたいになっても、仲間たちの関係は変わらないと。ここでは階級もあまり意味がないし、志郎以外に気をつけるべき上官も存在しない。

 勿論もちろん、ひふみもそう思うからこそ、自分の責任を強く感じ直していた。


「あれが零号機ゼロごうき……基本は一緒だけど、おやっさんの言う通り少し過敏ピーキー過ぎるな」


 おやっさんとは、すぐに打ち解けた左門さもんのことだ。

 整備員の面々は基本は技術者、職人である。となれば必定、腕の善し悪しが全てだった。そして、左門は凄腕のメカニックだったのである。皆、あっという間に尊敬の念を持って接し、おやっさんと勝手に呼ぶようになってしまったのだ。

 よせよせ照れるといいつつ、左門はすぐに自分の知識と技術を披露してくれた。

 空母飛龍ヒリュウに乗っていたこと、大戦末期の二〇式フタマルシキ開発のこと、その整備のこと。

 ミマルのために持ち込まれた新たな機体、チキ零号機も披露されたばかりだった。


「カラーリングが違う以外、見た目は同じ……だけど、随分使い込まれてたな」


 まだ食堂からは、大人たちのうたげが盛り上がっている。

 時刻はもう10時を過ぎた深夜だが、いろははまだ食堂に入るようだ。彼女やミマルにも菓子が配られたし、冷たいコーラのびんも珍しく大量に持ち込まれていた。

 いろはは甘えん坊なことがあって、大人たちに可愛がられている。

 ミマルはよくわからないが、姿勢良く座って、まるで作業のように食事していたのを思い出す。

 そしてひふみは今、食後に再び格納庫に行って機体のチェックを行っていたのだ。


「修理用のパーツが足りなくなってるから……いよいよ予備機、参号機さんごうきの出番か」


 予備の参号機も他と同じ、無骨な角ばった人型重機だ。ガスタービンで駆動する鋼鉄の歩兵……大戦末期に試作された、歩行戦車を便宜上作業用と言い張ってる代物である。

 さてさてと思案を巡らしつつ、手ぬぐいを片手に廊下を風呂場へと歩く。

 この時間はもう、誰も風呂にはいないだろう。経費節約のために、ボイラーの火が既に落とされているからだ。シャワーは水だろうが、湯船がまだ熱ければひふみは平気である。

 そして、風呂場は案の定、静けさに満ちていた。

 割りと広い共同浴場を、今日もひふみは一人で貸し切りである。

 そう思ってのれんをくぐった、その時だった。

 眼の前で、浴場のりガラスが左右に割れた。


「……は? え、あ、いや……えっと」


 見知った顔で、こんな時間の入浴も当たり前と思えば納得はできる。

 しかし、全裸で目の前に立つ人物に、ひふみは絶句してしまった。

 相手も少し驚いたようだが、その素振りを全く見せなかった。


「ほう? どうした真中まなか。こんな時間に……自主的に残業か? フッ、タダ働きの好きな奴だ」


 それは、志郎だった。

 だが、本当に志郎だろうか?

 そう思って、すぐにひふみはその場で回れ右。

 背を向けねばならない理由は、あまりにも刺激の強い美しさだった。


「志郎さんって、おっ、おお、女……だったんですか!?」

「……誰にも見られたことはないんだがな。運が悪かったか、今夜は」


 志郎は日々忙しいので、食事や睡眠をいつ取っているか分からなかった。勿論、入浴も皆が寝静まった深夜かもしれないとは思っていた。

 その理由が今、わかった。

 つきつけられてしまったのだ。

 謎のエリート帰還兵、榊原志郎さかきばらしろうは女性だったのである。


「え、えと、すみません。誰もいないと思って。それで……その……凄い傷、ですね」


 なんとか会話を繋いで着地させ、同時にこの場から退散したい。

 結果、ちどろもどろでチグハグな言葉が口をついて出た。

 背後で志郎が、意外そうに息をむ気配。


「なんだ、真中。私の裸を見てその話か? ……まあ、そうだろう。みにくく、見るに耐えん古傷さ」


 志郎の全身には、無数の疵痕きずあとがあった。

 刀傷や銃創じゅうそうあと、火傷でひきつり変色した肌。

 それは、美の結晶を飾る宝石としてはあまりにもおぞましい。

 まるで咎人とがびとに刻み込まれた烙印らくいんのようだ。

 全身傷だらけの志郎は、身体を拭いて胸にタオルを巻き付ける。


「こっちを向け、真中」

「む、無理です!」

「女の裸など、妹で見飽きているだろうに。それとも……やはり嫌か? 怖いか」

「いえっ! そういう訳では」

「女でも、女として見たくない……そういうことと取るが」

「困ります! ……し、失礼します、どうか一枚羽織はおってください」


 昔からあれこれ言う割には、ひふみは志郎に頭が上がらない。

 この人は、ひふみといろはにとっては保護者も同然の人間だからだ。命の恩人であり、父親のような存在。でも、どうやら母親だったようだ。

 ゆっくり振り向き、着替えようとする志郎に改めて向き直る。

 性別不明かと思われるくらいに端正なその美貌は、今は納得できる。

 とても美しい女性で、痛々しいまでに古傷で包まれていた。


「……沖縄を知っているか? 真中」

「えっと、今は進駐軍に占領されてる」

「そうだ。かつて唯一、米軍の上陸を許して地上戦になった場所……地獄の決戦で、実に3分の1の島民が死んだと言われている」

「志郎さんも、そこに?」

「ああ。あの人は……榊原志郎は沖縄を守るために戦った」


 ――

 それは、敗戦国日本で未だにんで出血する致命傷だ。

 同じ日本の国土でありながら、戦中も戦後も切り捨てられた土地なのである。大戦末期、軍部は末端の沖縄を見捨て、本土決戦と国体護持こくたいごじのための戦略を選んだ。そして今、その結果として沖縄は米軍に占領され、日本という国家から奪われたままである。

 アメリカは、きたるべき次の戦争れいせんに備えて、沖縄という地政学的な要衝ようしょうを欲した。

 日本は軍備を捨てたため、アメリカに守ってもらうために沖縄を差し出したとも言われていた。


「あの、志郎さん……じゃ、ないんですよね、じゃあ。本当の志郎さんは」

「死んださ。沖縄で戦死した。……私を守ってな」

「じゃあ、あなたは」

「私の名か? フッ、捨てたよ……忘れようとしてるのだ。私の名は――」


 志郎を演じる男装の麗人が、その表情を醜く歪める。

 それは、憎悪ぞうおだ。

 湯気が漏れ出てこもる脱衣所に、薄ら寒い空気が広がってゆく。

 強烈な恨みが感じられて、ひふみは思わず一歩下がる。

 そして、なにか柔らかなものにポフン! と背が当たった。

 振り向くとそこには、意外な人物が立っている。


「えっ? ……シセイ、さん?」

「ミマルで結構です。さん、も余計ですよ、……ひふみ君」


 何故なぜかそこには、ミマルが立っていた。

 まさに、前門のとらにして後門のおおかみ

 ますます話がややこしくなってきて、ひふみはいよいよ混乱の境地に転がり落ちてゆく。

 そしてそれは、ミマルが服を脱ぎ出したことで限界に達した。


「ちょ、ちょっとシセイさん!」

「ミマルでいいと言いました。呼んでみてください。サン、ハイ」

「そうじゃなくて、ええと、ミマル! やめて、脱がないで! ここじゃ駄目だ!」

「ここで肉体の洗浄をと、左門君に言われて来ました。なにか問題でも?」

「問題ありありですよ! 場所の問題じゃなくて、そう、今は駄目です!」


 ミマルは首をかしげたが、すぐに「ああ!」と手を叩いた。

 やはり、この少女はどこかおかしい。


「なるほど、承知しました。わたしも勉強してきたのでわかっています。ひふみ君はあの女性と男女の仲、いわゆるなんですね? ……はて、あの人はどこかで」

「ち、違うっ! あーもぉ、いいから出ていくんだ! 話がややこしくなる!」

「ねんごろでは、ない……つがいになる予定の関係ではないと? ならば問題ないでしょう。以前の施設では、兄弟たちと皆で一緒に洗浄作業をこなしていましたし」


 ミマルは脱いでしまった。

 驚いたことにこの女、病院の寝巻きパジャマみたいな一枚しか身に着けていなかった。下着をはいていないのだ。すぐにミマルは全裸になってしまった。

 志郎は志郎で、プッ! と笑って吹き出してしまう。

 その顔は、先程の激情が嘘のように無邪気であどけなかった。


「こいつは傑作だ! 真中、どうする? 私とねんごろになるか? 口封じだ、黙っててくれるなら私がお前を男にしてやってもいいが……さてさて」

「なにを馬鹿言ってるんですか! ……僕はこれでも、志郎さんを尊敬してるんです」

「抱けんか?、こんな私は」

「親しくて、慕ってても、好きでもまあ、そういうことですから……ん?」


 我関せずでミマルは、唯一の着衣を脱衣所のかごに入れる。

 そんな彼女の胸は豊満で……そして、喉の下に不思議な刻印があった。それはまるで、ナンバリングみたいにはっきりと白い肌を汚していた。

 そう、白無垢しろむくの乙女にこびりついた呪いみたいな番号がひふみには読み取れたのだ。


「なんだ? ……000? え、番号? ……まさか、ミマルって」


 だが、突然の修羅場が唐突に切り裂かれる。

 不意に敷地内に、けたたましいサイレンが響き渡った。

 そして、宿舎にも館内放送で逼迫ひっぱくした声が叫ばれる。


『こちら通信室! 横須賀の観測所より入電! 霊子力反応感知しました! 敵です! 敵、決号計画けつごうけいかくの襲撃ですっ!』


 突然の敵襲。

 今この瞬間、日本の国土と国民に危機が迫っていた。

 一瞬でひふみは困惑を振り払う。

 そして、瞬時に全裸で出てゆくミマルを、彼女の寝巻きをひっつかむなり追いかけて走るのだった。

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