第2話「仲間たち」

 奥多摩の片隅に、小さな廃工場がある。

 戦前は戦闘機の部品を作る町工房だった。それが今は、警察予備隊が買い上げて使用している。

 だが、警察予備隊のリストにこの基地の名はない。

 ただ、敷地の入口には『特装班準備室とくそうはんじゅんびしつ』とだけ看板があった。

 この場所でひふみは毎日働いて寝泊まりしている。30人前後の仲間たちとの共同生活だった。屋根がある場所で眠れて、一日三食食べられる……しかも、大好きな機械いじりで賃金までもらえるのだ。

 終戦直後の混迷期を生き抜いたひふみには、この場所は天国だった。


「まあ、天国じゃないよな……父さんも母さんもいないんだから」


 仕事を終えて夕刻、西日を浴びつつひふみは宿舎に戻る。油まみれの汚れた手を洗って、石鹸せっけん一つとっても使いたい放題なことに改めて驚いた。

 豊かで充実した日々……しかし、両親だけがいない。

 とても立派で優しい父母だった。

 天寿を全うして、必ず天国とか極楽とかに行くような人だったと記憶している。

 だから、ここは天国ではない。

 そんなことを考えていると、すぐ隣に長身の男が並んだ。


「よぉ、ひふみ。俺の壱号機いちごうき、直してくれたか?」


 ボサボサの髪に不敵な表情は、酷く野生的で獰猛どうもうささえ感じる。だが、言葉は優しくて気遣いさえ感じた。年の頃は二十代半ばで、ひふみの同僚である。

 名は、早乙女弾児さおとめだんじ

 知り合って間もないので詳しくないが、7年前は旧帝国海軍の少年兵だったらしい。


「破損した右手の指、直しておきました。調整もばっちりです」

「へへ、ありがとよ」

「面倒な場所だから、あまり壊さないでくださいよ。……なんで模擬戦もぎせんで、相手をブン殴るかなあ」

「すまんすまん、今度からは壊れ難いとこでド突くぜ」


 弾児に悪びれた様子もないし、ひふみも強く問い詰めるつもりはなかった。

 この男が現場では班長で、特殊工作車による作業……ようするに戦闘の指揮を取ってくれる。彼のチキには、指揮官機らしく左肩に黒い二本線がマーキングされていた。

 元は戦闘機のパイロットらしいが、弾児の操縦は決して上手くはない。

 ただ、訓練での目標達成率は驚くほど高かった。


「うし、めしにしようぜ。腹が減ってはいくさはできぬ、ってな」

「……やっぱり戦争、始まるんです?」

「そりゃそうだろ。でなきゃ、俺みたいな死に損ないが呼ばれたりしねえよ」


 二人で洗い場を離れて、食堂へと向かった。

 空腹を感じれば、漂う空気の中にいい香りが拾われる。鼻孔をくすぐる匂いは、熱い味噌汁と焼き魚だ。なんともたまらない雰囲気に、そこかしこの部屋から職員が出てくる。

 事務員や医師、ひふみと同じ整備士も一緒だ。

 そぞろに廊下を歩けば、突然背後に柔らかな重みがしがみついてきた。


兄貴アニキっ、お疲れ様!」


 振り向けば、目の前に満面の笑顔が近い。

 小柄で軽い女の子は、妹の真中まなかいろはだった。長い黒髪を一本の三つ編みに結っていて、それが犬の尻尾のように揺れている。

 思わずよろけつつ、背負う形でひふみはそのまま歩いた。

 因みに、兄妹きょうだいという体裁になっているが血は繋がっていない。


「いろは、お行儀が悪い。降りて」

「やーだ。ねねっ、アタシの活躍、兄貴も見たでしょ?」

「ん、見た見た。……まあ、負けは負けだけどね」

「あれは弾児が悪いんだよ! グーで殴るんだもん、反則!」


 隣の弾児が「うるせぇぞ、チビ」と笑う。

 くちびるを尖らせむくれるいろはだったが、次の瞬間にはまた笑顔になった。


「アタシの弐号機にごうき、どこも壊れてないよね?」

「うん、あっちはいつもの整備だけで大丈夫。損傷はないよ」

「でしょでしょ? ……あれ、もっと軽くならない?」

「無理。これ以上装甲を外したら、本当に危ないってば」

「当たらなければどうってことないって!」


 周囲の大人たちからも笑いが起こる。

 いろはは今年で14歳、ただし自己申告。ひふみもだが、戦災で戸籍こせきが失われている上に天涯孤独の身だ。でも、ここには居場所があって、大人たちも親切だった。

 いろはは皆から可愛がられているが、ひふみは知っている。

 この職場には、戦争で我が子を失った者たちも多かった。


「そんなこと言わないでさー、兄貴。もっと下半身、膝下ひざしたを軽くしてよ」

「無茶言うなあ。今でももうすでに、フレーム剥き出し状態なんだけど」

「じゃあ、もっと細くして。少し削ってさ、シュッシュって」


 背中からようやく降りるや、今度は腕に抱きついてくるいろは。

 本当に自分になついていて、ひふみも大事な妹だと本気で思っている。

 それに、二人は出会っていなければ共に死んでいたかもしれないのだ。

 昔を思い出しつつも、今は今で腹が減る。

 それはいろはも同じようで、グルルとかわいく腹が鳴った。

 そして、突然隣の弾児が脚を止める。

 何事かと周囲の職員たちもざわめき出した。


「おいおい、なんだあの女」

「なによっ、弾児! アタシだって働いてんの、お腹くらいすくわ! ペコペコにペコってるんだから!」

「いや、お前じゃねえよ。見ろ、ありゃ外人か?」

「見ろ、って? あっ、なにあれ。誰? ……綺麗な、人」


 志郎しろうが使っている室長室の前に、乙女が立っていた。

 多分、人間だと思う。

 人間離れした容姿は可憐かれんで美しく、まるで昔話の天女のようだった。

 白い髪に白い肌、なんだか入院中の病人みたな白い服を着ている。酷く細くて華奢きゃしゃで、それでいて女性特有の柔らかな曲線にはメリハリがあった。

 どよめく一同が近付いても、気をつけの姿勢でピクリともしない。

 真っ先に声をかけたのは、いろはだった。


「ちょっと、アンタ! なにしてんの、っていうか誰? 志郎に用なの?」


 返事は、ない。

 だが、まるで機械のように首だけが動いて、少女は小さないろはを見下ろした。

 背丈はひふみと同じか、ちょっと高いくらいだ。

 謎の少女は、翡翠ひすいのような瞳をまたたかせる。

 抑揚のない声が小さく響いた。


「現在、待機命令を実行中です」

「……は? なに言ってんの、アンタ」

「現在実行中の任務について、簡潔に説明しました」

「ようするに、人を待ってるの?」

肯定こうてい


 妙な娘だった。

 だが、いろはとはまた違った魅力があって、思わずひふみも魅入みいってしまった。どこかはかなげで、日本人離れどころか人間離れした容姿だ。例えばそう、妖精とか天使とか、女神とか。そういう語彙ごいが突然、見たこともないのに脳裏に飛び交う。

 謎の少女もまた、いろはを見て、ひふみを見て、周囲へぐるりと首を巡らせる。


「皆さんは特装班準備室の職員ですか?」

「だってよ、ひふみ」

「え? ぼ、僕? ええと……まあ、そうですけど」


 弾児に肘で小突かれ、自然とひふみは前に出た。

 互いに視線が重なり、一本に収斂しゅうれんされてゆく。

 自然と顔が熱くなって、頬を膨らませるいろはが再び腕にぶらさがった。

 謎の少女は、なんだかぎこちない様子で右手を差し出した。


「今日からわたしも、皆さんの仲間として働きます。どうか、よろしくお願いします」

「あ、うん。僕はひふみ、真中ひふみ」

「わたしは……ミマルと呼ばれています。シセイ=ミマルです」


 おずおずとひふみが手を出せば、ガッシ! とミマルは握ってきた。妙に握力が強くて、実直な生真面目きまじめさが伝わってくる。しっかりと握手した上で、ミマルは結ばれた手と手をブンブンと上下に大きく揺さぶった。

 その間もずっと、凍れる美貌は無表情だった。

 まるで人形みたいである。


「さあ、皆さんも握手を。外の世界では、社交性が重要だと教えられています」

「俺は早乙女弾児……ここはまあ、変わり者だらけの愚連隊ぐれんたいだからな、好きに呼んでくれ。べっぴんさんは大歓迎だ。紅一点こういってんがガキンチョじゃ、締まらねえからよ」

「ちょっとなによ! アタシ、ガキンチョなんかじゃないわ!」


 早速いろはが、弾児に食って掛かる。

 これでも懐いてる方で、基本的にいろはは他人には決して心を開かない娘だった。

 そういう意味では、済まし顔のミマルも少し彼女に似ていた。

 そうこうしていると、ガラガラと室長室の扉が開く。

 奥の机には志郎がいて、彼に一礼して出てくる老人の姿があった。禿げ上がったあたまを撫でる手は、黒光りする三本指の義手だった。


「待たせたな、ミマル。話は終わった、が……ああ、こいつらは特装班の?」

「はい。今しがた真中君と握手を交わしました。親しい関係の構築に成功したと思います」

「はは、そりゃいい。俺は左門工助さもんこうすけ、整備一筋50年のロートルさ。まあ、厄介やっかいになるぜ」


 どうやら、新しい仲間が着任の挨拶をしていたようである。

 左門は続けて、旧海軍で空母に乗ってたことや、二〇式ふたまるしきに興味があるなど流暢に話す。そして、最後にミマルの肩をポン! と叩いた。


「こいつはミマル、まあ……例の特脚とっきゃくの搭乗員だ。機体も御巫重工みかなぎじゅうこうから持ってきている。仏頂面ぶっちょうづらでかわいくないが、どうかよろしく頼む」


 左門が妙に慇懃いんぎんに頭を下げるので、それにならうようにミマルも深々とお辞儀した。

 食堂から出てきた妙齢の御婦人ごふじんが、なべをおたまでガンガン叩いて夕食を告げたのは、そんな時だった。

 こうして、警察予備隊の最後の一日が終わる。

 それは、過酷な激戦の始まりを意味していた。

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