第3話 彼女が笑ってくれるなら

 結論を最初に書くべきだっただろうか。結局僕がその問いに答えることはなかった。

 好奇心は人を殺してしまったのだ。

 好奇心に取り憑かれた僕が彼に教えてもらったことわざを知ることになったのはつい最近のこと。

 そしてぼくの好奇心は十年ほど経っても留まることはなかった。


「なぁ、好奇心で聞くんだけどさ。お前、そのノートに何を書いているんだ?」

 僕は刑務所の中で毎日、モカちゃんとの思い出を留めるために日記を書いている。

 だからこのノートは希望であり僕を更生させる唯一の方法。

「もしかしてよ、脱獄する計画とか立ててたりするのか!?」

 あぁモカちゃん。

 もう一度、もう一度だけで良いからはちみつのように甘くてとろける声で僕を撫でてくれないか。


『彼、面白いことを言うね』


 今、モカちゃんが僕の耳元で囁いて……いや、モカちゃんがいるはずがない。こんな臭くて汚いバカしかいないこの牢獄に。

 でもあの声は確かに……。

「よく分かったな。僕が脱獄する気だって」

 なぜか僕は息をするようにデタラメなことを言ってしまった。

 僕は書いていた日記を閉じて、隣人の方に体を向ける。

 僕のノートにはそんなくだらないことを書いているスペースなんてない。

「あぁ、なんとなくな。ノートなんてそんな事以外に使うやついねぇだろ。だってここは刑務所だぜ? お勉強なんてくそほども役に立たない」

「……そうだな」

 隣人は両手を顔の前でパチンと合わせる。

「頼むから俺もその計画に乗っからせてくれよ。な? この通りだ」

 脱獄だと? そんなこと一度も考えたことがなかった。

 だってもうすぐ僕はここから出ることができる。満期解釈というわけだ。

 今さら脱獄なんて、笑わせる。

 それは嘲笑であって、心の底から笑っているわけではない。

 それは自分でも分かっているのに。

 それなのに、どうして……。


『面白いね』

 うん、面白い。

『どうやって脱獄するの?』

 分からないが、二人では無理だろう。腐ってもここは刑務所、そうやすやすと抜け出すことはできない。脱獄できるのは一人が限界だ。

『ふふ、可哀想だよ』

 でも、興味が湧くだろ? 

『湧くのは好奇心だよ。というかこの刑務所、校舎で言うと四階ぐらいの高さだよね』

 そうだな。飛び降りることはまず不可能だな。

『そう思うのは私が教えてあげたから?』

 それもそうだけど、実際に目の前で見たから。

 あの日に確信したから。

『……』

 好奇心は止められないよ。

『じゃあどうやって脱獄するの?』

 ————。

 ちょっと試したいことがある。手品師もびっくりする摩訶不思議な脱獄トリックを。

『何々? 教えて教えて』

 お楽しみはとっておかないと。

『……本当、君といると退屈しないな』

 その言葉は、何にも代えがたい最高級の誉め言葉だ。


「分かった。今日中に仕上げて明日伝える。それでいいか?」

「了解だ。楽しみすぎて俺寝れないかもしれねぇ」

 いつも辛気臭い顔で日々を過ごしている隣人の修学旅行前日のような表情には目もくれず、隅の方で自分も横になる。

「あぁ僕も、楽しみだよ」


 モカちゃん、笑ってくれるといいな。

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彼女が笑ってくれるなら 智代固冷人 @midori3101

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