第2話 二度と戻らない歪んだ絆

 困らせてしまっただろうか。

 それとも気持ち悪いと思われただろうか?

 微笑んでいた彼女の姿は泡沫の泡となり飛んで行ったようだ。

 泡沫の夢だと思われたのだろうか。彼女を傷つけてしまったのならば謝りたい。

 でも、見つめる僕らに言葉はない。

 沈黙がそよ風となって流れている。

 僕が少し彼女から目を逸らすと、強風が僕のうっとうしいぐらいに伸びた前髪をぐちゃぐちゃにする。


「裕介、お前こんなところにいたのか」


 視界がほとんど見えなくなった瞬間に古びた屋上の扉は大きな音を立てて開放される。

 乱れた毛先の間から見えるその景色にはこの世でたった一人の親友がいた。

「こんなところで何してんだよ」

 きしむ扉がバタンと大きな音で閉まることに目もくれず、親友は僕を一点に見つめる。

 見つめられると照れてしまう彼女とは違い、僕は親友——颯太を見つめ返す。

 それは確実に4秒以上だった。

 親友とは恋人とそう大差ないのかもしれない。颯太が恋人……うん、やっぱり気持ちが悪いな。

「なに考えてるか分からないけどよ、質問に答えたらどうなんだ?」

 僕はあまり表情が顔に出ないタイプではあるが、親友にこんなことを言われたのは初めてだ。この突き放すような、異界のものと対峙しているかのような威圧さを感じる。

 親友がどう思っているのか、何を考えているのか、僕も問いかけたいことがたくさんあるのだが、きっと「質問に質問で返すな!」のように怒られるのが関の山だろう。僕がモカちゃんとお喋りしているのは、親友から見ても一目瞭然だ。言わなくても分かっていることをいちいち言うほどバカではない。

 だから僕は、問いかける。

「……なぁ、颯太。ここから落ちたら死ぬと思うか?」

 僕は彼女とさっきまで話していた話題を共有することにした。

 この唐突な質問に親友は一瞬顔をしかめるが、すぐに怒りの表情に変換させる。

 それはまるで表情という仮面を付け替えたかのようだった。


「お前、俺を怒らせたいのか?」


 半分冗談で半分本気。

 笑ってはいるが、怒ってもいる。

 最近モカちゃん以外と話していないせいか、相手の感情を読むのが苦手になってきている気がする。

 相手の顔色を窺って、場の空気を読む。

 これが社会で生きるための必須項目。

 そんなものは彼女とのおしゃべりに必要ない。彼女はいつだって、僕の語りに微笑みながら相槌をくれるから。

 そんなことを言っても仕方がないことは自称社会不適合者の僕でもわかっている。邪魔にならないように僕は頭の片隅に意味のない愚痴を寄せ集め、良くない場の雰囲気を引きつった顔で笑いながらごまかす。

「おいおい、ただの好奇心だよ」

「何が、好奇心だ……」

 好奇心という言葉に反応したように見えた。

 親友にはかすかな苛立ちを感じる。

「好奇心だって? そんなくだらない理由で変なこと聞くんじゃねぇ!」

 親友の叫びは僕の頭を中から壊してくるような、そんな激痛を生じさせた。

 あまり自己主張することなく普段からポーカーフェイスを装っている節があった僕だが、耐えきれなくなり頭をおさえて軽く前傾姿勢になる。

 本当に冗談が通じないやつだ。堅物なのは昔から変わらない……か。

 人間は変わらない。

 でも、僕が大好きだったままの親友であるならば。

 素直で純粋さを備えたとてもいいやつのまま、社会の縮図にめちゃくちゃにされていないのであるならば。

 期待を込めて僕は、心の奥底に秘めていたバカで愚かな提案を口に出す。

「一緒に、遊ばないか?」

 話をそらすためなのか単なる思い付きなのか、自分でもよく分からない。

 とはいえ、話の辻褄が全く合っていないことに関しては本当に申し訳ないと心の中で思っている。

 そんな謝罪も届くことはなく、親友は怒りの表情からまた眉間にしわを寄せて訝しそうにこちらをにらむ。一応僕は親友に怒られている状況ではある。

 あれだ、ずっと好きだった女の子に告白したら、『私たちってそういう関係性だったの? ていうか今日でおしゃべりしたの三回目とかだよね?』と自分と女の子の感情の差異に驚かせてしまう現象に似ている。(あれは僕が全面的に悪い)

 リスキーな行動をしなければ女の子を落とせない。

 リスキーな行動をしなければ親友を落とせない。いや、落としたくはないんだけど。

 しかし、順番を間違えてはいけない。過程をすっ飛ばしてもいけない。

 恋人と親友はイコールで結ばれているという結論に至った僕からしてみるとこの告白めいたお誘いは自殺行為なのではないかとかなり後悔している。

 一から、いやマイナスから十に飛んでしまったようなものだ。

 というか普段こういうのは僕の役割じゃない。いつもは誘われるほうだから、勝手が分からなかったのだ。

 そうだ、これは仕方がない。

 ……断られたら、どうしようか。

 断るか、普通。

「……いいぜ。二人で遊ぶのは初めてだよな」

 さっきまでの怒っているような苛立っているような声色とは全く違うものでこの謎めいた提案に快く承諾してくれた。それにほんの少し気味悪さを感じてしまうのは僕の悪いところだ。

 そう、素直に喜ぶべきだ。

 俺は今、笑っているかな。

 ? 

 待て、何かおかしなことを言わなかったか?

「二人、今二人って言ったのか?」

「あぁ、言った。だって俺とお前の二人以外遊ぶやつはいないだろ」

 それとも誰か誘うのか? とそんなやついないだろと言わんばかりにおどけてみせる親友。

 おいおい、冗談が通じないくせに一丁前に冗談は言うのかよ。

 ……いや、決めつけや思い込みは良くない。

 そうだ、人に期待すること自体が間違っている。

 彼女の存在は分かっていても、その存在を意図して無視している可能性もある。

 彼女を含めた三人で出かけることを親友が当たり前のように切り出して、僕に「今日は男二人きりで話したい」なんて言われたら、精神的ダメージが大きい。

 リスクはできるだけ回避するに越したことはない。

 非常に同意できる。

 だから僕は自然に答える。

「モカちゃんも一緒に遊ぶから」

「————」

「あ、そぶから」

「——男二人同士っていうのもいいと思うぜ」

 まさか向こうから言われるとは思わなかった。やはり精神的ダメージが……なんて心のコントで気を紛らわせようとしている僕に親友の感情を読み取ることはできない。

 何を考えているのかさっぱり分からない。

「モカちゃんがいた方が、何倍も楽しくなるだろ?」

 親友の表情がグラデーションのように曇ってきている。

 なぜ彼女を遠ざけようと、邪険に扱うんだ?

「……出雲香奈≪いずもかな≫は好奇心旺盛、というか自分の本能に従って生きているやつだった。おまけに頭も良いからあいつが思いつくことは何でも面白かった」

 そうだ。その通りだ。

「そして彼女の好奇心は僕らにも伝染した」

「そうだな、好奇心は俺たちの世界を確かに彩った」

 彩られた世界にいる僕たちは≪≪永遠≫≫となれるんだ。楽しいことが絶えない世界。それは三人じゃないと成立しない。三人だけの世界が良い。

「だからさ、また三人で遊ぼうよ! モカちゃんも、遊びたいよね?」

『……』

 返事がない。

 どうして僕に返事をしてくれないんだろう。

 親友が来てから一言もしゃべらないのはなぜだろう。

 彼女の性格なら『やっほー』ぐらいは言いそうなのに。

 僕と二人きりの時はそんなことなかった。

「お前さ、好奇心に取り憑かれてる」

 それは唐突だった。

 唐突な提案をした僕がそんな立場ではないことは重々承知なのだが、僕は困ってしまった。

 彼女とは違う、現実をたたきつけられたような、心を力強く握られたような感覚に陥る。

「どういう、意味?」

「知ってるか、好奇心は猫をも殺すって言葉」

 聞いたことはある、ただ人に説明できるほど深くは知らない。親友が聞きたいのはその深いところなのではないかと瞬時に判断し、僕は答える。

「……知らない」

「自覚した方がいい。好奇心というのは時に人を狂わせるということを」

 狂ってる? この僕が?

 僕じゃないだろ。

 おかしいのは……、おかしいのは——。

「全然理解できない。お前の言ってること全部。僕と颯太とモカちゃん、問題児三人組だろ? いつも一緒に仲良くやってただろ」

 なんで一緒じゃだめなんだ。

「そんなことも言われてたな。でも、今は俺とお前の話だ」

「だったらモカちゃんの話でもあるはずだ!」

 ……つい、声を荒げてしまった。今まで僕がムキになることなんてほとんどなかったのに、——頭が痛い。

 僕のけたたましい叫びは親友の足を一歩後退させる。

 しかしこの発言が火種となったのだろう、親友は走って近づき俺の胸ぐらを足が浮きそうになるぐらい強く掴む。

「ふざけたことなんべんも言ってんじゃねぇ!」

 僕の全身に激しい怒りが注がれる。

 まさに鬼の形相、初めて見る親友の表情に少したじろぐ。

「べ、別に僕は何も、おかしなことなんか言って——」

「お前、モカちゃんと一緒にいて楽しいか!?」

 親友は顔色こそ変えなかったが、悲しそうな声色で僕に問いかける。

「楽しいに、決まってる」

 僕のつぎはぎの言葉を聞くと親友は思いっきり掴んでいた手を緩める。

 掴まれた腕を振り解き、僕は後ろによろめき背中を柵に預ける。

 うなだれるような形をとると、親友は静かな追撃を行う。


「裕介、じゃあお前はなんで泣いてるんだ?」

「……泣いてる? 僕が?」


 どうして僕が泣いているんだ?

 本当に————。

 いや、僕は泣いていない。

 こんなに幸せなのに涙なんて出るはずがない。

「気づかなかったのか? 俺が屋上からきた時にはお前の目から涙は、ずっと頬を流れ続けていた」

 ずっと、なのか?

 僕が楽しくモカちゃんとお喋りしていたときもか?

 ……モカちゃんは、何も言わなかった。言ってくれなかった。

「ぼ、僕がモカちゃんの前で泣くわけないだろ。嘘、つくなよ」

 決して、頬には触れない。確認は、しない。

「お前……まだそんなこと言ってんのか」

「何の、話だよ」

 分かりきっていることをはぐらかす。

 僕がうろたえたその一瞬、気づけば親友の拳が瞳に大きく映っていた。

 避けれるはずがないし、なぜか避けるべきではないと感じた。

 鈍い音とともに殴られた左頬はえぐられ、僕の体を右へと大きく揺れる。

 無慈悲に受けた鋭い痛みは初めての感覚だった。

「ふざけんなよ! 最近まともになったと思ったら、これかよ……」

 俺に対する失望なのか、自分に対する落胆なのか。それを考える余裕は今の俺にはない。

 親友から殴られた。

 その事実が僕の思考回路を支配する。だからこれから口に出すことは僕の意志ではないし、自分のコントロール外である。

「マジで意味わかんねぇよ。お前もモカちゃんと一緒に遊んでただろ。この三人でさ!」

「何が、モカちゃんだよ……」

 何、が?

「お前、今モカちゃんを馬鹿にしたな?」

 いくら親友であってもそれだけは絶対に許さない。

「お前はあいつに会ってからずっとモカちゃんモカちゃんモカちゃんモカちゃん、そう言って後ろをちょこちょこついていってばかりだったよな」

「……何が言いたいんだよ」

「……………これは好奇心で聞くんだが


 お前は一体誰と喋っていたんだ? お前の隣にいるのは一体誰なんだ?」


 は? は?

 何言ってんだこいつ何言ってんだこいつ何言ってんだこいつ何言ってんだこいつ。


「嘘をついているはお前の方じゃないのか?」

 ?

「嘘、だって……?」


 違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。これは夢だ。醒めない夢だ。僕は絶対に認めないぞ。認めない。認めない。


「じゃあ、何でお前は泣いてるんだよ」

「……」


「何で、泣いてるのに笑ってるんだ?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る