0章

1話

日陰から、夏を鳴き終えたセミが1匹、太陽の下へと飛び立った。



ビーーーッ


試合終了を告げるブザーの音、歓声、どよめき、咆哮。


68-76。


横一列に並んだ彼らに会話は無い。


「ありがとうございました!」


頭を下げ、視界いっぱいに床が映る。


ずっとこのままこうしていたい、

こうして床だけ見ていれば、何も無かったように思えるのに、


莉一りいちかけるの背を軽く叩いた。


翔は顔を上げる。


彼らの夏が、終わった。




ラストミーティング、親や先輩からの労いをそれとなく流して、翔は1人、観客席に来た。


次の試合で対戦するはずだった学校が試合をやっている。


さっきの拍手が、嫌に耳に残っていた。


今日勝てたら決勝リーグ、

決勝リーグに残れなければ、負けた試合が引退試合。


負けた俺たちに、次は無い。


翔の手すりを握る手に力が込められる。


最後の夏なのに、こんな負け方で…

全国どころか関東にもいけなくて、




こんなところで、




とにかくそれが、頭の中を占めていた。



関東1位で全国に行く。


これがキャプテンの翔率いる三立さんりつ中学校の最終目標だった。

私立中学の強い東京で、公立中学が簡単に言える目標ではなかった。


前年の成績を鑑みたら尚更だ。


それでも、それだけの実力は周りから認められていた。

彼らは東京の優勝候補だった。


なのに、こんな、都の決勝リーグにすらいけないなんて、

ここで終わり、本当に?

これくらいの実力しかなかったってこと…?



「こんなとこにいたのかよ、翔」


後ろから声がかかる。


「…莉一」


振り返った翔の隣に、莉一は歩いてくる。


神夜かみよでも戦ってんのか?」


「ううん、やってない。…試合観てるわけじゃないよ」


「おー…?」


莉一は首を傾げながら翔を見て、また顔を戻す。


しばらく沈黙が流れた。


翔は試合を観ていなかったし、莉一も目で追ってはいたが、内容を聞かれても何も答えられないくらいぼーっとしていた。


依然として、翔は、目の前に崖しかなくて身動きが取れないような、ずっとそんな感覚に支配されていた。


まだ何も達成できてなかったのに、

ここで、終わり、


その現実が目の前に突き刺さって動けなかった。



1Qが終わってやっと、莉一が、寄りかかっていた手すりをぐっと掴んで上体を起こす。


「翔!俺たちさ」


莉一の表情は明るかった。


「ここで止まってるわけにはいかねぇだろ!」


翔は驚いて、思わず、


「…っうん」


と、反射的に頷く。


莉一は、だからさ!と、翔を真っ直ぐ見据えた。



「高校では全国行こうぜ!絶対!そんで、3年になって俺たちの代になったら、優勝するんだ!」



全国、優勝、と聞いて、翔が固まり、莉一は更に追い討ちをかける。



「全国!決勝!俺たちのアリウープ、最後1点差で負けてて、残り3秒でラストプレー!それで勝ったら最高だろ!?」


「……」



あまりに大胆だ、と翔は思った。


でも、本心には抗えなかった。



「うん___うん、したいよ、全国優勝」



声が少し、上擦った。


翔も莉一も同じ目をしていて、それを見た莉一の顔が嬉しそうに輝いていく。


「だろ!やるしかねぇよ!」


止まっていた時間がまた動き出したみたいだった。




「じゃ、帰ろうぜ!音葉おとは連れてくるから入口で待ち合わせな!」


そう言うが早いが、莉一は自慢のスピードで瞬時に翔の目の前から消えた。



翔は、その後ろ姿を見つめる。


全国優勝なんて、目標にしたくても、それすら簡単には許されないような、そんな大きな目標、


でも、できることなら、


東京体育館のあのコート1面で、全国の決勝___



きっと届かない、と頭で分かってても、多分一生諦められないんだろうな


莉一だってそう、


諦められないならもう、多分、目指す以外に道はない



元々観てなかった試合に未練もなく、翔は入口へ歩き出す。


ふと前方を見ると、前から、同じ学校の同じTシャツが見えた。


足が止まりかける。


しかし、向こうからは、変わらずスタスタと足音が近づいてくる。

まるで、こちらのことなど気にもしていないように。


止まりかけた1歩をまた、踏み出した。


「……」


「……」


足音だけが異様に響いて、翔は目を逸らした。

息すら押し殺しているようだった。


すれ違うとき、相手も目を逸らしていた。

その目には、明らかな嫌悪が滲み出ていた。



お互いに振り返ることはない。


ただ、そのまま、2人は反対方向へと歩いて行った。

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