小説最後の後書きって…?

 なんで本文より長い後書きが存在するんですか?そう思ったことは無いでしょうか。本文よりも多い作者さんの他作品紹介,毒にも薬にもならないキャラクターと作者の掛け合い。読んだストーリーよりが全く印象に残らない事だって多々あります。

 何故この様な事が起こり得るのか,それは1つに一定の文字数を確保したいという気持ちがあるからではないでしょうか。カクヨムは100文字以内でも投稿できるプラットフォームです。しかし,そんな400字詰めの原稿用紙以下の文章,下手をすると唯の文字列にどれ程の物語性があるのでしょうか。あるのは作者の落書き,作品の殆どが全て作者の頭の中で完結しているだけです。

 悪し様に言うとそれを避ける為に,文字数が増えます。作者の頭の中から文章にインプットしていくわけですからね。しかし,作者によりけりではありますが体力であったり気力であったりが続く限界値があります。そこに達するとどれだけ足りなくても作者としては「これでヨシッ!」となります(実体験)

 それではいけません。いえ,駄目という訳ではありません。私の様に長期間投稿が滞るよりかは遥かに立派ではあると思います。しかし,『本文<あとがき』というのは急速な読者離れを引き起こすのではないかと考えます。まぁ,読まなくなったの私なのですが。

 最初は良い。書き始めは熱量もあるし,インスピレーションも次から次へと溢れる。どんどん書いてこうという気分にさせられます。しかし,こういった場合に溢れている部分を書こうとするとそこまでの過程を書かなければならない。短編ならばまだ過程をある程度端折っても問題は起きません。短編って態々言っていますからね。そこに期待されても…といったスタンスが取れます。しかし,長編もしくは連載でそれをすると問題が起こります。ダレるのです。ゲームでいう,必要素材を集める為の必要素材を集める為の周回。そんな感じ。書きたいことは書けないのに,どんどん書けるビジョンが見えなくなる。終いには,読者と作者の認識が乖離してしまう。よく見る光景ですね。

 結果,とりあえず更新だけはしておこうという惰性に任せた状況が生まれます。当然文字数は少なく,物語の進行も微々たるもの。なんなら微動だにしていない場合すらあり得ます。そして途中から他の作品を書き始め,最初の頃に釣った読者が惰性で読んでいることから彼ら(私含め)を同作者の他作品も読ませるためにしつこい様に紹介するようになります。これは,作品タイトル+URLなら微々たるものですし興味を持てば読みに行くし興味が無ければ簡単にスルー出来るから良いのですが,場合によっては作品タイトル+あらすじ+作者からのコメント+URLという長文が存在することもあります。この手のものって,You〇ubeで永遠と上映中の映画の広告(スキップ不可)を見せられ続けてイラッとくるのと同じで,擦られ続けると「見る訳ねぇだろクソが(誇張表現)」となる訳です。推したいのも分かる。閲覧数を増やしたいのも分かる。そういった努力が必要なのも十分理解しています。ですが,ですが!正直くどい。作者をフォローしてれば新着通知で出てくるし,見逃してもフォロー作者一覧でタイトルと更新した話のサブタイトルも見れる。そこである程度注目されるでしょうし,検索した場合でも更新順にすれば出てくる(更新している場合)

 それでは駄目なのでしょうか。駄目なのでしょうね。こういったものは,読もうと思った時には確認できません。文字数が少ない作品であったら,連載話数と総合文字数を見れば大体一目瞭然であり避ける事が可能です。しかし,自作品紹介で文字数を稼いでいた場合,表面上は確認する術がなく読まなければ分かりません。それも,後半に行くにつれて失速していく結果,作品紹介の文章が本文より長くなるので序盤での見分けるのはかなり難しいです。本当に難しい…(n敗目)

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