第5話 名前
夢愛は、目が見えません。
夢愛は、今年の春から支援学校に通うことになりました。しかし、運が悪いことに、支援学校のほぼ隣に普通の学校がありました。
夢愛は、幼稚園にいたときから普通の小学校の話をたびたび聞いていたので、大きくなればそこに入れるものと思っていたのでしょう。
しかし、ここまで重度な障害を持った子が、普通の学校には行って普通の生活が送れるわけもなく、夢愛が支援学校に入るという未来は決定されていたものでした。
入学前、一週間前だったと思います。
夢愛はランドセルが欲しいと駄々をこねました。
正直、今の時代のランドセルは安いと言えるような値段ではなく生活費はなるべく節約したいので、夢愛には買えない。と言っていました。
夢愛は、「でも、皆買うんだって。なんで、お母さん買ってくれないの?」ともっと駄々をこねました。
夢愛にとって、ランドセルというのは特別なものだったのかも知れません。夢愛は、ほとんどものを欲しがりませんでしたし、興味を示すものがあったとは覚えがないのでランドセルがよほど欲しいのだと思いました。
私は買えない代わりに、自分が子供の時使っていたランドセルを夢愛に与えました。夢愛は、本当は青色が欲しかったらしいですが、私のは赤色でした。にもかかわらず、夢愛は私にお礼を言って、もらった日にはランドセルをしょって家中を走り回っていました。
私は、赤色よ。と、言ったのに、それでも嬉しそうな顔で受け取ったので、夢愛は我慢しているのかと思いました。
私は夢愛に沢山の無理や我慢をさせていました。
私も成長しなければならないと思いましたので、今度夢愛がやりたい、してみたいと思ったことはやらせてあげたいと思いました。
支援学校に行っても、夢愛はいつも通り明るく振る舞っていたそうです。
ママ友の、明子さんと美桜さんも一緒でしたので、授業参加は一緒に見に行きました。
支援学校にはいろんな障害を持つ子供が居て、またその子供を見守る親が居ました。どの親さんも、子供のことを第一に大切にしているといった感じで、私とは全く異なった雰囲気をしていました。
夢愛はこちらの声に反応して私に手を振りました。
私は、ぎこちなく振りかえしました。
どうしても、まだ夢愛と真剣に向き合えていませんでした。
夢愛が五年生になったある日でした。
学校から帰った夢愛は嬉しそうに、私に「したいこと」を話しました。そのしたいことというのは、物語を作ることでした。
学校でパソコンを習ったそうで、そこで作った物語を先生や皆に褒めてもらったので、もっと書いてみたいというのです。
私はすぐに「いいよ」と言うことができませんでした。というのは、前にも一度、夢愛がしたい。といった、ピアノをさせたことがありました。
ピアノと言っても電子で、実家にあったものを持ってきただけでした。
夢愛がピアノにはまったきっかけは三年生になった時、学校で先生が楽器の体験をさせてくれたとき、ピアノが楽しかったからだそうです。その後、盲目のピアニストもいるんだよ。と教えられたので、もしかしたら自分にもできるかも…と思ったに違いありません。
その時は夢愛がやりたいことだったので、やらせてやりました。
しかし、そう上手くできず数日で放棄しました。
そう言った事例があったので、本当に続けられるのか…と思ったのです。別にやらせてやっても良かったのですが、結局パソコンを使って物語を書くので自分のデータが飛ばないかとか、誤字脱字はないかとか、立ち上げシャットダウンは私がやらなければならないとか、そう言った問題があり、多分私自身面倒くさいと思ったのでしょう。
すぐに、「いいよ」が言えなかった理由です。
でも、夢愛は必死に「お願い! やりたいの」と言うので一週間だけ付合うことにしました。夢愛はとても早くキーを打つことができていました。この時点で、私より早かったと思います。
夢愛の作る物語は、どれもこれも豊かな表現で心が温かくなるようなものばかりでした。感情描写は勿論できたのですが、驚いたのは情景描写ができたことでした。
夢愛は目が見えないのに、その描写からその風景が目に浮かぶのです。
見たことないはずなのに、しっかり読み手に伝わるものをかけていたのです。
これは、夢愛の才能だと思いました。
見たことはなくても触れたことはある。そして、聞いたり、話をしてもらったりしてその情報を得ていたというのです。
夢愛は物語を書くことに熱中しました。
でも、誤字脱字や、立ち上げシャットダウンは私の仕事なので、彼女が帰ってきたらすぐに其れの作業をしなければなりませんでした。でも、慣れました。
そして、彼女の物語を読むのがつい楽しくて、「見ないで」なんて言われたものまで見てしまうぐらいでした。この年の、見ないで。は、見て欲しいという意味も含まれているような気がしました。
私は夢愛に、ネットにあげてみたらどうだ。という話を持ちかけました。其れは、夢愛が中学二年生の時でした。
この頃には夢愛もすっかり自分で立ち上げシャットダウンはしていましたし、何より物語の構成、キャラの引き立てなどが上手くなっていました。
私は、本屋に並んでいても可笑しくないと思いました。
夢愛の物語をネットにあげたその日に、すぐに評価されました。
コメントにもキャラに感情移入できるや、展開が気になる。といったものが寄せられていました。
中でも、情景描写が綺麗。というコメントがとても多く寄せられていました。
見えない夢愛に、私はコメントのことを話すと夢愛は恥ずかしそうに頬を赤らしめて喜んでいました。
高校一年生になった夢愛は、ネット上で人気の作家になっていました。
私は夢愛が生き生きしているのを見て少し嬉しくなりました。
やっと、彼女と向き合えた気がしました。
喧嘩はしますが、仲がいいと皆から言われます。
明子さんのお子さんも、水泳選手になりたいと言い毎日スイミングスクールに通って居るみたいです。美桜さんの娘さんは、テニスをしています。美桜さん曰く、上手くはないが頑張っている姿を見て励まされているそうです。
そんなある日でした。
夢愛が物語をあげているサイトから一通の手紙が来ました。
夢愛の物語を評価して、是非書籍化しないかという提案のもので、会ってみたいというのです。
私は夢愛にその話をすると彼女は「会いに行きたい!」といいました。
しかし、私は乗り気ではありませんでした。
勿論、夢愛の物語が世に出ることを望まないわけなではないのですが、障害を持った子。という差別のような目で見られないか心配だったからです。
その書籍化しないかと持ちかけてきた出版側が、その作家が実は目が見えず、一人ではかけないことを知ったらどうでしょう。
仕事が増えるし、そんな人が書いていたのか。と思われたら、其れで夢愛が傷ついたらどうしてくれよう。と思ったからです。
夢愛にそれでもいいのかと、聞くと夢愛は胸をはって言いました。
その言葉は、生涯ずっと覚えている言葉になりました。
「障害が何なの? 私は私よ。イイじゃない、障害持っている子なんだって思われても。私はいいわよ。だって、私の作った物語を評価してくれたいい人なんだから」
と。その言葉で、自分自身が夢愛の障害について差別的な目で見ているのだときづかされました。
夢愛がこう見られる……ではなく、そんな夢愛の障害者の母親としてみられるのが嫌だったから私は彼女の夢を妨害していました。
私は、夢愛の夢を応援できていなかったのです。
夢愛に言われて気付かされました。まだ、この年になっても気づくことがあるなんて、どれだけ彼女のことを知らないんだと、自分を責めました。
でも、夢愛はそんな私を責めることなくいつも「産んでくれてありがとう」と言ってくれるのです。
「お母さんが産んでくれなきゃ、私は夢を追うことができなかったのよ。名前も気に入っているわ。私にぴったりだもん……えへへ」
と、いつも照れくさそうに言うのです。
名前。
夢愛―――それは夫と付けた名前でした。
夢に向かって進んで欲しい。また、其れを助けるために私達親は愛を注ぐという意味が込められている……それが夢愛の名前の由来でした。
子供の夢は一人では叶えられない。親が愛を持って育て、助けるからこそ子供は夢に向かって進めるのだと思いました。
私が夢愛の夢を応援しなければならない。
それは義務ではなく、私がすべきことだったのです。
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