第2話 幸いと不幸
大学で知りあった夫と式を挙げ、子供を授かりました。夫はとても気前が良く、仕事に熱心で…でも、いつも家事を手伝ってくれる理想の男性でした。
子供ができたと言ったときも、とても喜び何度何度も私に向かって「ありがとう」と言いました。夫は笑顔の似合う人でしたから、生まれてくる子供もきっと笑顔の似合うこなんだろうなと、想像して、毎晩、毎晩、頬を緩ましていました。
子供を迎えるために、赤ちゃんクラブに入ったり、ベビーカーやベビーベッドを買いそろえたりしました。早く産まれてこないかなと、お腹をさすりながら子供に話しかけました。お腹の中にいる子供は、それに応えるように私の腹を蹴ります。
ちゃんと声が聞えているんだ…
と、とても嬉しくなりました。
しかし、其れが頻繁に蹴られるようになってから、少し違和感を覚えました。
今思えば、これは何かの危険信号だったのではないかと思います。
子供が生まれたのは丁度初雪の日でした。
私は、自宅で倒れ気がついた母が病院まで運んできてくれました。
夫は仕事で、知らせを聞いて帰る。とだけ連絡をよこしました。
夫は仕事が好きでしたし、今はとても忙しい時期だったので私は気を利かせて大丈夫だよ。と返しました。
でも、実際のところ不安でした。
初めての出産でしたし、いつも隣にいる夫が居ないことがとても悲しく思えました。
私はこれから母になるのに、怖いものがあるなんて……少し、子供に恥ずかしい気持ちになりました。
母親は私の隣で「頑張ってね」と強く手を握りしめてくれました。
少し、落ち着いたのを覚えています。
病室の外には白い花びらのような雪が舞い始めており、いよいよ吹雪になってきました。
知らせを受けて、親戚やお義母さんや、お義父さんまで駆けつけてくれました。
夫は、まだ到着していないようでした。
彼には子供の顔をいち早く見せたかったので、早く来てくれないかな…とそれだけが頭の中を回っていました。
私は部屋を移動し、赤ちゃんを産むためにベッドの上に寝転びました。
白い天井、一面白い部屋。部屋には私と、助産師さんらが居て、外には親戚らが居ます。
私は、力一杯赤ちゃんを押し出します。
子供も、一生懸命外に出るため下へ下へと降りてきます。
誰の声か分かりませんでしたが、「頭が見えました。もう少しですよ」と声をかけてくださったので、私は最後の一踏ん張りで声を出しながら気張りました。
おぎゃぁ
と、子供の泣き声が聞えたのをはっきりと耳で捉えました。
部屋には歓声があがり、「産まれました。元気な女の子ですよ」と私の隣に赤ちゃんを抱えて見せてくれました。
真っ赤な顔で、とても可愛らしい女の子が生まれました。
私は、彼女を優しく抱きしめました。
「産まれてきてくれてありがとう」
と、何度も言いました。其れが分かったのか、子供は私の頬をぺちペちと叩きました。
外で控えていた親戚らが部屋に入ってきました。私は、嬉しくて早く子供を見せたいばかりでした。
しかし、入ってきたお義母さんの顔はとても暗く他の皆も浮かない様子でした。私は思わず、「どうなさったんですか?」と聞くと、お義母さんはお義父さんの肩を借りて泣き出しました。
そして、義姉が私の名前を呼んでとてもとても悲しそうに私の夫の名前を言いました。
「あのね、雪子さん。正治はね交通事故で死んでしまったの……」
「え……」
正治、私の夫は死んだ。
其れを聞いたとき目の前が真っ白になりました。
何度も聞き返しましたが、返ってくる返答は変わらず私は絶望の淵に追いやられました。
夫はあれ程、子供がみたいと言っていましたし、何より私は夫と共に子供を育てていこうと言っておりましたので、絶望…その一言ですませられないぐらいでした。
部屋にいた助産師や、医者は何て言っていいのか分からないようでただ俯き、だんまりを決め込んでいました。
私は泣くことしかできず、生まれた子供以上に泣いていたと思います。
しかし、私は母になったのでこの子を育てていかなければなりませんでした。いえ、育てなければいけません。其れは親の義務ですから。
夫と事前に考えていた名前を子供に付けました。子供の名前は「夢(ゆ)愛(な)」と言います。夢に向かって進んで欲しい。また、其れを助けるために私達親は愛を注ぐという意味が込められています。
私は、夢愛を抱きかかえて一晩中泣いていました。
夢愛は静かです。
まるで、父親を亡くしたことを悟ったかのようでした。其れもまた、少し気味悪かったのですが、私のことを心配してくれているのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
「たぁ……」
夢愛は小さな声で私に呼びかけました。
小さな手、小さな足……でも、夢愛から感じられるのは大きな力でした。夢愛は私に力をくれました。このこと共に生きていく。私はそう決めました。
そしてもう一度、彼女を抱きしめました。
しかし、そんな幸せもつかの間でした。
次の日だったと思います。私は医師に呼び出されある部屋のベッドの上でその話を聞くことになりました。夢愛は別室にいたと思います。
部屋に医師が入ってきた瞬間、決まりが悪そうな顔をこちらに向けられました。不吉な予感がしました。
そして、医師はゆっくりといすに腰をかけ重い溜息をしました。手には束ねられた資料が握られていました。
「どう、したんですか……?」
医師がちっとも話を始めないので、私は少しイラッとしてそう聞きました。医師はもう一度溜息をしてから、私の方を真っ直ぐ見ました。その目には諦め。の二文字が浮かんでいるようでいい話でないことは察しました。
医師は重い口を開き、ただこう言いました。
「貴方のお子さんですが……目が見えていません」
と。多分私は、もの凄い顔になっていたと思います。全神経がストップしていた、或いは全筋肉が硬直していたのかも知れません。私は「はい?」と、理解できず医師に助けをもとめました。
医師は何度も、「ですから、貴方のお子さんは生まれつき目が見えないのです。全くね」と言います。どうしても其れが、他人事のようで私はその空間に一人取り残されてような気持ちになっていました。
「目が見えないとは?」
「生まれつきです。病院に通ってもらいながらの生活になるかも知れません。しかし、普通の生活は困難なものだと思います」
医師は淡々と話しました。
私の娘は目が見えない。
夢愛は私の姿を認識できていなかったというのです。もしかすると、私のことを母親とすら思っていないかも知れません。
医師はその後の人生のことを話していました。
幸いでしたが、私の家の近くには支援学校などそう言った障害を持ったこがはいれる施設がありましたし、その施設というのも凄い設備が整っていましたのでその点に関しては問題ありませんでした。
しかし、私の娘は普通の生活ができないのです。
目が見えないと言うことは、真っ暗な世界で生きていかなければならないと言うことです。
本当の意味で、世界に一人……だと思います。
医師は、色々と説明しました。
ただ私は、その説明も右から左へと流れていくばかりでした。
不幸の上に不幸が積み重なっていまいしたので、思考が追いついていなかったのだと思います。
夫を失い、最愛の娘は目が見えない。
こんな不幸、誰が想像できたと思いますか。
私は、医師が去った後夢愛がいる部屋に戻りました。
夢愛は元気に泣いていました。しかし、目が見えないので悲しくて、怖くて泣いているようにも思え、惨めに思えてならなかったのです。
私は、夢愛に目もくれず布団に潜っていたと思います。
母としてならぬ行為でした。
それは、これからどうしていけばいいのか分からない、先の見えない不安に押しつぶされてしまいそうだったからです。
障害を持った子供と生きていく。それは簡単なことではありません。
第一、その子供の障害と向き合ってかなければなりませんでしたし、何より其れを支えていかなければならなかったのでとても私にできるようなことではありませんでした。
夫が居れば少し話は変わっていたと思います。しかし、その夫も還らぬ人となった。私一人にはとうてい無理です。自信が全くありませんでした。
それどころか、子供を産まなきゃ良かったと思ってしまいました。
夢愛の泣き声が五月蠅いとまで思ってしまいました。
母親としてこの時点で失格でした。
話を聞きつけた親戚は退院後、色々と世話を焼いてくれました。
少し助かったことと言えば、事前に買って置いた赤ちゃんグッズが役に立ったことです。これは、夫が生きているときに一緒に買ったものでした。本来なら、その夫と二人で彼女を育てるはずでした。
もう一つ助かったことがあります。
夫が死んだときにでた保険金と、彼が貯めていた貯金です。私には秘密にしていたようですが、一戸建てを買う。という夢が夫にはあったそうでそのための貯金だったと思います。しかし、それも今では叶いません。なので、その貯金は生活費に回させてもらうことにしました。
親戚から実家で暮らさないか?という話を持ちかけられましたが、私は断ってしまいました。其れは多分、甘える弱い私が出てくるからだと考えたからです。
それに、今は一人で一度落ち着きたかったからです。
親戚は、優しく「いつでも頼ってね」と言いました。私には其れが、「可哀相にね。助けてあげなくちゃね」と上からものを言われているように感じました。
今、私以外は敵に見えています。
私は今、皆と違う世界で生きている。そう感じています。
障害を持った娘が居て、夫が死んで……
不幸この上ないのです。
退院後、私はすぐに風邪で寝込んでしまいました。そのことは、親戚に伝えたので母が家に来て家事を手伝ってくれました。夢愛の面倒も見てくれました。
風邪で通常の考え方ができていなかったのか、そのまま夢愛を育ててくれないか……とまで思いました。いや、実際言ってしまったのです。
母は「何を言ってるの。貴方の子でしょ。こんなに可愛いじゃない。責任持って育てるのよ」ときっぱり言いました。
その言葉はぐさりと胸に刺さりました。
この時点でもう、責任という言葉に押しつぶされ、半分放棄しているようなものでした。母にそれを言われて、泣きそうな気持ちでした。
もう嫌だ。
私は、母に反抗して手伝いに来てくれた母に全て任せて自室で引きこもっていました。自室と言っても、私が住んでいたのはマンションでしたし、鍵は開いているので母は何度もそこを出入りしていました。
風邪も治り、母は家から出て行きました。
最後に私に呪いのような言葉を吐いてです。「貴方が育てなさい。貴方の子でしょ? 障害が何なの? 彼女を愛してあげなさい」と。
母は少し呆れて、少し怒っていたと思います。
私はそんな母に対して何も言えませんでした。言う勇気も、反抗する気さえも失せていました。
ただ、そこに何かが広がっているだけでした。途方もない何かが……
夢愛が誕生し三ヶ月、夢愛の首もすわり一人で動くことが多くなりました。家具の角全てにコーナークッションを付けました。六ヶ月になると、夢愛は目が見えないのにかかわらず、とても活発的に動き目を離すと台の上にまで乗ってますので危険この上なかったです。
毎日、毎日そんな夢愛に注意ばかりしていたので数日で喉が潰れました。
優しく接することができなかったもの原因の一つだったと思います。
夢愛は目が見えませんが、必死にこの家、空間のことを理解しようと自分なりに動いていたものと思われます。しかし、其れは私にとってとても喜ばしくない行為でした。
目を離す……何てことができず疲れ切ってしまっていました。が、休む暇などありませんでした。
夢愛はどんどん大きくなっていましたが、成長記録を付ける……何て言っていた夫が生きていた頃と違い、育児放棄すれすれの状態でした。
夢愛のご飯は作ります。
しかし、夢愛は自分一人で食べられないので、「まーまー」と言って私に食べさせるよう命令します。可愛らしくなくて、私は無理矢理口の中に押し込みそうになりました。その時夢愛は「うーうー」といやがるような仕草をします。
そこで我に返り、少し優しく接することが初めてできるのです。
私は、子供に気付かされないと気づけないダメな母親になっていました。
夢愛が寝た後、ストレスのあまり何度も吐きました。
何度も、子供なんていらないと、産まなきゃ良かったと鏡の前でぶつぶつ言っていました。其れを察した夢愛は泣き出し、私は鏡の前に立っている、あの頃と変わり果てた自分を見てゾッとします。
目には憎悪、口には殺意、体全体に悪意や負の感情をまとった女が立っています。それが、今の私だったのです。
私は、夢愛を抱きかかえて泣きました。
夢愛は私がなくと泣き止んで、私の頬をペちペちと叩きます。励ましてくれているのだと思います。
私はそんな夢愛に対して「ごめんね」としか言えませんでした。
夢愛は私のことを母親、と認識しているようで、私がなく日には決まって「まーまー」と少し悲しげな声で私を励ましました。
私は本当にダメな母親だったと思います。
それは、人から見ても、自分から見ても、夢愛から見てもです。
しかし、それでも私は夢愛と真剣に向き合おうとそう思えませんでした。まだ、私の中に障害。という言葉が引っかかっていたからだと思います。
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