第2話 悲劇と出会い



◆◇◆◇◆



 誰もいない通学路。黒い野良猫に横切られ、縁起が悪いなあと苦笑しながら私は重い足取りで歩いていた。


 先月、お父さんが交通事故で亡くなった。轢き逃げで、まだ犯人は捕まっていない。

 その日は、お父さんとお母さんと外食の帰り道だった。まだ明るい人通りの多い道を歩いていた。信号は確か青だった。白線の上を歩いていると、急にカーブから飛び出してきた。あちら側は、まだ赤信号だったと思う。目の前に迫ったトラック、白い光に目が眩み私はその場を動けなかった。そんなとき、ドンと、私の身体を誰かが横から押した。「危ない」と。それがお父さんだった。


 気がついたとき私は道路の端で倒れていた。そして、真っ先に目に飛び込んできたのは、血だらけのお父さんを、私はただ呆然とみることしかできなかった。お母さんの悲鳴が遠くから聞え、救急車のサイレンの音が近づいてきた。

 私は、立ち上がることが出来ず地面を這いながらお父さんに近づいた。もう少しで救急車がきてくれるはず、助かる、大丈夫。お父さんは助かる。と心の中で何度も唱えた。だけど、お父さんにあとちょっとで手が届きそうだった時、気付いてしまった。

 お父さんの胸のあたりから『芽』が出ていることに。

 そして、その芽はだんだんと大きくなっていく。あたりに散らばった父の血は吸い上げられるように引いていき、芽は生長しやがて白い花が咲いた。一メートル近くあるその花は、今まで見てきたどんな花よりも美しく、大きく、綺麗だった。



「いや、いやよ」



 そんな擦れた声が聞え、私はふと顔を上げた。そこには、涙で顔がぐちゃぐちゃになったお母さんがいた。化粧が全て涙で落ち、顔は黒く茶色くなっていた。

 お母さんは白い花とお父さんの衣服を抱締め泣いていた。周りの野次馬達もぞろぞろと集まってきて、やっと到着した救急車のサイレンはお母さんの叫びと共鳴するかのようにけたたましく鳴っていた。

 私は、そんな周りの悲しみや同情の涙よりもなにより、お父さんの残したあの花に心を奪われていた。





「ただいま」



 暗い部屋に響く私の声。不用心にも、家の鍵は開いていた。多分お母さんだろう。

 お父さんが死んでから、お母さんは仕事を休み家に引きこもっている。洗濯も料理も何も出来なくなってしまった。ただ、「あーあー」と言うばかりで、完全に思考が停止してしまっているようだった。そんなお母さんの面倒を見ながら、学校に行き、バイトもいれ生活している。植物人間のようなお母さんを見るたび胸が痛む。

 お母さんは、明るくて優しい人だった。でも、その面影はもう無い。お父さんの残した花を抱締め涙を流し続けている。お母さんの涙を浴びるたびに、花はよりいっそ綺麗に見え、その花弁は宝石のように輝いていた。



 葬送華。


 本屋で、葬送華を育てる方法が載っている本をあらかた買ってきて、色々試しているが、どれも信用出来ず本棚に入れっぱなしである。きっと、お父さんの葬送華が枯れてしまえば、お母さんは本当に壊れてしまうと思ったから。

 また、それとは別に私がお父さんの葬送華をずっと見ていたかったから。私は花が大好きだし、いつか自分の花屋を開きたいとおもっているから。学校の部活も華道部だ。花に沢山触れてきた私だったけど、お父さんの葬送華はこれまで見たどの花よりも綺麗だった。心が惹き付けられた。魅了された。葬送華は芸術品だ、宝石異常の価値があるなんていわれているけど、まさにその通りだと私は思う。

お父さんの葬送華は、かすみ草だった。見慣れたその花ですら、美しいと思うのだからやっぱり葬送華は他の花とは違うのだろう。



「お母さん、帰ったよー」



 いつも通り返事は無い。でも、少しだけほんの少しだけ期待しているのだ、お母さんが前みたいに「おかえりなさい」っていってくれることを。もうあの頃に戻れないのかも知れないけれど。

私は、靴を脱ぎお母さんがいつも居る部屋に向かった。お父さんのうつった家族写真の前で、いつもならお母さんは泣いているから。顔を見に行こうと、私は部屋のドアを開けた。



ドサッ。



「お……かあ、さん?」



 肩にさげていた鞄が落ちると同時に、私は膝から崩れ落ちた。信じられない光景が、頭はまだ追いついていない、現実を受け入れられない。

 天井からつり下げられたロープ。倒れた椅子。手足がぶらん、ぶらんと揺れているお母さんの身体。



「お母さん、おかあさんッ!」



 弾かれたように、遠くなっていた意識が戻ってき、私はお母さんに駆け寄った。手に握られていたかすみ草はゆっくりと床に落ち、そしてロープをどうにかしようとした瞬間するりと、お母さんの衣服が落ちてきた。その衣服をぎゅっと抱締め、私は声にならない悲鳴を上げた。

 倒れた椅子に、白い一輪の花が突き刺さっていた。



「なんで、なんで、なんで、なんで! なんで!」



 部屋に広がる林檎のような甘い香り。私の両脇に美しく咲く白い花。その花が、泣かないでとでも言うかのように、慰めの言葉を紡ぐかのように揺れていた。

 もっと早く帰ってこれば、帰るのが辛い、お母さんの顔を見るのが辛いからって寄り道しなければ、もっともっと早く気付いていれば、もっと寄り添っていれば。

 お母さんは死んだ。自殺だった。

 お母さんのことだ、自殺なんてしないだろうって心の何処かで思っていた。いつか、立ち直ってお父さんの分まで生きるって笑顔を見せてくれると思っていた。



 でも――――、



「何で死んじゃったの、なんで。私が嫌いだったの? お父さんに助けられて、生きている私が憎かったの、見てて辛かったの? ねえ、なんで、死んじゃったの」

 


 上手く呼吸が出来ない肺で、ひくつく喉から声を絞り出した。叫んだ。

 とりとめも無く溢れてくる言葉。謝罪と後悔と。お父さんが死んでから泣いていなかった私が、何も言わずに心の中でとどめていた言葉が溢れ出した。


 甘い香りが鬱陶しい。


 お母さんの衣服に顔を埋め、泣いて、泣いて、泣いた。

 無力な自分に、何も出来なかった自分に、生きている自分に嫌気がさした。

 祖父と祖母はもう他界しているし、親戚とは仲が良くなく絶縁関係であるし、私はひとりぼっちだ。これからどうやって生きていけば良いっていうの。

 私は、天井からつるされたロープを見た。

 自然と倒れた椅子に手が伸びていた。そこで、椅子に刺さっていた、お母さんの葬送華が目にとまった。林檎のような甘い香りは、お母さんの葬送華のものだったのだ。



「……私が死んだら、どんな花が咲くんだろう」



 思い浮かんだのはそんなちっぽけな事だった。

 椅子を立て直し、両手にお父さんとお母さんの葬送華を握り、私はロープの縁をそっと撫でた。

 お父さんもお母さんも白い花だから、私も白色いかな……。



「今、いくよ」



 ロープに首を通し一歩前に踏み出す。ただ、それだけ――、



「わっ! 葬送華が二本あるなんてついてるなぁ!」



 飛んできた場違いな声に思わず私は、ロープを引っ張ってしまった。ブチっと音をたてロープは引きちぎれ、私は椅子から落ちてしまった。



「いたた……」



 タンスに頭をぶつけ、私はくらくらする視界の中場違いな声の主を探した。



「三本目。って、君まだ生きてるんだ」



 手が触れた。


 葬送華を握っている手の方だ。誰かが、私の手に触れた。その言葉の意味を理解した私は、ぎゅっと葬送華を握りしめた。

 葬送華を売買する裏組織のことが頭をよぎったからだ。

 先ほどまで、死のうとしていたのに、それでもお父さんとお母さんの葬送華が他の誰かの手に渡るのが嫌だった。私は、ギッと声の主を睨んだ。



「あーあ、そんな睨まない、睨まない。それ、君の大切なものなんでしょ」



 くらくらしていた視界がパッと戻ってき、私は瞬きをした。横に倒れた私の顔をのぞき込んでいたのは、白い髪に金色の瞳をもった男だった。男は、ニッコリ笑うと黒手袋を付けた両手を挙げ、私から距離を取った。

 よっこいしょと、身体を起こし私はもう一度目を擦り男を見た。金色の瞳と目が合う。



「貴方は、誰? 葬送華を売買しているって言う、裏組織の人?」



 思わず聞いてしまった。もっと、違う聞き方だってあったはず。しかし、頭が回らなかったため、凄く幼稚な、危険な聞き方をしてしまった。

 男は、顎に手を当て悩む素振りを見せた後、またとってつけたような笑顔と言葉を並べ、私の口に指を当てこういった。



「違う、違う。僕は葬送華を買い取り保管する仕事をしている『死神』だよ」

「『死神』?」

「うん、だから気軽に死神さんって呼んでよ」



 男は、そういうとケラケラと笑い出した。

 葬送華を売買している裏組織とどう違うのだろうと、頭を抱えたが、こんなひょうきんな男が裏組織の人…とは考えにくい。いや、それは私の考えで、私を騙すために道化を演じているのかも知れない。

 私は『死神』と名乗った男を、もう一度睨み付けた。



「売買はしてないなあ。何せ、一般人が葬送華を枯らさず育てること何て不可能に近いからね」

「葬送華……は、いつか枯れるものなんじゃ無いの? 花もいつかかれるし」

「それは、君の考えだろ? 世の中不思議なことだって、あり得ないことだってあるさ。例えばその『葬送華』。それを、普通の花と同じように考えちゃブー」



 死神は、そういうと私のもっていた葬送華を指さした。


 確かに、葬送華は謎に包まれているし、まだわからないことだらけで、私だって普通の花と違うことぐらいは知っている。でも、花は花。いつかは枯れてしまうもの。

 そんなことを考えていると、死神は倒れた椅子を立て直し腰掛け、白黒のパーカーの黒いフードをかぶった。



「死人から咲く花だよ。その人を忘れない限り、その花が枯れることは無い。人はいつ死ぬと思う? 死んだとき? 火葬されて骨になったとき? ……違うよ、人に忘れ去られたときだよ」



 死神はそういって、笑う。フードで隠れた顔ははっきりと見え無かったけど、三日月状に裂けた口だけが見えた。つかめない人。



「じゃあ、私がお父さんとお母さんのこと忘れなければ、葬送華は枯れないって言うの? でも、どれだけ遺族が悲しもうが、泣こうが葬送華が枯れてしまうってニュースで」

「扱い方はあるよ。そりゃあね。君の云うとおり、花だ。葬送華も植物と、生き物と一緒。育て方って言うのがあるんだ」



 その言葉を聞いて、私は二本の葬送華を見つめた。


 この花を枯らしたくない。この美しい花をこのまま保ちたい。

 綺麗だと思った花も、綺麗に生けた花も枯れてしまって、何度も胸を痛めた。花が好きだから。ドライフラワーやハーバリウムとかそういうのではない、自然な状態で花を綺麗に保つ方法が知りたい。

 そう思った。行動は早かった。



「あの!」

「え、何?」

「もしよければ、死神さんの仕事の手伝いがしたい。私は、この葬送華を枯らしたくない。方法が知りたい。葬送華について、知っていることを教えて欲しい」



 私はいった。死神に。

 葬送華を枯らしたくないっていう思いも、勿論本物。でも、葬送華のことを知りたかった。私が惹き付けられ、目を奪われ、心を奪われたこの花について。きっと、死神なら教えてくれると思ったから。



「結構ストイックだね、君。嫌いじゃないよ」

「あ、そういえば私の自己紹介がまだでした。私、ハナって言います」

「ハナ、ハナちゃんか」



 死神は、フッと笑うと、私の頭を撫でた。冷たい手だった。

 まだ、部屋の中に林檎のような甘い香りが残っていた。



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