第3話

 日が昇る前、寝ているかよちゃんを抱きかかえる。荘俳さんは周囲を見回しつつ、悪路王がいないことを確かめて廃寺の入口まで見送ってくれた。荘俳さんは僕に深々と頭を下げていた。


「……すみません。三代治殿。かよをお願いします」

「……いえ、僕もできることをします──が……」


 背後に現れた嫌な気配。……来るだろうと思ったよ。荘俳さんは「ひっ」と怯えた声を出し、僕はかよちゃんを強く抱えて口を開く。


「気付いているだろうと思ったよ。悪路王」


 日が登っていく中、大柄の男の鬼はニヤリと笑う。


「ああ、気付いていた。俺との会話を盗み聞きした半妖さん。まさか、ここにいるとはなぁ?」


 僕に手を出して、かよちゃんを指し示す。


「そこの子供をよこせ。そしたら逃がしてやるよ」


 あどけなく眠っているかよちゃんを追いていけば、僕は助かる。傷は治りかけ出し、本調子じゃない。逃げておいても組織の立場的にも問題はない。

 が。


「断る」


 険しい顔をしてかよちゃんを両手で抱き締めて、僕は逃げる体勢を取った。小さな命を見捨てたくないし、荘俳さんの頼みもあるからこそ容易に渡せない。僕は義の人というほどに信念を持ち合わせてない。けれど、人並みの倫理と道理は持っているつもりだ。

 僕の反応に不愉快そうだ。当然だろうが、相手に隙がない。……僕自身怪我やかよちゃんを守る名目もあり大きな動きはできないし……。だが、詰んだというわけではない。僕の身を犠牲にする案もある。

 考えを少しでも巡らせようとしたときだ。背後で囁やきが聞こえる。悪路王も聞こえたらしく聞く前に、荘俳さんの声がだんだんと大きくなった。


「……っソワタヤ ウンタラタ カンマン!」

「!」


 悪路王が赤い炎が包まれた。これは、真言による僧侶や陰陽師が使う術。使用者に僕は驚いて振り返る。


「……っ荘俳さん!?」


 ボロボロの数珠を手に、荘俳さんは合掌をしている。額に角を生やし、手を火傷させながら苦しげに笑っていた。


「……初めてではありますが……うまくいくもの、ですね」

「……っ荘俳さん。けどそれは!」


 初めてで使うのはともかく、鬼の状態で真言の術を使うのは毒だ。それが、魔を滅する不動明王の力なれば自殺行為。僕の反応に彼は口を動かす。


「……っ私に構わないで」


 声を張り上げ、僕に必死で告げる。


「っはやく、早くっ逃げるんだ!」

「っ……!」


 ……僕はボロボロになっていく荘俳さんの横を走って通り過ぎる。境内に入ってボロボロになって崩れている塀の裏側から出ていった。

 すやすやと寝ているかよちゃんが起きてないのが救いだろう。……あんなの見せられない。

 痛みをこらえながら、できる限り廃寺から離れようと獣道を走り出す。走って去っていく中、遠くから大きな音が聞こえた。

 ……気配も一つなくなった。

 荘俳さん。僕は貴方を少しだけ疑っていました。本当にすみません。

 かよちゃんを傷付けないように、僕は走っていく。


「っ……」


 痛いが走る。けど、耐えられる範囲だ。彼女をしっかりと抱えて、起こさないようにできる限り離れて。

 近くで見覚えのある場所を通る。悪路王を追っていたときの森と道だ。僕が倒れた場所からここは廃寺までそんなに距離はないようだ。

 なら、八一がここまで探しているだろう。……ここまで来たなら安心だ。


 ふっと息をついて、歩みを遅くしたとき。


 近くから声がする。


「残念、ここまでだな」


 殺気を感じ、悪寒がした。振り返ると、大柄の鬼の……悪路王が僕の眼の前にいた。楽しげに笑って、手にしているボロ布を見せ……いや、違う。あの着物の一部は……。


「裏切り者は自分から焼かれて自滅したよ」

「荘俳さん……」


 そんな、彼は。……いや、わかっていたことじゃないか。奥歯を噛み締めて、かよちゃんを守るように抱き締める。荘俳さんは死ぬのがわかって、殺されるかもしれない可能性すらもわかって僕に託したんだ。

 僕に近づいてくる悪路王。……うん、近くに八一の気配がある。良かった。かよちゃんを託して逃がせば、彼女は助かる。

 僕が全身全霊で生命を燃やせ──。


「あらら、やっくんに頼まれてきてみれば、三代治くん。そぉんなかわいい子連れて、どうしたんだい?」

「っ! おさむ先生!?」


 空から声が聞こえて見上げてみると、両手を後ろに組んでニコニコとしている男性がいた。表情は雑面で隠されており、よくわからない。宙に浮いてにたりと微笑む長身の男性は僕達に多くを教えてくれる先生だ。修先生は僕達よりも長生きな半妖だ。急に現れた先生に悪路王は驚いたらしく、先生は静かに着地した。

 悪路王を見つめ、楽しげに目を細める。


「へぇ、話から生まれた種類の悪路王か。荒々しい性格にその体内から感じる魂……ふぅん? 追いがいありそうだね」

「っ修先生。そいつは!」


 先生は僕の頭を撫でられ、言葉が詰まる。優しく、あやすように。……もう七十代と言う大人のはずなのに……。いや、数百歳の先生からすれば僕は子供か。手が離され、修先生は軽い調子で話す。


「理由は後で聞くし、魂の救出は拙がやっとくよ。三代治くんはその子と一緒に八一くんと本部にね。拙が送るから」


 と話し、先生は悪路王に一歩踏み出す。悪路王は意味わからない様子で見ていたが、次第に顔色を真っ青にしていく。


「っおい、まて。その力は……」

「おや、気づくとは流石。というわけで、手早くすませるからね。じゃあ、三人ともまた本部で会おうね。境」


 先生の言葉とともに軽く指を鳴らすと、すごい力が僕たちを覆う。

 瞬きをするうちに、周囲の風景が変わっていた。

 趣があるけれど、子供が遊べるほどに広い庭。いつもの見慣れた本部の庭で、隣からは驚いた声がする。


「三代治……!」


 はっとして隣に顔を向けると、八一がいた。着物が汚れているし、髪も肌も汚れている。……ぼろぼろになるまで、僕を探してくれたんだ……。

 安心感から……視界が暗転する。かよちゃんを倒さないように抱きしめないと。……かなり激しいやり取りをしているのに、かよちゃんが起きないのすごいな。

 ほってしてしまうからか呑気なことを考えて、僕は意識を手放した。



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