第32話 ケーキ

 僕と小夜は一緒に暮らしていた。

 それは期限付きではなくて、もう少しだけ一緒にいたいという小夜の提案だった。

 それがいつまで続くのか、分からない。

 けど僕はできる限り彼女のそばにいたいと思った。

 それが彼女のためになると信じて。

 今日は日曜日。

 僕は小夜と一緒にテレビを見ていた。

「あ。これ新しいPV」

 僕の小説ブイサイハイブリッドトリューバーのアニメ化記念のPV第二弾。

 その世界観を踏襲したような出来映えに満足する声が大きかった。でも第一弾PVのこともあり、不安視したり、批判的な意見も多いのも事実だ。

 それでも、雨宮先輩、夕花、それに小夜のSNSがフォローしてくれたお陰で、最初の炎上騒ぎはいったんの収束を迎えていた。

 ただ、それでも悪く言う人はいて、全ての人間を納得させることなんてできないのだと痛感した。

 そんなことを考えていると、インターホンが鳴る。

 小夜がおもむろに出る。

『おはようっす。宅配便っす』

『愛を届けにきたのっ!』

 げぇっと嫌そうな顔をする小夜。

「まあ、せっかく来てもらったんだから」

 僕は小夜をなだめると、二人を招き入れる。

「まあ、風神丸くんがそう言うなら、仕方ないけど……」

 不満そうに頬を膨らませる小夜。

 その姿がとても愛おしくて、僕はつい小夜の頭を撫でる。

「ん」

 甘い吐息を漏らし、すっと目を細める彼女。

「ご、ごめん。つい……」

「もっと。もっとして」

「こらこら。ここは18禁じゃないっすよ!」

「一ノ瀬ちゃんだけ、ずるいっ!」

 招かれた客である雨宮先輩と、夕花が割って入ってくる。

 でも、撫でられるの好きなんだ。

 人によっては子ども扱いされていると思って、嫌がるのに。

 可愛いな。こんちくしょうめ!

「夕花も、撫でてっ!」

「え。いや……そういうわけにはいかないでしょ」

 恋人は小夜なのだから。

 じっと彼女を見つめていると、素知らぬ顔で台所に向かう。

 ええ。ほったらかし?

「さっ。撫でてっ!」

「う、うん……」

 僕と小夜って付き合っていないの?

 そっと夕花の頭を撫でる。

 嬉しそうに目を細め、口元を緩ませる。

 夕花はとろけるような笑みを浮かべていた。

 う。なんだか、ドキドキする。

 こんなのいけないって分かっているのに。

 どうしてこんなにも気持ちが高ぶってしまうのだろう。

 いけない。これでは浮気だ。

 こんな失態がバレるわけにはいかない。

「わいも、撫でて欲しいっす……」

「え。いや、ええ……」

 戸惑う僕。

 ここまでやったのなら、仕方ない。

 僕は雨宮先輩の頭を撫でる。

「ほう。これは良いっす」


「バカ。風神丸!」

「え。だって何も言わなかったじゃない!」

 小夜に詰め寄られ困惑する僕。

「当たり前よ。あなたの交友関係を壊したくないから黙っていたんじゃない。それなのに、あんたは鼻の下を伸ばしていたじゃない。みっともない!」

「そ、そんなの、言ってくれなくちゃ分からないじゃないか!」

 僕と小夜は、夕花と雨宮先輩が帰ったあと、いがみ合っていた。

 その内容は先ほど、二人を甘やかしたところにある。

 僕はデレデレした気持ちはないけど、小夜に言わせると僕が悪いらしい。

「で、でも……!」

「でも、も、だけどもない。あんた本当にわたしと付き合いたいわけ?」

「そうだよ。付き合いたいよ。なんなら結婚もしたい」

「だったら、他の女の子と話さないで!」

「それは無理でしょ……」

 落胆したように僕はがっくりと肩を落とす。

 だってこれから先、社会人になれば、他の子と話す機会はあるじゃない。

「もう。風神丸のバカ!」

 そう言って自室に籠もる小夜。

 こうして喧嘩するのも何度目か。

 僕は困ったように頭をガシガシと掻く。

 こんなとき、頭が回ればいいのに。

「ちょっと出かけてくる」

 僕はそう言い残し、一人街に向かう。

 何か機嫌を直すための買い物をしよう。

 小夜はどんなものなら喜んでくれるのか。

 まあ、僕が悪いのは分かっているけど。

 雷霆たちに頼るのはもうしたくないし。

 付き合ってすぐにこれじゃあ、心配をかけてしまうのも分かっている。

 それに僕は女子の知り合いが多い。

 これからはそんな不安をさせないようにしなくてはならない。

 何をすれば小夜が嫌がるのか、ちゃんと考えれば分かることだったのに。

 沈黙=黙認ではないと知っているのに。

 僕は何をやっているのだろう。

 ちょっといいところのケーキでも買うか。

 ケーキ屋にはいり、ふと思い至る。

 彼女が好きな食べ物ってなんだろう。

 僕は彼女のそんな一面すら知らない。

 好きなもの、嫌いなもの。

 誕生日すらも危うい。

 こんな中、僕はどうすればいいのだろう。

 でも気持ちだけでも……。

 チーズケーキとショートケーキを買う。

 ちょっといい紅茶と一緒にだそう。

 今度はちゃんと話をしよう。

 僕は彼女のことを知らない。

 だから知るための努力をするべきだ。

 知りたい。

 知って分かち合いたい。

 理解したい。

 僕だって知らないままは嫌だ。

 もっとちゃんと話をしないといけない。

 その責任と義務がある。

 恋人って、付き合ったらそこで終わりじゃないんだ。

 それを維持して、わかり合って。

 時には喧嘩をする。

 理解を深めるために。

 でなきゃ、すぐに別れてしまう。

 大切なのは相手の気持ちを知ること。

 知らないと前に進めない。

 僕たちの関係はここで終わってしまう。

「小夜。ごめんよ。一緒にケーキ食べよ」

 僕は懺悔するように小夜の部屋の前でケーキを生け贄に、土下座をする。

 見えていないと分かっていても、それだけの気持ちが込めてある。

 この気持ちを彼女が理解してくれないと、前に進めない。

「僕はここで終わりにしたくないんだ。これからも一緒に前を向かせてほしい」

 言葉に嘘偽りはない。

 だって僕の取り柄は素直なことと、ポジティブなところだから。

「この喧嘩は僕の不貞が招いた結果だ。だから、機嫌を直しておくれ」

「本気で、反省しているの?」

 きぃっとドアが開き、そこには泣き腫らした目をした小夜が立っていた。

 鋭く冷徹な目をしている。

「うん。もうしない。だから許して」

 目の端から涙が溢れてくる。

 それはどっちのだったか、覚えていない。

 けど。

「分かった。一緒にケーキ食べよう」

 小夜は受け入れてくれた。

「うん。ありがとう」

 僕は素直になった彼女に感謝し、食卓で用意を始める。

 暖かな紅茶に、ケーキ。

 彼女の口に合うか分からないけど、僕なりの誠意のつもりだった。

 小夜は恐る恐るといった様子でショートケーキを手にする。

 残ったチーズケーキを手にする僕。

 パクッと頬張る小夜と僕。

「うん。ケーキは苦手だったけど、好きになりそう」

 小夜はそう言って、くしゃくしゃな笑みを浮かべる。

 そっか。ケーキ苦手だったか。

「ありがとう。でも、無理はしないで」

「いいの。今ならこの甘さは好きだから」

 本気で言っている目だった。

 僕はじんわりと熱を感じて、ホッとする。

 同じくらいの温度の紅茶をすすり、ケーキにフォークを通す。

 ぎこちない笑みを浮かべて、僕はケーキを食べる。

「はい。あーん」

 小夜は少し赤い頬をし、ケーキのかけらを差し出してくる。

 僕は戸惑いながらも、彼女の思いを尊重する。

「あーん」

 口に運ばれるケーキ。

 間接キスの恥じらいとともに甘い香りが漂ってくる。

 僕はまた一つ大人になった。

 そんな気がした。


 ケーキを食べたあと、僕はしきりに小夜と会話を広げた。

 彼女の思いに応えるべく、頑張る。

 明日もあさってもあるけど、今の時間を大事にしたい。

 心を大切にするには相互理解が必要なんだ。

 僕はもう一人じゃない。


 また明日、頑張れる気がした。

 愛の力で。

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