第31話 呼び名

風神丸ふうじんまるくん。ちょっといい?」

 一ノ瀬が僕に話しかけてきた。

 ちょうどお昼休みだ。

 離れるのにはちょうどいい時間でもある。

「ごめん。雷霆」

「いいって」

 すっと手を上げて、行ってこいと合図する彼。

「ありがとう」

 いつも一緒に食べているのだけど、今回ばかりは譲ってもらった。

 僕が一ノ瀬についていくのを見て、クラスメイトたちがざわついていた。


 屋上

 の手前にある踊り場で一ノ瀬は向き直る。

「ごめんなさい! わたし、あなたに酷いことを言って」

「うん。でも、僕も考えずに言ってしまったよ」

「そんなことない! わたし、本当に人の気持ちを考えていなかった」

「そんなことないよ。僕だって一ノ瀬さんの心を大切にできていなかった」

 ムッとする一ノ瀬。

「そんなことないって!」

「いやいや、あるって!」

 二人で言い合いをしていると、下の階から声が聞こえ始める。

「こら、散れ」「どいてっ!」

 雷霆と夕花の声が聞こえてくる。

「見せものじゃないっすよ!」

 雨宮先輩の声も聞こえてくる。

「場所移す?」

「もう話は終わっているでしょ? 今日もよろしく。同居人さん♪」

 弾んだ声で唇に指を当てる一ノ瀬。

「まあ、罪滅ぼしがしたいなら、わたしのことは小夜さよって呼んでね」

「うん。分かった」

「素直が過ぎるでしょ……」

 頭を抱えている小夜さん。

「まあいいわ。さ、帰るよ。わたしたちの場所へ」

「うん……。うん!」

 彼女の優しい瞳を見て、ドキッとした。

 この気持ち、まさしく愛だ。

 いや、恋か。

 苦笑を浮かべて、小夜さんの後を追う僕。

 やっとわかり合えた気がする。

 この胸がギュッとなる感覚、嫌いじゃない。

 僕はようやく小夜さんと一緒に前を向くことができた気がする。

「うん。帰ろ。小夜さん」

「一緒に、ね」

 小夜さんが小悪魔みたいに唇に指を当ててウインクしてくる。

「か、可愛い……!」

「可愛くしてみたからね♡」

 上機嫌になった彼女は少し前を歩く。



「なあ、何があったんだ?」

 困惑している雷霆の姿がそこにはあった。

「べつに?」

「いや、幸せでいっぱいで、蕩けている顔をしているぞ。風神」

「そうかな~」

「うざ、その顔さっさとやめろ」

 雷霆は心底うっとうしそうに顔を歪ませる。

「あれ。一ノ瀬さん、どうしたの? 嬉しそう」

「べつに?」

「なんだか幸せそう」

「そうかな~」

 そんな小夜さんとモブ子の会話を聞いた雷霆が、鋭い視線を向けてくる。

「ようやくくっついたか。俺としては夕花のことが気がかりだが……」

「夕花ちゃんがどうかしたの?」

 僕はさっぱり分からない顔で応じる。

「お前、最低だな。夕花の気持ちに気づいているだろ?」

「……まあ、ね……。でも僕だって好きな人と結ばれたいじゃない」

 夕花ちゃんも雨宮先輩も、僕を好いてくれている。

 それは嬉しいのだけど、日本の法律では一人としか、結婚できない。

 必定、恋人にできるのは一人まで。

 法律が悪いのか、それとも僕が悪いのか。

 それは分からないけど、僕はできることをするだけだ。

 僕は覚悟をしなくてはいけなかった。

 その責任と義務が僕にはあるから。

 例え他者を傷つけることになっても。

 本当に両思いになれたら、それが一番だから。

「ま、お前が悪いわけではないんだがな……」

 渋面じゅうめんを浮かべて、頬を掻く雷霆。

 冷静で客観的な分析ができる彼だからこそ、僕は友達になったのかもしれない。


 放課後になり、僕はそわそわした様子で小夜さんに駆け寄る。

「小夜さん、一緒に帰ろう?」

「いいわよ」

 クスっと笑みを零す小夜さん。

 その顔は腫れ物が落ちたような笑みだった。

「さ、いくわよ」

「うん!」

 力強く頷くと、僕は小夜さんと一緒にマンションへと向かう。

 帰り道でスーパーにより、買い出しをすると、僕たちはマンションのカギを開けて、一息吐く。

「なんだか。ドキドキしたよ」

「ふふ。そうなのね」

 嬉しそうに目を細める小夜さん。

 僕は胸の辺りがほんわかしている。

 すぐに買ったものを冷蔵庫にいれる。

 食材を調理するのは僕。

 料理だけは得意なのだ。

 誇ってもいい。

 そう思っている。


 料理を作り終えると、僕は共同スペースにある食卓へ並べる。

「わぁあ。豪華だね。風神丸くん」

「呼び方、変えたんだね……」

 少し寂しいものがあり、つい悲しい声を上げてしまう。

「ごめん、素直になれなくて」

「いいだよ。別に。僕は気にしていないからさ」

「ありがとう」

 小夜さんが安心したように微笑みを浮かべる。

「小夜さんは――」

「小夜って呼び捨てにして♡」

「あ、はい」

 え。なんか急に距離感バグっていない?

 口調も、いつもより優しいし。

「はい。あーん♡」

「え。いや、自分で食べられ――」

 無残にも、僕の口に放り込まれるコロッケ。

「どう? おいしい?」

「うん。おいしいけど」

 突然のことと、緊張で味が分からなかった。なんて言えないよなー。

「うん。おいしい♪」

 自分でも食べてみた小夜さんの感想。

 それを聞いて嬉しくなる。

 僕の手料理を美味しいと言ってくれるなんて。

 感激のあまり、目頭が熱くなる。

 今まで感想を言ってくれないことが多かったから。

「それにしても、どういう風の吹き回しなのかな。小夜」

「ん? どういう意味」

 僕の足がギュッと踏まれる。

 いや、やっぱり小夜は一ノ瀬だった。

「なんでもありません」

「分かればいいのよ。分かれば」

 ちょっと怖いところも変わらず、なのね。

 恋人ということで舞い上がっているのかもしれない。

 今後は怒らせないように注意しよう。


「後片付け、一緒にする!」

 小夜がだらしなく頬を緩めて、駆け寄ってくる。

「いいよ。小夜は片付け上手だし」

 料理の腕は意味不明だけど、片付けは上手なんだよね。

 不思議なものだ。

 片付けを始めて少し。

「なんだか、こうしていると夫婦みたいだね」

 小夜が何げなく呟いて、僕はドキドキしてしまう。

「そ、そうかな?」

「あー。赤くなっている。可愛い♪」

「からかわないでよ」

 僕は顔を背けると、水で洗剤を洗い流す。

「ふふ。いいじゃない。褒めているのだから」

「そんな気がしないけど」

 男の子にとって可愛いはあまり褒め言葉じゃないんだよね。

「まあ、風神丸くんの隙ある姿もいいよ」

「何がいいのさ」

 ふれ腐れたように呟くと、お皿を拭く小夜。

「それは、わたしが知っているから」

「なに恥ずかしいこと言っているのさ」

「いいじゃない。二人だけの秘密だもの」

 からかうように声を弾ませる小夜。

「もう。そんなこと言っていないで、皿拭いて」

「はーい」

 嬉しそうにそう言うと皿拭きを再開する小夜。

「素直だね」

「あら。悪い?」

 意地悪な笑みを浮かべてこちらを見やる小夜。

「悪くない」

「でしょう?」

 どや顔でない胸を張る小夜。

 まあ、いいんだけど。

 僕は困ったように頬を掻き、皿洗いを終える。

「そうだ。そろそろ同居して二ヶ月だね」

 怖くてその先が話せないけど、これからは必要になる話でもある。

「……うん」

 小夜は小さく頷く。

「どうするの? 大家さんが次のマンションを紹介してくれているって聞いたけど」

「まあ、そうなんだけどね……」

 困ったように顔をしかめる小夜。

 その顔から何を読み取っていいのか、戸惑う。

「できれば、もう少し」

 時間が欲しいのかな。

 まあ一緒に暮らしていたのが不健全だものね。しょうがない。

 少し悲しいけど。

「もう少し、一緒にいたい」

 か細く、弱々しい声で言う小夜。

「え。それって……」

「あ、いや。その……風神丸くんの料理がおいしいのがいけないのよ!」

「そ、そう? ならまた作るよ」

「……うん、ありがと」

 しおらしい声で応じる小夜。

 なんだかどうしたいのか、分からないけど、まだ一緒に暮らすってことかな?

 ちょっと頬を赤く染めている小夜。

 それが可愛らしく見えた。

 僕はやっぱり小夜が好きなんだと思う。

 また会話したいな。

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