第29話 お金目当て

 雷霆らいていに言われて、僕は目を覚ますような思いになった。

 家に着くと、さっそく小説の続きを書く。

 今までにない、ダークな雰囲気を醸し出している続編。

 それがうまいのか、展開としていいのかも定かではない。

 でも書かなくちゃ、何も始まらない。何も終わらない。

「糞童貞。いいかしら?」

 ドア越しに聞こえてくる一ノ瀬の声。

 またか。

 でも、僕は逃げる訳にはいかない。

「どうしたの?」

「考え直してくれない? 引退の件」

「うん。分かった」

「え! いいのかしら!?」

「うん。ごめん。心配かけてしまったね」

 もうそろそろこの同棲生活が始まって一ヶ月と半月になる。

 分かっている。

 離れる時が近いと。

「やった……!」

 僕は部屋のドアを開ける。

 そこには涙目になっている一ノ瀬がいた。

「一ノ瀬さん……。でもどうして?」

「童貞には分からないのだろうけど、みんな頑張っているのよ?」

 みんな。それは誰を刺す言葉だろう。

「そして大きなお金も動いている」

 お金。

「そっか。そうだよね」

「神童貞……?」

 お金か。またお金なのか。

「そうだよね。一ノ瀬さんからしてみれば、やっぱりが大事なんだよね?」

「ち、違う! わたしはただ、それだけのえいきょう……」

「そんなんだから恋愛は嫌いなんだ! みんな僕をATMとしてしか見てない!」

 苛立った声音で威嚇するように吐き出す僕。

「ふう……!」

 その声に聞き覚えがある。

 あの闇の中にいた僕を救ってくれた声優の声。

 はっとする。

 僕を救ってくれたのは一ノ瀬だ。

 彼女がいなければ、僕はこの世に未練なく……死んでいただろう。

「ふう……。ごめんなさい。でも、わたしはあなたの味方だよ」

 そう言って駆け出す一ノ瀬。

 玄関を開けて出ていく。

 慌ててその背中を追いかける。

 マズいマズい。

 雷霆に言われたばかりじゃないか。

 なのに、なんでこんな失態をしてしまうんだ。

 僕はその日ついぞ、彼女を見つけることができなかった。


☆★☆

 小夜side


 わたしは慌てて飛び出した。

 裸足のまま。足を切ったらしく血が出ている。

 近くの公園でベンチに座って、ひたすら泣いた。

 あの言い方では神童貞を傷つけてしまうと分かっていた。いたはずなのに。

 お金だって人の心の変動についてくる。

 そう理解しているわたしとは違って、彼は経済に疎い。

 株価や企業努力、慈善事業だって立派な心の変化だ。

 それを分かっているのはわたしだけかもしれないのに。

「一ノ瀬さん?」

 神童貞かと思い、嬉々として顔を上げる。

 が、そこに合った顔は違う。

「夕花ちゃん……」

「どうしたのっ? こんなところでっ。足! 怪我しているじゃないっ!」

 慌てて荷物を落とし、わたしに駆け寄る夕花ちゃん。

「ええっと」

 どう言っていいのか分からずに困っていると、夕花ちゃんはハンカチで傷跡を拭う。

「あっちの水で洗おう?」

「う、うん……」

 処置を終えると、夕花ちゃんはこんな提案をしてくる。

「夕花の家においでよっ。お話、しよっ!」

「……そっか。いいよ」

「それじゃ、決まりっ!」

 彼女、そのあざとさは天然なのね。

 わたしはてっきり仮面かと思っていた。

 甘い声も、魅力的なスタイルも、彼女の天性なのかもしれない。

 それに比べてわたしは情けないよ……。

 夕花ちゃんの実家は少し離れたところにある。

「なんでこんなに離れている高校にしたのよ?」

 わたしは何げなく聞いた。

「だって、ふーまるが行くっていうからっ」

 恋は盲目と言うけど、本当にそうみたい。

 夕花ちゃんは本当に神童貞が好きらしい。

 わたし、そこまで本気ではないのかもしれない。

 それは口にはできないけど。

「一ノ瀬さんは苦手な食べ物とかあるのっ?」

「え。あ、うん。魚が全般ダメ」

「ええ! じゃあ、さっそく伝えないとっ!」

 スマホで親に連絡しているみたい。

 もしかしてわたしをもてなそうとしているのかな?

「べ、別に魚でもいいよ?」

 気を遣わせてしまっては最悪だ。

「いいのっ。夕花のお友達だものっ」

 面と向かって友達と言われたのは初めてだ。

 少し照れくさい。

 まあ、友達ができないわけじゃないけど、みんな本当のわたしを知らないから。

 こんな性格の悪い人、好きな訳ないよね……。

 夕花ちゃんに連れられて近くの神社に訪れる。

「夕花のおうちは神社なのっ。驚いたっ?」

「うん。巫女さん?」

「そうだよっ。一ノ瀬さんも踊ろっ!」

「え!?」

 すぐにわたしと夕花ちゃんは巫女服へと着替えて、神楽鈴かぐらすずを持つ。そのまま、部屋の中でひと踊り。

 さすがに慣れている夕花ちゃんには負けるけど、わたしだってアイドル声優の端くれ。まったく踊れないわけじゃない。

「すごいねっ。上手だよっ」

 嬉しそうに抱きついてくる夕花ちゃん。

 そのあと、ステーキをごちそうになって、お風呂もいただいて、わたしは久しぶりに何も考えずに布団に潜ることになった。

 ちなみに夕花ちゃんはベッド。神社だからといって和式なわけでもないらしい。

「一ノ瀬さん、何があったのっ? ふーまると喧嘩っ?」

「そう、なんだ……。わたしが酷いことを言ってしまったのよ」

 反省しているけど、謝るのが苦手だな。

 今頃、あいつどうしているのだろう。

「そうなんだっ。でもふーまるは優しいよっ?」

「知っている」

 だから嫌になるんだ。

 自分と比較してしまうから。

 優しくもない、こんなバカじょに釣り合うわけがない。

 沈んだ気持ちで答える。

「夕花もたくさん、ワガママ言ったなぁ~っ」

「そうなの?」

「うんっ。それでも夕花と付き合ってくれたのっ」

 ちょっと羨ましい。

 わたしには見せていない顔を彼女は知っている。

 それがとてつもなく羨ましく思えた。

「うんっ。でも一ノ瀬さんには同じ思いして欲しくないなっ」

「……そう」

「ふーまるは主人公属性だから、すぐに自分の悪いところ見つけるよっ」

 そうなんだ。

 神童貞は確かに主人公みたいにかっこいいけど。

「でも、わたし酷いこと言っちゃった」

「うんっ。でもあの事件があっても、彼は乗り越えたのっ」

「あの事件?」

「一ノ瀬さんになら話してもいいよねっ。実は……っ!」

 そのあと、わたしは彼の抱えているものを知った。

 重みと悲哀に満ちたお話を聞いて、自然と悲しくなった。

「わたし、考えなしにあんなことを言ってしまった……」

 彼の事件を知って、わたしは今日言ったことを夕花ちゃんに話した。

「うんっ。そうなんだっ。謝ろうねっ」

「え。それだけ?」

 わたしは叱責を受けると思い、言えなかった。

 でも夕花ちゃんは違う。

 わたしなんかとは全然違う。

 だってこんなにも心が広いのだもの。

「大丈夫っ。自分が間違えていたら、誰かが怒ってくれるからっ」

 夕花ちゃんはそう言い、続ける。

「お金は確かに大切だねっ。基本だものっ」

 理解してくれるとは思わなかった。

「それはふーまるも気づいているよっ。だってあの事件では」

 そっか。そうなんだ。

「分かった。明日謝る」

「もう今日だけどねっ」

「……夕花ちゃんのイジワル」

 わたしはジトッと夕花ちゃんを見やる。

「えへへへ。でも、一ノ瀬さんも隠しているよねっ?」

「あー。うん。取り繕っているね」

「もう、いいんじゃないっ?」

 かすかに優しい声音になった夕花ちゃん。

「そうかな。でもコミュニケーションを円滑にするためには、処世術よ」

「夕花もやっているよっ。明日配信見てねっ!」

 弾んだ声でわたしに静かに語りかける夕花ちゃん。

「配信……?」

「夕花はVなのっ」

「え。そうなの? あなたも声のお仕事をしているのね」

 わたしが声優というのはみんな知っている。

 でも夕花ちゃんがVTuberというのはみんなには知られていない。

「ここだけの秘密ねっ!」

「そっか。分かった。秘密だね」

 何が可笑しいのか分からないけど、自然と笑みが零れ落ちた。

 夕花ちゃんも楽しみにしている。

 こんな友達、ずっと欲しかったな。

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