第28話 調理実習

 アニメ化炎上から三日。

 僕はいつも通り、学校に通う。


 二時限目の家庭科の調理実習。

 お題はクッキー。

 卵と小麦粉の生地からいろんな型をとり焼くだけ。

 料理上手な僕にとっては簡単な作業だ。

 それでも失敗というものがあるから、恐ろしい。

 というか、炎上のせいであまり寝ていないのが問題だろう。

「うえ。風神ふうじんのクッキー、しょっぱ!」

「ごめん。砂糖と塩、間違えたみたい」

 がっくりと項垂れる僕。

 雷霆らいていはうまい菓子が食べられると、喜び勇んでいたからね。

 失敗も成功のうち。

 僕には塩気のあるこの味も嫌いじゃない。

風神丸ふうじんまるくん。どうしたの?」

 そう言って顔を見せる一ノいちのせさん。

 三角巾からは見える流美な長い黒髪が今はひとまとめにポニーテールにしてある。

 いつもよりも髪の手入れが行き届いていないように感じた。

 ひょいっと僕のクッキーをつまみ食べる。

 その顔は一瞬だけ曇った気がする。

「うん。おいしいよ!」

「え。でも塩だよ?」

 そんなはずないと、僕は雷霆と顔を見合わせる。

「塩クッキーかと思った!」

 天真爛漫で誰とでも仲良くなれる、まさに天使のような子が目の前にいた。

 そしてその特徴的な愛らしい声はよく響く。

 彼女はやっぱり表向きはそう見えるよね。

 周りの女の子ですらも、その美麗な黒髪ロング清楚系可愛い子を見つめている。

 クラスメイト全員から好かれるというおかしな異形を達成している彼女。

「一ノ瀬さんたらやっさしい――!」

「えー。でもおいしいよ?」 

 友達の雷霆らいていも一ノ瀬さんの魅力にメロメロだ。

 周りの空気も終始穏やかだった。

 彼女がいるだけでクラスは平和になる。

 そんな気がした。

 ただ、僕と彼女が喧嘩してさえいなければ。


 でも、僕は一ノ瀬の、本心を知っている。

 優しいけど、厳しい。

 それが彼女だ。

 分かっている。

 仲が気まずいけど、わざわざ一ノ瀬から接してくれたのだ。

 優しい意外のなんと言えるだろう。

 僕のことを憎からず思ってくれているのだ。

 でも、僕はあのままアニメ化を進めたくはない。

 その意固地な気持ちを知っているのだろうか。いや知るまい。

 僕は一ノ瀬を始めとするファンのことを思ってそうしたのだ。

 間違っていない。いないはずなのに……。

 どうしてこうも心がざわつくのだろう。


 一ノ瀬はクッキーを焼いていたはずなのに紫色の得体の知れないものを作っていた。

 さすがにドン引いている周囲。

 意を決して、僕はその紫色のクッキーを口にする。

「うん。おいしいよ。さすが一ノ瀬さん」

「おいしんだって」「あの唐崎が言っているんだ」「こりゃ間違いない!」

 一ノ瀬に好かれたがる男子たちが一斉にクッキーを食べ始まる。

 あっという間に焼いたクッキーはなくなる。

「普通にうまかったな」「ほんとほんと。びっくりだわ」「さすが一ノ瀬ちゃん」

 とモブが報告するが、途端にぎゅるぎゅると腹の音がなる。

 モブ達はすぐさま、トイレに駆け込む。

 僕以外のモブが。

 一時的に男子トイレが埋まり、調理室から近い一階のトイレだけでなく、二階まで埋まってしまったのは余談である。

「もう。そんなに変なものはいれていないよ~」

 一ノ瀬が困ったように呟く。

「一ノ瀬さんって完璧な人だと思っていた」「ちゃんと人間らしいところもあるのね」「良かった。私にでも勝てるところがあるみたい」

 女子からはなぜか好評だったクッキー事件。


 調理実習も終わり、放課後。

 雷霆が僕の肩を軽く叩く。

「よっ。暇しているなら、一緒にあそばね?」

「あー。いいけど……」

 チラリと視界に入った一ノ瀬を一瞥する。

 まあ、いいっか。

「うん。分かった」

「よし。じゃあ、ゲーセンいくぞ」

「久々だね。腕が鳴るよ」

「言ってろ」

 僕と雷霆はそのまま、駅前の商業施設の二階にあるゲーセンを訪れる。

 クレーンゲームはあまりなく、代わりにアーケードゲームの筐体がいくつも並んでいる。

 そこでは人型ロボットで戦い合うポッドが置いてある。まるで実際のコクピットに乗ったかのような臨場感と、簡単な操作性を確立している最高のゲームだ。

 それに僕と雷霆が乗り込み、仲間として対戦が始まる。

 ゲームには任意ではあるがマイク機能と、スピーカーがついていて、仲間同士で会話も可能だ。

『で。何があったよ?』

「やっぱりバレていたんだね」

 雷霆の声がスピーカーから流れてくる。

『悪いとは言わないが、女子は繊細だぜ? お前が折れなくちゃいつまでも仲直りできない』

「そうなのかな。でも僕は悪くないよ?」

 ため息が聞こえてくる。

『お前、素直なのに、意固地になるときあるよな。真面目というか、なんというか』

「悪い? これが僕だもの。受け止めてもらえなければそれまでってことで。左!」

 左から攻めてきた敵機がこちらに仕掛けてくる。

 それを雷霆が阻止する。

『悪いのが相手でも、謝るきっかけを作るのは男の責任だろ? 相手が謝りたくても、謝れない。そんな状況を作るのは間違っている』

 確かに雷霆の言葉には一理ある。

「でも、僕の作品を汚されたんだよ。それを肯定する気にはなれないな」

『それはそうだ。お前の小説だ。それを誇りに思わないカラフルなんて狂っている』

 そうだ。

 僕の言っていることは正しい。

 だから肯定する一ノ瀬もおかしい。

『でも、お前はいつも言っていただろ。人の心よりも大切なものはないって、人の命に変えてでも、心は大切にするべきだ、って』

「それは……」

 僕の言った言葉だ。

 雷霆がいじめられていたときに発した言葉。

 彼の助けになり、彼を救った言葉。

『自分の言葉に責任をもて。お前は言葉を扱う職業なんだろ?』

「……」

『分かっている。お前の立場で辛いこともあるだろう。でも、お前にならできると信じているんだ。夕花も、あのアイドルも、一ノ瀬ちゃんも、みんなお前を知って変わった。お前が影響を与えているんだぞ?』

「でも、僕は変わってほしいと望んだわけじゃない」

 絞り出すように無理矢理言葉を押しだす僕。

『そりゃそうだ。お前の言葉を受けとった人が全部、お前の言葉通りに受け取ったわけじゃない。人は自分の都合の良いように解釈するからな』

「だったら、僕を責めないで」

『違う。そうじゃない。お前は人の心を誰よりも大切にしてきた。それは小説よりも大事にしてきただろ。なんで今更一番大切な人と向き合わない』

 ふるふると力なく僕は首を振る。

「だって、僕のことを一番理解してくれていると思ったんだよ。一番近くで、一番大切な人だから」

『そうやって自分の価値感を押しつけるなよ』

「じゃあ、僕の心を大切にしなくてもいいってこと?」

『お前、どうしたんだよ。そんなことを言う奴じゃないだろ。風神ふうじん

 じわっと涙がこぼれ落ちる。

「僕は、僕のファンを大切にしたいんだ」

『だったら、なおのこと、引退なんてできないだろ。それを嫌がっているファンも多いんじゃないか? SNS見ろよ。エゴサしろ』

「……分かった」

 戦闘ゲームが終わり、僕はスマホで自分のSNSを見やる。

 そこにはたくさんの人からの応援メッセージに溢れていた。

 エゴサはするな。

 そう言う人も多い。

 でも今の僕を知るにはちょうど良かった。

 WEB小説として展開することも考えていたけど、多くの人が「課金してでも応援したい」と言っている。

 僕の心の闇を打ち砕くかのような言葉に溢れていた。

 炎上していたPVも沈静化していて、騒ぎすぎた本来弱気な意見が少しずつ減っている。

 ファンが悲しんでいるのが文章からひしひしと伝わってきた。

「雷霆……」

「お前が書け。あの続きを」

「でも、今の僕には書けないよ」

「いつも言っているじゃないか。無理をしてでも書く、って」

「うん。そうだったね」

 忘れていた初心を思い出し、雷霆に感謝したあと、僕は自宅に帰る。

 その道中、バスの中で小説を書いて。

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