第21話 アニメ化

『アニメ化決定したんだって? おめでとさん』

「ありがとうございます。アジフライさん」

『いいのいいの。後輩の面倒を見るのも先輩の務めだから』

 もう一人の先輩はせびってきたけどね。まあ、仕方ないけど。

『それよりも、あの世界観を本気で映像化しようとしているの?』

「え。何か問題が?」

『問題大ありっしょ。あんな繊細な表現をどう落とすのさ』

 そう言われてもぴんとこない。

 だって僕はあれでいいと思っているから。

 それにアニメ監督の飯田いいださんの手腕に期待しているから。

『まあ、外野の自分が言うことじゃないけどね』

「ただいま」

「すみません。そろそろ切ります」

『お。もしかして彼女さん?』

「違いますよ」

 とはいえ、関係を説明できる訳でもないし。

「失礼します」

 遠慮なく通話をオフにする僕。

「めし、まだ? 糞童貞」

 昨日、牛タン弁当を持ち帰って以来、機嫌を直してくれない一ノ瀬。

 どこで間違えたんだろ。

 僕は立ち上がり、パソコンから離れ共同スペースに移動する。

「今準備するから、待っていて」

「待てるとでも思っているわけ? あんたの耳は腐っているの?」

 挑発的な笑みを浮かべ、僕を罵る一ノ瀬。

 なんだろう。こう気持ちが落ちていくような感覚。

 朝美先輩のことを話してから態度が変わったような気もするけど。

「さっさと用意しなさいよ」

「分かったてば……」

 もしかして嫉妬しているのかな。そうだとしたら可愛いな。

 でもどうやって機嫌を直してくれるのだろうか?

 美味しいもの? それともプレゼント?

 考えながら料理をしていると、包丁を持つ手が滑る。

「あ」

 痛みを覚えて、僕は指を見る。

 血が滲んでいる。

絆創膏ばんそうこう。どこにあったかな?」

 ティッシュで傷口を押さえながら、絆創膏を探す。

「糞童貞、何しているの?」

「指切ったんだ。絆創膏ない?」

「はぁあ!? なに言っているの? それどころじゃないでしょ。きゅ、救急車!?」

 僕よりも慌てふためく一ノ瀬。

「ちょっと、大丈夫!? 傷口みせて」

 傷口を押さえていたティッシュをどけると、未だに血は滲んでいる。

 パクッと指先を口に含む一ノ瀬。

「ちょ、ちょっと!?」

 今度は僕が慌てふためく番だった。

 傷口を舐め終えると、一ノ瀬は真剣な顔で口を開く。

「唾液には殺菌作用があるのよ。知らないの? 童貞」

「いや、口にはたくさんの細菌がいるから、帰って不衛生なんだよ」

 かあぁぁぁぁぁと顔を赤くする一ノ瀬。

 やっぱり可愛い。

「あ。絆創膏みっけ」

 僕は自力で絆創膏を見つけると、指を見る。

 一ノ瀬の唾液……。

 いや、いかん。

 僕はいったい何を考えているんだ。

 そうだ。まずは洗わないと。

 蛇口に近寄る。

 唾液……。

 ええい。煩悩よ、立ち去れ。

 水を流し、綺麗になった指に絆創膏を貼る。

「ふう。なんとかなった……」

 少しの喪失感と、達成できた気持ちとでいっぱいになっていた。

 リビングを見やると、抱き枕を抱えた一ノ瀬がちらちら見てきている。

 なんだか恥ずかしそうにしている。

 先ほどのことを恥ずかしいと思っているのかもしれない。

 まあ、あんなことをするなんて、予想外だったけど。

「あ、あんた。ちゃんと指をいたわりなさい。それで稼いでいるのでしょう?」

「ん。それもそうだね」

 まあ、夕食を作らせている一ノ瀬にも問題はあると思うけど……。

 それは黙っておこう。

「さ。できたから運んで」

 僕がそう促すと、一ノ瀬は台所に来る。

「今日は生姜焼きだよ」

「楽しみ♪」

 同居が始まってから、三週間。

 何ごともなく、僕らは生活しているけど、でもあと一ヶ月とちょっとか。

 少し寂しいな。

「ねぇ。ブイサイハイブリッドトリューバーってどのくらい書けているの?」

 ぶっきら棒にそう訊ねてくる一ノ瀬。

「ん。まあ、すでに二巻分書いているよ。なんでもアニメ化に合わせて発刊するらしいね」

「ふ、ふーん。そうなんだ」

 なんだろう。

 少し頬が赤いけど。

 あ。そっか。ブイサイのファンなのかも。

 そう考えれば合点がいく。

「うん。楽しみに待っていてね」

「それはもう!」

 身を乗り出す一ノ瀬。

 すぐに顔をまっ赤にしてぷいっとそっぽを向く。

「べ、別に糞童貞の作品に興味があるわけじゃないんだからね!」

「どっちなんだ……」

 僕は苦笑いを浮かべて、卵焼きを口に運ぶ。

「あの雨宮とあーんしたんでしょ?」

「ん。していないよ?」

 急にどうしたのだろう。

「そ、そうなんだ。へぇ~」

 少し弾んだ声で応じる彼女。

「なんで嬉しそうなの?」

「この食事が美味しいからよ!」

「そっか。良かった」

「~~~~っ!」

 悔しそうに顔を歪める一ノ瀬。

 え。何かダメなこと言った?

 女心ってよく分からん。

 女心と秋の空とはよく言ったものだ。

 困ったように肩をすくめると、一ノ瀬は胡乱げな視線を向けてくる。

「でも、雨宮に告白されたのよね?」

「ん。そうだけど?」

 何を今更。

 断ったことも告げたはず。

「なんで、断ったの? 糞童貞なら断らないでしょ?」

「どういう偏見なんだ。僕には好きな人がいるからね」

 正直に一ノ瀬と言えば良かったのだろうか。

 まあ、告白するタイミングでもないし。

 それに一ノ瀬は僕のこと嫌っているみたいだし。

「そ、そっか。やっぱりあの子が……」

 ブツブツと何かを呟く一ノ瀬を置いて食事を進める。

「うん。分かった」

 何が分かったのか理解に苦しむけど、僕は聞かなかったことにした。

「ところで」

「ん?」

 僕の前髪に触れて、言葉を紡ぐ一ノ瀬。

「なんで目を隠しているの?」

「こ、これは……。ええっと」

 言えない。

 僕がいじめられていた頃の話を思い出し、ひた隠しにしてきた事実を。言える訳がなかった。

「なんでもいいだろ」

「そんなに強く否定しなくてもいいじゃない」

 ぶすっと機嫌を悪くした一ノ瀬。

 気になるのだろう。ちらちらと見てくる。

 トラウマが蘇り、食欲が落ちる。

「ごめん。無理」

 そう言って食べかけた白米を残す僕。

 食器を洗い始めると、一ノ瀬も食べ終わったあとの食器を持ってくる。

「あとよろしく」

「うん」

 水洗いが傷口に染みる。

 少しくらい手伝ってくれてもいいじゃない。

 不満を覚えると、僕は痛みと闘いながらも洗い物を終わらせる。

 一息吐くと、僕はパソコンと向き合う。

 面白い小説ってなんだろう。

 よく分からないけど、書いていけば分かる気がする。

 僕はまだ新人作家なんだ。

 頭に浮かんだシーンを事細かに文章化していく。

 一分いっぷんで百字を書き連ねていく。

 そこには感情の起伏や子細な描写を書き込んでいく。

 一応、言葉の意味を調べつつ書く時もある。

 豊富な語彙力で語っていく。

 世界を作っていく。

 僕はいつもこうしてきた。

 だから、だからもう少し。

 あと少しだけ書く。


 チチチ。

 アナログ時計の時間を刻む音が暗い部屋の中に響く。

 そろそろ僕も寝るかな。

 そう思い、身支度を調えて、ベッドに潜りこむ。

 アニメ化かー。

 ひとまずの目標は叶った。

 でもまだ足りない。

 もっと多くの人に読まれたい。

 僕を知ってほしい。

 テーマを理解してほしい。

 そしてみんなの心に潤いを与える。

 かすんで見えていたもの。からからに干上がった気持ち。

 そんなものを無くしていける。気持ちを切り替えられる。

 そうであれば良いのに。

 ベッドに潜りこんでから、時計の音がやけにうるさく感じる。

 まただ。

 また小説のことで頭がいっぱいになっている。

 でもアニメ化という重役に僕はひよっている。

 怖いんだ。世間の目が、人の評価が。

 だからエゴサもしない。

 自分の作品の感想をもらうのが怖い。

 もう作家になってから三年。

 怖いものは怖いのだ。

 きっとそれはずっと変わらないのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る