第9話 すれ違い
僕はどうしたらいいのだろう。
ドアをノックし、尋ねる。
中で着替え中だったりしたら困るからね。
「今、いい?」
「いいよ?」
意外にもちゃんとした返事が返ってきた。以前の毒舌はどこへやら。
「どうしたのですか? 神童貞」
にんまりと笑みを浮かべて、童貞であることを指摘される。
いやいいんだけどね。別に興味ないし。
……嘘付いた。本当はちょっと興味あります。
「いや、こんなこと頼める間柄ではないだろうけど……」
本当、こんなことを頼むって珍しいパターンかもしれない。
少なくとも僕の人生においてはめったにないことだ。
「そう、難しい問題なんだ」
僕が思うに人に意見を尋ねるなんて、難しい問題に決まっている。
「そんなに難しく考えることでもないですよ? 自分の心に従ってみては?」
一ノ瀬さんはそういうけど、僕はどれに従っていいのかわからない。
ただ僕の中のキャラクターたちはどんどんエスカレートし暴走している。
そんなこともつゆ知らずな彼女。
「それで、あの……。一ノ瀬さんならサリーとユーリのどっちが活躍して欲しい?」
恐る恐る、だけど確実にたずねてみる。
一ノ瀬さんが僕のことをAnDの頃から知っていると言っていた。
なら僕のことも理解しているはず。もっとも近しい人から意見を伺えれば、と思ってのことだった。
「……え?」
あっけにとられてしばし呆然とする一ノ瀬さん。
決まっている。
彼女の境遇に近しいサリーに傾くことに。
それになんの疑念も持たずにたずねてしまっていることを。
あとから出たぽっと出ヒロインが活躍する道理などないということを。
所詮はメインヒロインを引き立てる当て馬であることを。
「あ。いや、今SNSでアドバイスを求めているみたいだから、その答えを知りたくて」
嘘である。
今作家・カラフルは原稿の締め切りに追われていて、SNSをしている時間はない。
三つの案件とアニメ化の情報しか入ってきていない段階である。
「どうして? どうしてそんなことを聞くの?」
ツーッと流れ落ちていく涙。
無理な質問に一ノ瀬さんは涙したのだろう。
唐突にこんな質問をして乗り気にならない人の方が多いに決まっている。
「いや、嫌ならいいだ! 無理言ってごめん」
誠心誠意誤り、頭を下げる。
それで少し落ち着いたのか、涙は止まっていた。
「SNSでアイディアを募集するの、止めた方がいいです」
ぼそっと不機嫌そうな声音を吐く一ノ瀬さん。
「そうなの?」
僕は全然わからない。
そもそも嘘なので止めることもしない。
「何よ。それ。なんであんたはそんな大切なこと、読者に委ねようとしているのかな?」
何を言っているのかわからない。
ただ僕は一ノ瀬さんに喜んでもらいたくて、こんな嘘までついたのに。
そりゃこれからSNSでアンケートとるか迷っていた節はある。だから完全な嘘ではなくて、誇張いや先走りだった。
それでも彼女なら答えてくれると思った。
同じ作品を愛するものとして。
だからこんな顔をさせるつもりなんてなかった。
ただ喜んでほしかっただけなのに。
「バカなの? 童貞、あなたの言っていることがどういう意味だか、分かっている?」
ジト目を向けて青筋を浮かべている一ノ瀬さん。
それはまるで自分の子供を傷つけられた親のような態度。露骨に憤怒を見せている。
嘆かわしいことのように、悲しいことのように。
「そ、それは……」
そんな彼女に気圧され、冷静さをかく。
「あんたは自分の作品の子どもらを殺そうとしているんでしょ? そんなの許すわけないじゃない。許せないわよ」
怒りを露わにし絶対零度のごとく冷たい視線を向けてくる一ノ瀬さん。
彼女の言っていることを理解した。
僕は僕の作品に責任を持って向き合わなければならない。
求められているのは作家としての人生。選択の連続。
その中で僕が誰を選び、どんな道筋を選ぶのか。それが問われているのだ。
他人の書いた筋書きがみたいわけじゃない。
「わたしはあんたに最高の作品を書いてもらいたいだけよ」
吐き捨てるようにいった一ノ瀬さんの顔は苦痛で歪んでいた。
「……僕は」
何かを言いかけてとどまる僕。
彼女とまともに会話できる自信がない。
僕の感想なんて求めていない。
作家・カラフルとしての最高の演出を。最高のキャラを。最高のシナリオを期待しているのだ。
「何よ。言いたいことがあるのなら、言ってみなさいよ」
じっとにらめれる。僕はさーっと血の気が引いていくのが分かった。
完全に切れている。
どんなに取り繕うとも、一度言った言葉は取り消せない。
もと戻ることなんてない。
何も変わらない。
もう戻りはしない。
これがもしラノベだったらタイムリープでもして過去を改変できたのかもしれない。
「ごめん」
それだけ言って部屋に戻る僕。
僕はなんて失態を犯したのだろう。
よりにもよって最愛のファンにたしなめられるとは。
僕は何にもわかっていなかった。
ただのいちファン。されどたった一人のファン。
そんな当たり前を、冷静さを欠いていた。
僕がファンなら、彼女を人形にしても言い訳がない。
彼女が求めていることと、僕が示したことは相反する。
これじゃダメだ。
読者の一存ですべてをダメにしてしまうつもりか。
自分が求めていたのはこんなことじゃない。
それはきっと彼女の方がわかっているだろう。
静寂を割くようにスマホの通知音がなる。
この音色は編集部の音だ。
僕は慌てて出る。
『もしもし、カラフル先生?』
「お疲れ様です。
相葉さん。
僕の編集部で、いつもお世話になっている美人な女性だ。
その手腕は新人の頃から発揮されており、一緒にお世話になっている作家のアジフライくんも折り紙付きと表するほどだ。
敏腕なのだ。
宣伝広報も欠かさずに、最大限支援してくれている。
持ち抱えている作家の数も多く、相葉さんの繊細な性格が良くも悪くも出ている。
『今時間大丈夫?』
「はい。大丈夫です」
『じゃあ、今度のアニメ化の話、すぐにでも話し合うから、明日開けておちてね』
あっけらかんと告げてくる相葉さんに面食らう。
「ええと。明日ですか?」
『うん。明日♪』
語尾が喜んでいるらしく聞こえた。
まあ、仕方ない。
これも仕事だ。
「今の巻は?」
『そっちも進めてね!』
満面の笑みとはこのことだろう。
顔を突き合わせている理由でもないというのに、そんな空気が漂っていた。
「……分かりました」
僕は苦いものを感じつつ、気合を入れ直す。
短いやり取りを終えると僕はパソコンに向き合う。
ふと動画配信サイトで人気のVTuberを見つけると試しに再生してみた。
『こんシコわ〜』
明るく快活な声にのせたシモネタ。
出っ歯なからくじかれるような抜けた態度に面食らう。
『今日は“ティアラちゃん”のイチオシ初体験だぞ〜』
〈なになに?〉
〈教えて?〉
〈どうせエロいことだろ?〉
コメントで溢れかえる。
ぞわっとした。
なぜか、この声を聞いたことがある。
もちろん。中の人は知らない。
向こうも知らない。
それでも僕は胸中に渦巻く熱に戸惑いを覚えている。
「僕の幼なじみ、こんなことを言う子だったっけ?」
巫女服姿の彼女とは似ても似つかないフリルのついたワンピースに袖を通したアバターがこちらを優しく見つめる。
なにかの間違いだと思いたい。
彼女に抱いていた幻想がぶち壊される思いをした。
もう何を信じていいのか、わからない。
「僕、小説をどう書いていたっけ?」
知らず知らずのうちに口にしていた言葉。
もう胸中には戻らない。
覆水盆に返らず。
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