第75話** 復讐
「払えるにしても払えないにしてもここにはもういられないようにしてあげる。医師会、漁協、自治会に私の方から文書を送っておくから。もう推敲も終わったし、あとは送るだけ」
「……っ」
ささやかな勝利の光に輝く彩寧の眼を見る。その瞳は悲しそうだった。寂しそうだった。
「馬鹿だったの私」
僕の眼を射抜いていた彩寧の眼が畳の上に伏せられる。
「ホオズキ市(※)のあの時、恐る恐るあなたの後を追ったの。そしたら……」
僕もうつむいて唇を噛んだ。
「あなたお姉さんと抱き合ってた」
「……っ」
「あの時もう私には目がなかったのよ。だのに、まさか姉弟でこんなことになるだなんて夢にも思わずに…… 私ったら……」
「すまんっ」
僕は心からわびた。こんな不貞をしておいてなんだが、本心から彩寧にわびていた。愛未も深々と頭を下げる。
「謝ってほしいんじゃないの。取り返しがつかなくなった今、あなたに骨の髄まで苦しんで報いを受けて欲しいだけ」
「僕はどうすればいい」
「そうねえ、さっき言ったみたいにまずはここから出てってもらおうかなあ」
嗜虐的な目を向ける彩寧の眼はやはり悲しげで寂しげだった。彼女の目にこんな光を宿らせたのは僕たちの責任だ。
「わかった、今すぐここを出て行く準備を始める」
「今すぐによ。私も今すぐ動くから」
「ああ」
立ち上がろうとする僕。不安に満ちた表情でやはり立ち上がろうとする愛未。それを冷たく悲しく寂しい眼で見つめる彩寧。
その彩寧がポツリとつぶやく。
「愛しているの?」
僕ら2人はぎょっとする。
「私を土壇場で捨てて逃げ出して、樋口さんを道具のように扱っても胸が痛痒も感じないほどに愛しあっているの?」
樋口さんの名前を聞くとびくっとする愛未。
「痛痒も感じないわけじゃない。二人には本当に申し訳ないと思っている。これは本当だ」
「でも愛に殉じたわけよね。姉弟なのに」
「……」
「あーちゃ、沢口さんっ。あたしが悪いのっ、あたしがっ、あたしが優斗をっ、優斗をたぶらかしたの。
中腰だった愛未はへたり込んで哀願する。
「責めてるんじゃないんです。罰しているんです。逃げた罰。近親相姦に耽る罪への罰」
「そんな……」
その瞬間防災行政無線からけたたましいサイレンの音がうなりを上げる。まるで地の底から響いて腹に深く振動する不吉な音だった。
それは津波警報だった。
僕と愛未の脳裏には博也が浮かんだ。朝、彼はどこに行くと言っていた?
釣りだ!
(※)拙作、「茜川の柿の木――姉と弟の風景、祈りの日々」、「第14話 盛夏のホオズキ市と抱擁」参照
https://kakuyomu.jp/works/16816700429251377326/episodes/16816700429548137262
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