97 奥の手

 シダの茂みが燃えている。炎が徐々に広がってゆく。けれど、ソフィーもセティも姿を見せなかった。

 サンキエムはつまらなさそうに眉を寄せて、セティの写しコピーは槍を構えたまま不安そうに周囲を見回した。


「こっちだ!」


 そこへ、セティの声が響く。サンキエムと写しコピーは振り向いた。写しコピーは振り向きざまに槍を突き出す。けれど穂先は近くのシダを揺らすばかりだった。

 セティの姿は見えない。ソフィーの姿もそこにはない。


「つまんないことを」


 サンキエムは苛立ちをあらわに爪を噛んだ。後ろの茂みががさりと音を立てて揺れる。同時に、あちこちの茂みがざわざわと音を立てた。炎は燃え広がり、湿気を含んだ重たい煙が周囲に漂う。

 セティの声があちこちから聞こえてきた。


「ここだ」

「こっちだ」

「俺はここだ!」


 写しコピーは戸惑うように、セティの声につられてあちこちを見回した。槍を構えてはいるけれど、本体が見えずに攻撃できないでいた。


「声や音に惑わされるなよ。それは偽物だ」


 サンキエムの言葉に、けれど写しコピーはどうしていいかわからないでいた。槍を持ったままその場で音がする度にぐるぐると回る写しコピーに、サンキエムは溜息をついた。

 そのとき、サンキエムのすぐ後ろの茂みから、鞭閃の舌長蜥蜴ウィップラッシュ・カメレオンの舌が伸びてきた。


鞭閃の舌長蜥蜴ウィップラッシュ・カメレオン!」


 舌長蜥蜴カメレオンの舌はサンキエムの体を腕ごと縛り上げた。


「な……っ!?」


 サンキエムが反応したときには、すでにサンキエムは地面に転がされた後だった。逃れようともがくサンキエムの体に、ソフィーがのしかかる。暴れるサンキエムの膝を、ソフィーは自分の足で押さえつけた。


「あなたにはもう、何もさせない!」


 写しコピーがソフィーに向かって踏み出すと、槍を突き出す。その写しコピーの体を、茂みから飛び出してきたセティは蹴り飛ばした。

 槍を持ったまま、写しコピーが地面に転がる。


「俺はお前よりも強くなって、お前を倒す。写しおまえには負けない」


 セティがゆっくりと槍を構える。写しコピーは槍を支えに立ち上がると、同じように槍を構えた。


「俺は完璧な写しコピーだ。本物にだって負けない」


 写しコピーの言葉に、セティは揺らがなかった。

 写しコピーの周囲を、様々な音が取り囲む。後ろから何か近づいてくるような音、武器が振り下ろされる音、攻撃の息遣い。対峙すべき相手は目の前に確かにいるのに、耳から入ってくる情報が写しコピーの判断を惑わせる。


「お前はもう完璧じゃない。俺は新しい知識を手に入れた。俺はおまえを上回ってる!」


 セティが跳ぶ。槍を突き出す。それは目の前に見えているのに、音はあちこちから写しコピーに向かって迫ってきた。咄嗟に、写しコピーは判断が遅れる。槍の柄で突き出された槍の穂先をかわすしかできなかった。

 セティは次々に槍を突き出す。写しコピーは後ろに退がりながらなんとかそれをかわし続ける。


氷華の兎ラパン・ドゥ・ジーヴル!」


 写しコピーが咄嗟に用意した氷の壁。


炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラム!」


 けれどセティは槍に炎の翅をまとわせて、氷を打ち砕く。写しコピーは今確かに追い詰められていた。

 地面に転がされて押さえつけられたサンキエムが笑う。


「何がおかしいの!?」


 ソフィーはサンキエムがまた何かを企んでいるのかと警戒する。それでも、これ以上ブックを使わせないように、壊させないように、腹に置いた膝に体重をかけた。


「これで勝ったつもり? 僕を捕まえて? 何をさせるの? セティエムみたいに所有者オーナーになって命令でもするつもり? それで何か危ないことさせて、傷つけるんだ」

「動揺させようったって無駄。わたしはもう覚悟した。わたしはセティの所有者オーナーだもの。セティが力を発揮できるようにするだけ」


 ソフィーの言葉を、サンキエムは鼻で笑った。


「それでやってることは僕を押さえつけるだけ? 所有者オーナーってのはずいぶんと楽なものだね。可哀想なセティエムは傷だらけで戦ってるのにさ」

「何を言っても無駄」


 舌長蜥蜴カメレオンの舌を強く締め付けて、ソフィーはサンキエムを睨んだ。

 そのときだった、じめじめと重く湿った空気が薄くなってゆく。シダが燃えて上がる煙が消える。空が消えて、空を覆うシダも消えた。でこぼことした石混じりの地面は、硬い石の床になった。

 サンキエムがつまらなさそうに顔を歪める。


「あーあ、大百足ミリパットがやられたか」


 周囲はあっという間に石の部屋になった。そして、少し離れたところに翼を広げた疾風の大鷲ゲール・イーグルがいる。その背にはリオンがいた。

 リオンは状況を見て、自分がどうすべきか少しだけ迷った。この石の部屋の天井の高さでは疾風の大鷲ゲール・イーグルは飛べない。であれば閉じるべきか。けれど足首はまだ痛む。大鷲イーグルを閉じた自分は戦力になるだろうか。

 セティは周囲の状況も構わずに写しコピーを追い詰めていた。写しコピーは壁に背を当てて、前方にだけ集中する。二人で槍をぶつけ合う。

 ソフィーは顔をあげなかった。ただサンキエムの動きを封じることだけに集中していた。その真剣な表情をサンキエムは嘲笑う。


「残念だけど、この状況でもブックは開けるよ」

「何を……!?」


 至近距離で自分を睨むソフィーに、サンキエムは楽しそうな笑みを返した。


開けオープン凍刃の二足翼竜ウィヴェルヌ・フォルジェ・パル・レ・グラシエ


 サンキエムの体から、新たなブックが生まれる。そのブックがぼんやりと光ると同時に、周囲の景色が書き換わる。

 空気が肌を切り裂くような冷たさになった。地面はまっさらに降り積もった雪になり、押さえつけられているサンキエムの体が沈む。雪まじりの風が吹き抜けてゆく。

 ブックの光は大きくなって、コウモリのような皮膜の翼が広がった。リオンを背に乗せている疾風の大鷲ゲール・イーグルよりも大きな翼だ。鋭い目は獲物を探して不気味に光っている。

 ソフィーはサンキエムから顔をあげて、新しく開かれたブックの姿を見て目を見張る。


二足翼竜ワイバーン……!」


 名前を聞いたことはあるが、ソフィーもリオンも見るのは初めてのブックだった。ソフィーがブックに気を取られている隙に、サンキエムはソフィーの腹を蹴る。

 ソフィーの体が地面を転がって、白い雪に塗れる。舌長蜥蜴カメレオンの拘束が緩んで、サンキエムは立ち上がった。


「さあ、もっと遊ぼうよ! みんな壊れるまで遊ぼう!」


 吹雪の中で笑うサンキエムを、ソフィーは唇を噛んで睨みあげた。




   第十五章 サンキエム・グリモワール おわり

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