60 守られるということ

 目の前に苦しんでいるソフィーが運ばれてきて、ジェイバーはまた泣き出した。

 情けないくらいに涙が出てくる。自分がこんなに弱いのだと、ジェイバーははじめて知った。

 ジェイバーの父親は探索者ブックワームだった。周囲の大人にも探索者ブックワームは多い。

 ブックを扱い危険を潜り抜け書架ライブラリを探索する。そんな探索者ブックワームにジェイバーは幼い頃から憧れを抱いていた。いつか父のようになるということを当然のように思っていた。

 父親が家に持ち込んだ所有者オーナーのいないブック。それをこっそり持ち出したときも、自分はいずれ探索者ブックワームになるのだから、問題ないと思っていた。

 そのときのジェイバーは、危険の意味をわかっていなかったのだ。

 書架ライブラリだって、ちょっと入ってすぐ戻るくらいならどうってことないと、そう思っていた。奥まで行くつもりはなかった。ほんのちょっとで良かった。ただ書架ライブラリに入ったって、そう言いたかっただけだった。

 それが、急に現れたトワジエムと名乗る銀髪の男に話しかけられた。セティエムを知らないかと問われて、知らないと、そう答えた。けれど、クレムが口の中で小さく「セティ」と呟いたのを聞かれていた。

 クレムとジェイバーはそのまま捕まって、自分たちだけでは戻れない書架ライブラリの奥まで連れてこられてしまった。

 トワジエムはしつこかった。穏やかな物言いなのに、クレムやジェイバーのことをなんとも思ってないような目をしていた。その調子で脅されて、ジェイバーはセティの特徴をトワジエムに教えたのだ。

 どのくらいそうしていたのかわからない。気づけばセティたちが来て、毒を飲まされたと言われ、溶岩の中になって、そして今は深い霧の中。

 自分たちは守られて、そしてソフィーは倒れ、セティとリオンは戦っている。

 強いはずの探索者ブックワームだって、こうして倒れている。いっぱい傷ついている。こんなところで、自分なんかきっと死んでしまう。

 どうして書架ライブラリに入ろうなんて思ってしまったのか。ジェイバーは泣いて、自分を責めていた。

 その頬を、冷たい指先が拭った。


「大丈夫……きっと助かる、から……泣かないで」


 ソフィーが手をあげて、ジェイバーの頬に触れていた。


「動かないで!」


 クレムの制止に、ソフィーは微笑みを返す。


「二人とも……毒、飲んだのは……本当?」


 ジェイバーは、困ってうつむいた。書架ライブラリに入ってから、何かを口にした覚えはない。けれど、トワジエムというあの男が何かしたと言うのなら、それは本当かもしれない。なんの自信もないまま、ジェイバーは何も言えなかった。

 代わりに、クレムが首を振った。


「俺たちは、何も……少なくとも、何か飲んだり飲まされたりはしてない」

「そう……良かった。きっと……毒は嘘……あなたたちは、大丈夫……きっと」


 ソフィーは自分も苦しいだろうに、クレムとジェイバーを励まそうとしている。ジェイバーはいっそ、怒って欲しかった。怒られて、それで許されたかった。

 その気持ちが、ソフィーへの反発になった。その反発は、甘えでもあった。


「なんで、大丈夫なんて言えるんだよ。あんたもう、動けないじゃないか。俺たち、ここに閉じ込められてるじゃないか。こんなひどい状態、もう無理だよ。俺たちは死ぬんだ」

「死なない……! そんなに簡単に、諦めちゃ……駄目! みんなで……きっと、書架ライブラリを……出るの……」


 ジェイバーの甘えは怒られた。怒られて、ジェイバーは少しだけほっとした。守られているだけの自分を、少しだけ許すことができた。

 ソフィーは苦しげに息をつくと、自分の道具袋ポーチを探り始めた。


「何やってるんだよ! じっとしててよ!」


 クレムが心配そうに、ソフィーに声をかける。ソフィーはその声を無視して、道具袋ポーチから一冊のブックを取り出した。


開けオープン……羅針盤の金糸雀コンパス・カナリア


 ソフィーの声は弱く消え入りそうだったが、その意思はしっかりとブックに届いた。ブックはぼうっと光ると、ソフィーの手のひらの上で一羽の黄金きん色の鳥になった。

 その手のひらをソフィーは持ち上げる。金糸雀カナリアが羽ばたく。


「セティを……リオンを……助けて……!」


 金糸雀カナリアはセティに向けて飛んでいった。ソフィーは満足そうに手を降ろすと、苦しげに喘いだ。


「大丈夫……あなたたちを、死なせない……」


 ソフィーの声に、ジェイバーの涙はいつか止まっていた。

 今のジェイバーは何もできない。守られるだけの存在だった。それでも、だからこそ、守ってくれる誰かを信じなくてはいけない。

 目の前のソフィーは自分だって苦しそうなのに、自分だって守られる側なのに、こうやってクレムとジェイバーを守ろうとしている。向こうで戦っているセティだって、リオンだって、自分たちを助けようとしてくれている。

 それはジェイバーにとって悔しいことだった。自分が守られるだけの子供だと認めるのは、腹の立つ、嫌なことだった。セティなんて、自分よりも子供に見えるせいで特に反発したくなる。

 それでも、ジェイバーはそんな弱い自分を認めて、自分はまだ子供でしかないんだと受け入れて、今は信じて守られていようと、そう決めたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る