48 進む焦り

 視界の悪い森の中を三人でじりじりと進む。

 進むうちに硬く尖った草に引っかかり、ズボンの裾が切れ、すねに傷ができる。

 足元ばかりに気を取られているわけにもいかない。木から出っ張っている細い枝は、まるで目を串刺しにするのを待ち構えているかのように飛び出している。

 そこにある葉っぱですら、硬く、鋭いふちで顔や腕を切り裂こうとしてくる。

 進んではいたが、三人とも、特に囮のために碧水の蛙アクアルーラー・フロッグを開き続けているソフィーは、神経をすり減らしていた。

 一体いつになったらブックの本体に辿り着けるのか。本当にこのままで辿り着けるのか。

 弱気な考えが頭を過ぎるたび、ソフィーはそれを無理矢理気持ちの奥に押しとどめて、できるだけ冷静に振る舞った。


(大丈夫、確かに進んでいる)


 心の中で自分に言い聞かせる。そうして、セティに向かって微笑んでみせた。


「さ、次はセティの番。リオンのところまで走って」


 セティは何か言いたそうな顔をして、でも何も言わずにこくりと頷いて、走るために体勢を整える。


「放て!」


 ソフィーが水の塊を放つと、セティは走り出す。ソフィーは木の陰から、その無事を祈ってセティの背中を見送る。

 硬い木の幹に背中を預けて、重たい息を吐き出す。


「大丈夫、進んでる」


 言葉に出して言い聞かせても、焦燥感は消えてくれなかった。

 手のひらに乗せていた碧水の蛙アクアルーラー・フロッグを肩に移動させて、ソフィーはセティとリオンからの言葉を待つ。


(遅い……?)


 いつもなら、すぐに声をかけてくれていたはずだ。セティはもうリオンのところまで到着してる頃じゃないだろうか。

 何かあったのだろうか。それにしては静かすぎる。

 木の陰から覗いてみたくても、迂闊に顔を出すこともできない。ソフィーは心配で、唇をかんだ。それでもまだ、声は聞こえない。

 何かあったのかもしれない。小さな不安が、ソフィーの中で膨れあがる。


(十秒。あと十秒待っても何もなければ、様子を見よう)


 心に決めて、小さくカウントをとる。そうやって一つずつ数えている間は少しだけ冷静になれる。

 嫌な想像を頭の外に押し出して、五まで数えたとき、ようやくセティの声がした。


「ソフィー、こっちに来てくれ!」

「リオンも無事ね?」

「俺も問題ないよ」


(良かった)


 ソフィーはほっと息を吐く。


「十秒後に行く!」


 返事をして、今度は大きな声でカウントする。気が急いて、カウントが早くなっていることに気づいて、今度は不自然にゆっくりになる。

 それでも十まで数えて、碧水の蛙アクアルーラー・フロッグが放った水の塊とは反対方向に走り出した。水の塊が弾ける音を背中に聞いて、鋭い草の葉でズボンの裾が裂けるのも構わず、ソフィーは走った。

 セティとリオンが木の陰に立っている。その姿に、まるで飛びつくように木の陰に入った。

 木の幹に放たれた棘がぶつかって、弾かれる音がした。

 ソフィーは膝に手をついて、大きく息を吐く。顔をあげれば、セティもリオンもいつも通りに見えた。安心から、もう一度息を吐いた。

 ソフィーの姿を見て、リオンもほっとしたように笑った。


「ソフィー、少し休憩しよう」


 リオンの提案に、ソフィーは瞬きをする。


「休憩って言っても……」


 ソフィーは周囲の地面を見渡した。出っ張った木の根っこ、鋭い草の葉、びっしりと生えた苔、その隙間にかろうじて立っている程度の足場だ。


「こんなところで休むくらいなら、少しでも先に進んだ方が」


 ソフィーの言葉に、リオンは首を振った。


「これはセティからの提案なんだ。ソフィーが疲れてるみたいだって」


 目を見開いて、ソフィーはセティを見た。セティは唇を尖らせて、視線をそらせる。


「それもあるけど、それだけじゃなくて。俺も、自分の傷を修復したいから」


 拗ねたような物言いをするセティをよくよく見れば、確かに傷だらけだった。白いシャツの袖は切れ、黒い靴下には穴が空き、すねやふくらはぎには引っかき傷ができている。

 引っかき傷は、インクのような黒が滲んでいた。


「今のところ、表面だけだ。知識まで傷つくような深い傷はない。だから大丈夫だ。でも、紡ぎ手の蜘蛛ティセランド・アレニェでなんとかできるうちに、と思って。

 ソフィーのことは、だからついでなんだ」


 ソフィーはまたリオンを見る。リオンはいつもみたいに、ソフィーにウィンクしてみせた。


「というわけでさ、ちょっと休憩しようぜ。俺も疲れたよ」


 二人の言葉に、姿に、ソフィーは焦っていたことを自覚した。緊張感は必要だけれど、それ以上に心配に支配されていた。

 何度目になるだろう、ソフィーは大きく息を吐いた。体の力が抜けた気がした。


「そうね。わたしも、少し休憩が必要みたい」


 ソフィーの言葉に、セティもリオンもほっとした顔をした。


「じゃあ、椅子を作る」

「椅子を?」


 セティの言葉に、ソフィーは驚いて聞き返す。セティはにやりと笑って、しゃがみこむと地面に手を触れた。


氷華の兎ラパン・ドゥ・ジーヴル


 氷の体の兎が現れて、セティの頭の上にぴょんと乗っかる。セティが地面に触れた手から、氷が広がってゆく。

 氷はびっしりと生えた苔を覆い隠し、張り出た根っこのでこぼこも覆う。そして、三人の前に氷の柱が生まれる。

 伸び上がる氷の柱は、すねくらいの高さで止まり、表面は少しくぼんで座りやすくなった。

 セティが立ち上がって、自慢げな顔でソフィーとリオンを見た。その頭の上で、氷華の兎ラパン・ドゥ・ジーヴルも自慢げに顎を持ち上げた。


「氷なのに冷たくないんだな」


 早速座ったリオンの言葉に、セティは生意気に顎を持ち上げた。


炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラムと一緒だ。俺の意思で傷つけないようにできる」


 ソフィーも座って、セティを見上げた。


「うん、座り心地も良い。ありがとう、セティ」

「ふん、このくらいどうってことない」


 セティは氷華の兎ラパン・ドゥ・ジーヴルを頭に乗せたまま、自分も氷の椅子に座った。

 木の陰になる場所は狭い。そこで三人座ると、どうしても膝を付き合わせることになる。その距離感に、セティは少し戸惑いはした。

 けれどソフィーもリオンも緊張を解いた表情をしていた。それを見て、セティもほっと息を吐いた。

 ささやかな、休憩の始まりだった。




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