46 棘

開けオープン碧水の蛙アクアルーラー・フロッグ


 ソフィーの手のひらに乗った四角い石──ブックの表面に刻まれた細かな文字や文様に光が走る。その光が強くなって、輪郭が曖昧になり質量がふっと失われ、手のひらの上で光がふわりと丸くまとまった。

 光が収まったとき、そこには透き通った水の塊が浮かんでいた。水はたぷんと揺れて、蛙の姿になる。手のひらの上でぴょんと跳ねる。

 ソフィーは上に乗った蛙ごと、手を森に向ける。テリトリーの領域に踏み込まないところまで。

 そこで一度動きを止めて、息を吸う。


「放て!」


 ソフィーの声とともに、蛙は自らの体から小さな水の塊を切り離した。それを森の奥に向かって飛ばす。

 途端、奥から鋭く金属の棘が飛んでくる。ぱん、と水が弾けて、棘はそのまま石の壁をえぐって突き刺さった。


「動くものならなんでもターゲットになるのかしらね」

「周りが動かないからな、良い的なんだろう」


 リオンが目を細めて、森の奥を見つめる。


「もう一回試すから、気をつけてね」


 ソフィーの声とともに、リオンが一歩退がる。セティはその様子を見てから、ちょっと唇を尖らせて、仕方ないという表情で後ろに退がった。

 二人が退がったのを見て、ソフィは手を持ち上げる。森の奥を睨んで、呼吸を整える。


「放て!」


 手のひらの蛙が、小さな水の塊を切り離す。それが三つ。三つの水の塊をほぼ同時に別の方向に飛ばす。

 奥から飛んできた金属の棘が、一つ、水の塊を撃ち抜いた。撃ち抜かれた水の塊は弾け飛ぶ。棘は石の壁に届いて、突き刺さった。

 残りの二つの水の塊は、飛んでいった先で木の幹や枝にぶつかって飛び散った。

 その水の行方をソフィーが確認したあと、手のひらの蛙がまた水の塊を作り出して、飛ばす。金属の棘がまた飛んできて、水が弾ける。

 ソフィーは一歩退がると、ふうと息を吐き出した。


「連射はできないみたいね」

「つまり……どういうことだ?」


 セティが眉を寄せてソフィーを見上げる。ソフィーは森の奥を見つめたまま口を開いた。


「つまり、一撃の直後には隙があるってこと」


 リオンも森の奥を睨む。その向こうにいるはずの、ブックの本体が見えるかのように。


「一撃出させて走るか?」

「そう、木の裏に身を隠しながら……次の一撃までに木から木に走るくらいはなんとかなるんじゃないかしら」

「じゃあ試すか。俺が走るよ」

「お願い。気をつけてね」


 ソフィーとリオンの間で次の行動がまとまった。

 ぐい、とソフィーの上着ジャケットが引っ張られる。セティが、唇を尖らせてソフィーを見上げていた。


「俺も……俺だって、役に立てる」


 拗ねたような、悔しがっているようなセティの表情に、ソフィーは微笑みを返した。


「セティが役に立つのはわかってる。わたしだけじゃなくて、リオンもわかってると思うよ」

「じゃあ、俺が……」


 勢いこんで身を乗り出すセティを、ソフィーは柔らかく押しとどめた。ソフィーの手のひらに乗っていた蛙が、腕を登って肩の上に収まった。


「だからこそ、セティの力を温存しておきたいの。この後、何があるかわからないもの。いざというときに、セティが閉じてしまわないようにね」


 ソフィーの言葉に、セティはうつむいた。シジエムと対峙したとき、肝心なところで閉じてしまった。それは悔しい記憶だった。

 それだけじゃない。


(じいさんは俺を閉じてそれっきり……俺は閉じたくなかったのに。もう、そんなのは嫌だ)


 セティにとって、自身が閉じることは、ただ休むこと以上の意味を持っていた。次に開いたときに、目の前にいたはずの人がいるとは限らない。それはセティにとってツラいことだった。

 うつむいて唇をかむセティの肩に、ソフィーは優しく手を置いた。


「セティに活躍してもらうタイミングはきっとあると思う。それまでは、我慢して欲しい。お願い」


 目線を合わせて顔を覗き込まれて、セティはこくりと頷いた。


「仕方ないから、今はお前たちに任せてやる。でも、俺の力が必要になったら、ちゃんと言えよ」

「それはもちろん」


 にっこりと笑って、ソフィーは頷く。その後ろで、リオンもセティを見下ろしていた。


「俺だって、お前には期待してるんだ」

「本当か?」


 嬉しそうに黒い瞳を輝かせて、セティはリオンを見上げる。


「こんなことで嘘は言わないさ。いざってときには、頼むぜ」


 にやりと笑ったリオンに、セティは気分を良くして胸を張ってみせた。


「ふん、任せておけ」

「じゃあ、次の行動は決まりね」


 ソフィーは改めて森に向き合うと、手のひらを上にして小さく「おいで」と言った。その声に合わせて、肩に乗っていた蛙がぴょんと飛び跳ねて手のひらに乗っかる。

 セティもソフィーの視線につられて森を見た。

 金属の光沢を持った木々。硬く、そよりとも動かない背の低い草。木の根元や地面に広がる苔だって、触ればきっと硬いのだろう。


「一番近いのはあの木か。俺はあそこに向かって走るからな」


 リオンが近くの木に狙いを定める。ソフィーは頷いた。


「わかった。攻撃は反対方向に誘導してみる。声を出すから、それでタイミングを計って」

「了解、いつでもいいぜ」


 ソフィーは小さく息を吸い込む。リオンが駆け出すのとは別の方向に狙いを定める。


「放て!」


 蛙が水の塊を飛ばす。その直後、リオンは走り出した。




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