第八章 鋼刺の山荒(メタルソーン・ポーキュパイン)

45 静かな森

 どこに繋がるかわからない書架ライブラリの扉を開ける。今日はただ一本道の通路だった。

 石積みの壁が、ずっと先まで続いている。魔術の灯りに照らされたまっすぐな通路、その先がどうなっているかはよく見えない。


「まあ、行き先に迷わなくて済むのは助かるな」


 そんなことを言いながら、リオンは一冊のブックを取り出す。


開けオープン影狩の猟犬シャドウハント・ハウンド


 いつものように罠を察知できる影狩の猟犬シャドウハント・ハウンドを先頭に、リオンが続く。その後ろにセティ、最後にソフィー。

 セティももう、それに文句を言うことはない。大人しく、先をゆくリオンの背中を追いかける。

 石の床に足音が響く。不安に耐えきれなくなったように、セティは前の背中に呼びかけた。


「なあ、無事だと思うか?」


 セティは何が、とは言わなかった。けれど、リオンもソフィーもなんのことを言っているのかはすぐにわかった。


「無事だ。そう思って進むしかないだろ」


 リオンの言葉に、セティは不安そうに視線を揺らした。その後ろからソフィーが声をかける。


「ええ、きっと無事。少なくともわたしはそう信じてるし、だからこうして書架ライブラリに潜ってる」


 それは、ソフィー自身を納得させるための言葉でもあった。

 セティは足を止めて、ソフィーを振り返った。ソフィーも足を止めて、セティを見下ろす。目があうと、ソフィーは安心させるように微笑んだ。

 セティは頷きを返すと、またリオンの方を向く。数歩先に行ったリオンは、振り返ってセティたちを待っていた。その足元で影狩の猟犬シャドウハント・ハウンドはおすわりをして、大人しくしている。


「今は、前に進むぞ」


 リオンの声にセティは力強く頷いて、数歩の距離を進む。

 不安は誰の胸にもあった。けれど強く信じて、先に進むしか、今はできない。

 影狩の猟犬シャドウハント・ハウンドが立ち上がって、また歩き出した。


   ◆


 石に囲まれて息苦しいくらいの通路を進んだ先、狭い通路が途切れて、不思議な空間が広がっていた。

 一見して、森が広がっているように見えた。

 鬱蒼と木々が茂り、天井──空は見えない。地面には木の根が好き勝手にはびこり、陽が差さないせいか草花は少ない。背の低い草や苔が、木の根ででこぼことした地面を覆っている。

 じっとりと湿っぽい森の姿。そのように見えたが、どこか違和感がある。

 そもそも、書架ライブラリの中に広がる森はブックテリトリーだ。ソフィーとリオンは慎重にその様子を観察する。

 まず気づいたのは、音がしないことだった。生き物の声だけではない、草が揺れ木々の葉が擦れるざわざわとした音が何一つ聞こえない。

 それでよく見てみれば、草も、木の枝も、葉も、木の枝に絡んで落ちる蔦ですら、わずかにも揺れたり動いたりする様子がなかった。

 まるで造り物のような森の姿が、ずっと奥まで広がっていた。


「不気味だな」


 リオンの言葉に、ソフィーは頷いてその場にしゃがみ込んだ。正体のわからないテリトリーに、すぐに入っていくことはできない。ソフィーはその場所から、近くに生えている草をじっと見つめる。

 しばらくそうやって見つめていたが、やがてはっとセティを見上げた。


「セティ、炎の蝶フレイム・バタフライを出して」


 落ち着きなく森の様子を眺めていたセティは、戸惑いながらも頷いた。右手をあげて、その指先に小さな炎を灯す。


炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラム


 指先の小さな炎が、ふわりと羽ばたいて小さな蝶になった。近くの木々や草花が、ぎらりとその輝きを反射する。

 その光沢は、金属のものだった。


「この森は、金属でできてる……何か金属に関する知識を持ったブックってこと?」

「なるほどね、それでぴくりとも動かないわけか」


 リオンも木が映す炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラムの輝きを眺めて、違和感の正体に納得した。

 はらはらと頼りなく、炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラムが飛び回る。そして、森の──テリトリーの中に入った刹那、森の奥から何かが飛んできた。

 一瞬のことだった。飛んできた何かは炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラムを貫いて、セティの足元、石の床をえぐった。ぴしり、とえぐれた石にヒビが入る。炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラムの儚い炎は、かき消されたようにふっと消えてしまった。


「セティ、大丈夫!?」


 ソフィーの慌てた声に、セティは落ち着いた様子で頷いた。


「大丈夫。咄嗟に消したし、表面だけだ、知識は傷ついてない」


 リオンが腰をかがめてセティの足元、えぐれた床を見る。


「なんだ、これは……細長い……これも金属だな。金属でできた棘みたいな……」

「迂闊に踏み込むとこれが飛んでくるってわけね」


 ソフィーは大きく息を吐いて立ち上がる。そのまま森の奥を睨むように見る。


ブックの本体は当然、この森の奥でしょうね」

「そりゃ、まあそうだろうな」


 ソフィーはリオンを見る。リオンはいつも通り、なんでもないような顔をしていた。楽観的に明るく振る舞うリオンがいるから、きっと大丈夫だと思える。なんとかなると思える。

 次にセティを見る。セティは大丈夫だ任せておけと言わんばかりの顔で、生意気そうに顎を持ち上げた。実際のところ、セティの存在はとても心強い。


「なんとか、本体を捕まえましょう」


 ソフィーはもう一度、森の奥を見る。正体の知れないブックだけれど、きっと攻略できると、そう信じて。




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