35 探索者(ブックワーム)と本(ブック)の少年

 ソフィーは自分の部屋で、セティのブックと向き合っていた。

 お気に入りの眺めの良い窓は、今は閉めている。セティのことは、万が一でも見られるわけにはいかないから。


(そろそろ開いてくれると良いんだけど……)


 ブック──掌に収まるほどの四角い石の表面には、細かな模様や文字、記号が刻まれている。ソフィーはそれを握りしめる。

 昨日はどれだけ呼びかけても開くことはなかった。こうして無機質なブックと向き合っていると、大丈夫だろうかと不安になってくる。

 その不安をかき消すように、ソフィーは大きく息を吸った。


開けオープン、セティエム・グリモワール」


 ブックの表面に刻まれた線の上を光が走る。


(反応した!)


 ソフィーは喜んでブックの反応を見守る。

 光が強くなって、四角い輪郭が曖昧になる。そして、その質量がソフィーの掌の上から空気に溶けるように失われてゆく。

 光はソフィーの目の前に集まって、人の形になってゆく。ソフィーの肩に届くくらいの、もうすっかり見慣れた高さ。

 華奢な体格の少年の姿が見えてくるにつれ、ソフィーはその顔に笑みを浮かべる。

 真っ黒でまっすぐな髪の毛。人形のような白い肌。白いシャツにサスペンダー。黒い半ズボンから覗く膝小僧。ソックスガーターと黒いソックス。

 長い睫毛が持ち上がって、真っ黒い瞳がソフィーを捉えた。見る者を吸い込むような双眸。

 その瞬間、ソフィーはセティを抱き締めていた。


「セティ!」

「うわ! なんだ、離せ!」


 突然に抱き締められて混乱しているセティに構わず、ソフィーはぎゅうっと力を込める。


「良かった……! 無事で良かった!」

「だ、大丈夫に決まってるだろ! 俺は最強なんだからな!」


 ようやくソフィーは腕をゆるめて、セティの顔を見下ろした。セティも瞬きをしてソフィーを見上げる。


「うん、でも、心配したから。ちゃんと開くことができて、安心しちゃった」


 そう言って笑うソフィーのまなじりに、うっすらと涙が浮かんでいた。セティは気まずそうに唇を尖らせて、でも何を言えば良いのかわからなくて、ふいと顔をそらしてしまった。

 ソフィーも黙って、涙を拭う。


「その……」


 顔をそらしたまま、セティがぽつりと声をもらした。ソフィーは微笑んで首を傾ける。


「ありがとう。その……いろいろ。シジエムに勝てたのは、ソフィーとリオンのおかげだ」

「そんなの……セティがいなかったら、勝ててなかった。だから、お礼を言うのはわたしたちの方」


 セティは首を振った。広がった黒い髪が、明かりを映して艶々と輝いた。


「シジエムは俺を狙ってきた。俺のせいで、ソフィーとリオンは危ない目にあったんだ。俺が巻き込んだ……だから」


 不安そうに眉を寄せて、セティはソフィーを見上げた。セティはどこかすがるような目をしていた。だからソフィーは何も言わずに、黙って言葉の続きを待った。


「俺は七番目だ。シジエムは六番目。きっとまた、他の兄弟が俺のところにやってくる。俺と一緒にいると、ソフィーはそれに巻き込まれる。また、危ない目にあうと思う。

 それでも……」


 セティは言葉を途切れさせた。一度うつむいて、言うのをためらって、それからまたソフィーを見上げる。その表情は、ソフィーにはなんだか泣きそうに見えた。まるで、迷子みたいに。


「それでもソフィーは、俺の所有者オーナーでいて、大丈夫か?」


 ソフィーは微笑む。セティの不安を全部吹き飛ばすみたいに。


「わたしは探索者ブックワームだからね、多少の危険は覚悟の上。それに、今回はずっと欲しかった修復の知識の手がかりも得られた」

「でも! でも、危険だったんだぞ。もしかしたら、死ぬかもしれなかった」

「死ぬかもしれないのは探索者ブックワームやってる限り変わらないよ。だから、大丈夫。それよりも」


 ソフィーは腰をかがめて、セティの顔を覗き込んだ。


「セティ、わたしはあなたの所有者オーナーでいたい。あなたが成長する様子を見守りたい。隣で一緒に探索したい」


 セティは瞬きをして、ソフィーを見る。


「本当に……?」


 ソフィーは大きく頷いた。


「本当に。それで、セティはわたしのこと所有者オーナーだって認めてくれたの?」


 セティは嬉しそうな顔をして、でもすぐにそれを隠すように唇を尖らせた。白い頬が嬉しそうに赤く染まっていて、ちっとも隠しきれてはいなかったけれど。


「ソフィーには俺が必要なんだろう? 仕方ないから一緒にいてやる。その間は、俺の所有者オーナーだってことに、しといてやる」


 ぐい、と顎をあげて、セティは精一杯に強がってみせた。その強がりを見たソフィーは、笑った。


「それはありがとう、期待してる」

「当然だ。俺は最強だからな。いっぱい頼ってくれて構わないぞ」


 偉そうに胸を張って、まるでいつも通りにセティは言った。

 そうやって二人で笑いあったあと、さて、とソフィーは腰を伸ばした。


「じゃあ、何か食べましょうか。買いに行かなくちゃ」

「チョコレートは?」

「それはごはんの後にね」


 セティは満足そうに笑って、ソフィーを見上げた。ソフィーも笑顔でセティを見返す。

 所有者オーナーブック。それ以上の何かを二人とも感じていたけれど、それをなんと呼べば良いのかわからなくて、どちらも何も言わなかった。

 それでも二人は、お互いにそう思っている気がしていたから、それで満足だった。




   第一部 探索者ブックワームブックの少年 おわり

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