第3話 志摩子ふたたび

「なんかやつれてるねぇ、おにぎり、食うかい?」

「あ、いえ、だいじょうぶです・・・」

 俺は、京王線高尾山口ゆきという、巨大な乗り物に揺られていた。電車というものは走っているのは見たが、乗ったのははじめてだった。

 となりに座った八十超えの老女は、電車に乗ったあとからずっと話しかけてきていた。老女は、なんかぴったりとした高級そうな服に身を固めていて、登山ギアだとかなんとか、自慢げに言っていた。格好に不似合いな手作りのおにぎりを差し出した。

 怪獣が山に出るという報せが流されていたわりには、まわりはリュックサックなる背負子を背負った年寄りたちで埋まっていた。

「だいじょうぶかい、軽装だねぇあんたたち。高尾山だからって、なめちゃだめだよ」

「あ、はあ・・・」

「魔王さま、気をひきしめて行きましょう!」ダリは鼻息が荒い。

「ダリ、帰りの電車賃、足りないかもよ・・・」ガーロは心配そうだ。

 ああ、こんなじゃなかったら、のんびり山登りとか、いいのになあ。

 俺はゆらゆら揺られながら、流れ去る見知らぬ街並みを、うすぼんやりと眺めていた。


 あたしは逃げてた。

 どうもこうも、逃げるしかなかった。

 ちくしょう! どうすりゃいいのよ!

 あ、自衛隊きやがった。

 ヘリの音が響いてきてた。

 街にいたらヤバいのは確定してたので、山へ向かって逃げてた。夜の間に移動して、昼間は穴を掘って隠れていたんだが、なにしろ方向がわからん。ここは街に近すぎたか? 見られたのか?

 ミサイルとかきたらヤバいよな。火炎放射器とかイヤだな。

 死にたくねぇ。

 死んでも死なねぇぞ、コンチクショー。あたしの生命力なめんなよ。

 あ、マズイ、攻撃されそうだ。なんか、小さいドローンがまわりを飛んでた。見つかったっぽい。ヘリの数も増えてる。

 なんか、山のふもとのほうからも車の音がいっぱいするぞ。兵隊とかきそうだ。

 ああ、クソ、じっとしてたらあいつらくるな。動かなきゃマズイな。どうする?

 ミサイルとかヤバいよな。人家か、人間のいそうな場所に出るか? そしたらそう簡単には攻撃されないよな。

 あたしはかぶってた土と、森の木を押し上げて頭を出すと、山肌を動いた。


「―――あっ、動き出しました! G怪獣が動いています! なんておぞましいすがたなのでしょう! ああ、怖い! 怖いです! 住宅地にこないことを祈りましょう! みなさん! 避難です!」

「ああ、いかん、G怪獣ってヤツ、こっちきそうだ」となりに座っていた老人が手元の機械を見てそうつぶやいた。携帯電話とかいうやつだ。

「あら、そうなの? じゃあ逃げようか。ほら、あんたたちも」老女は、座っていた路肩の石からどっこいしょと腰を上げた。

「あ、俺たちのことはおかまいなく・・・」

 俺たちは、高尾山ってとこに入ろうとしたが、登山口が閉鎖されていた。なんとか藪を分け入っていこうとしたところへ、あの老女が、よせよせと裾を掴むので、離れるに離れられないのだった。

 そのとき、なんかやかましい音が響いてきて、空に機械の蜂みたいなのがいくつも現れた。

「あっ、自衛隊だわね」

「みなさん! ただちにここから避難してください! 危険が迫っています! ただちに移動してください! 命を守る行動をとってください!」だれかのでかい声がしていた。

 そうこうするうち、ドーンと地響きがして、山が爆発した。

 まわりにいた人間たちが悲鳴をあげるなか、森のなかにあの怪獣がのそりと現れた。

「あっ、いました! いました!」ダリが喜声をあげる。

 行くしかないのかあ。

「魔王さま! 早く!」ダリに袖を引っ張られた。


 ああ、ちくしょう! 絶体絶命か!

 ヘリに上空を包囲されていた。地上にも大勢軍隊が迫ってきてた。戦車みたいなやつや、大砲みたいなものを乗っけた車も見えた。

 あんなので撃たれたらどうなるんだ?

 飛ぶか? でも飛んだとたんに撃たれるんだろうな。

 そのときだった。

 逃げないで、こっちにくるやつらがいた。

 おにぎり食ってた。

 ああ、食いてえ。ここしばらく、山の木とかしか食ってねぇ。

「食いたいのか?」

 そいつは言いやがった。

「お、あ、あたしの考えてることがわかるのか?」

「なんとなくだ」

 どっかで聞いた声だ。あれ? なんか、転生したときに、タエと戦えって言ってた声に似てないか?

「おまえ、だれだ?」

「ええい、頭が高い! こちらにおわすお方をなんと心得る! おそれおおくも魔王さまであらせられるぞ!」

「なに言ってんの? ダリあんた」

「まかせて、時代劇チャンネルっていうので観たわ。偉いひとはこういうふうに紹介するもんなのよ」

「なんか、間違ってない?」

 男がずいっと、前に出た。

「俺がおまえを転生させたんだ。憶えてはおらんだろうがな」

 いや、憶えてるぞ!

「そ、そうなの? そう? なら話は早い! なんとかしてよ! ここから逃がしてよ! いますぐよ!」

「い、いや・・・待て」

「待てないわよ! 自衛隊きてんのよ! 殺されちゃうのよ! いまよ、いま!」

「お、おまえは、その・・・、自分では転生できたりしないのか?」

「できるわけないだろ! あんたがしろよ! 転生でもなんでもいいよ! 急げよ!」

「ああ、そうなんだ・・・」

 なんだ、コイツラ、目に見えてガッカリしてるぞ。

「あー、すまん、俺たちも転生できなくて困ってるんだ」

 なに言っちゃんてんの? わけわからねぇ。

 ああ、いかん、ヘリがきた。

 なんか、下のやつらも静かになった。撃ってきそうだ。

 あああああ、死ぬ!

 もう、飛ぶか!

 飛んだ。

 空にぶんっと浮き上がった。

 まわりのヘリからいっせいに、白い煙があがる。ああ、下のほうにいっぱいいる戦車みたいなのからも煙が。

 ミサイルか? 大砲か? ヤベ〰〰! 

 死んだ!

 そのときだった。

「あ、あれ? あいつ?」

 魔王と名乗る男が、あたしのほうを指さしてた。

「魔方陣、出てるぞ」

 光ってた。

 あたしのからだ、光ってた。

 足元に穴が見えた。

 ああ、これだ。また転生だ。

「魔王さま! 急いで! 早く!」なんか、アイツラ叫んでた。



 タエはしあわせだった。

 ああ、こんなしあわせでいいのかしら。

 魔石はどういうわけか、魔女王があっさりとくれた。魔女王は強そうで、かなり病みっぽかったけど、もう魔女王城からはもうだいぶ離れたし、もう寒くもないし。

 なにより、ランスエリスの腕にお姫様だっこで抱きかかえられていたから。

 飛行魔術って神だわ。タエはそう思った。

「そうですか、学校にいっていたんですね? 貴族でもないのに学校とは、あなたの世界は進歩しているんですね。それとも、あなたが優秀だったからでしょうか?」

「い、いいえ、そんな・・・、優秀だなんてことはありませんわ、ホホホ」

 エセ貴族令嬢みたいな話し方になってたけど、いい感じに話もはずんで、ずっとこのままでいいわ。そう思っていたけど。

「ああ、見えてきましたよ」

 わたしたちは魔王城に戻ってきてた。

 そう、もう一度、転生するために。

 リオラはもう、魔術師じゃないと言ってたけど、そこには、あの魔王との戦いのときに、リオラが用意した魔方陣がまだ残されているというんだ。それを使うつもりらしい。魔方陣は発動しなければ見えないものらしく、どこにあるかもわからないんだけど。

「どこにあるのかしら?」

 わたしたちはそこに立った。

 魔族のすがたはまったくなく、あのときの暗雲たれこめた魔王城のようすも打って変わって、陽がサンサンと差してて、崩れかけた魔王城の瓦礫のうえを、乾燥した平原の風がただ吹いてた。

 いっしょにきた騎士団が周囲を警戒していたけど、魔族のすがたはどこにもなかった。

「で、どうするんでしょう・・・」

 あれ、でも、このままでも元の世界に帰ってしまうんじゃなかったっけ?

 なんか、よく分からなくなってきたな。

 ええと、こっから戻って、そんで、呼び戻してもらう? ここへ?

 あれ? まえはエランジルドの王城の魔方陣へ戻ったよな。なんか違くないか?

 まあ、いいか。

 リオラは、魔石を持って、瓦礫の跡地でゴソゴソやっている。騎士団や、ランスエリスたちに遠ざかるように指示している。

「タエちゃん、いいかい〰〰!」

 なにがいいのか、わからんが?

「はい」

 地面に赤い魔方陣が浮き出た。よく覚えていないが、あのときのモノなんだろう。

 あのときと同じように、風が巻き起りはじめた。地鳴りがした。

「タエちゃん、! まえへ行くんだ〰〰」

 地鳴りが大きくなり、地面が揺れる。城の崩れ残った壁が落下し始める。

 風が、突風に変わり、竜巻のすさまじさに変わってゆく。

「つかまって!」エリクシールたちがうしろで支えあっている。

 ど、どうなるんだ?

 待ってればいいの?


 ランスエリスと騎士団は、その異変にいちはやく気づいた。

「む、なんだ?」

 空気が変わっていた。

 そのとき、天地を震わす大音響とともに、魔王城を囲む大平原のあちこちに、巨大な落雷が落ちた。この魔方陣のものでない地震が、城全体を揺すった。

 平原に光が満ち、そして、うずのように歪む地平のさきから、軍勢が現れるのが見えた。

「な、まさか!」

 ランスエリスはそのまま言葉を失った。

 それは、信じられないほど大規模な転移魔術。地平を埋め尽くして現れた魔女軍の大軍団のすがたであった。

 数十万におよぶ、全身をいくさ装束に固めた戦闘軍団、おそらく数百はある魔導兵器群、巨躯の半獣のすがたも壁のように数多く立っている。さきに見た、魔軍の主力軍にまったくひけをとらない。

 ありえない、これほどの大軍を、一瞬でこの地に。魔王ですらそんな戦術はなしえなかったはず。魔女王とはそれほどの魔術を。

 いま、これほどの軍勢がエランジルドを襲えば、おそらくひとたまりもない。

「きたか〰〰!」

 リオラの声と同時に、魔方陣のすぐ横に、別な円陣が浮き上がった。

「あははは!」魔女の笑い声がした。

 そこに魔女王フォルネウスが立っていた。魔女メリュジーヌがつき従っていた。

 彼女たちは、魔方陣のすさまじい風など、まるでないかのように、ゆるやかに地を歩いた。


 魔女王フォルネウスは、上機嫌であった。

 いいわね〰〰、狙いどおりだわね〰〰。

 これが、あのリオラとかいう魔術師があらたに生み出した『逆』転生魔方陣なのね〰〰。やるじゃない。カワイイだけじゃないのね♡

 わかってんのよ。わたくしにはわかってんの。

 あの魔王との戦いは、わたくしはしっかり監視していたのよ。魔王が使った異界魔術の魔術書。あれは魔王が持ってると思ってるんでしょうけど、城が崩れるどさくさに、わたくしが手に入れてたのよ。そう、わたくしはもう、転生魔術が使えるの。

 だけど、転生魔術できるだけじゃ、ダメなのは分かってんのよね。

 やってみたけど、イメージがすごく大事で、思ったとおりのすごい魔獣を呼ぶことなんてできない。あの魔王ですら、巨獣にはおよばない昆虫魔獣ぐらいしか呼べなかったわよね。

 やみくもに呼んじゃっても、ソイツが言うこと聞かなきゃ話になんない。

 ここであたくしの頭の冴えたところ。

 異界から呼ぶだけじゃなくて、逆に異界に行けることが重要なのよ。

 このリオラが生み出した逆魔術式さえ手に入れれば、あたくしの部下たちを異界に送ってやれる。そうして無敵の巨獣にだって転生させられる。魔女国の軍団をみんな転生させれば、無敵の大軍団だわ。

 異界との行き来さえ自在になればできるのよ。

 そうすれば、あの人間族の巨獣が現れようが、怖くなんてないわ。

 そうして、そう、異界だって、わたくしの軍団で征服してやるわ。

 わたくしたち魔女族は魔石はいくつも持ってんの。魔王が持ってたヤツだって、先王が不戦の盟約で渡してあげたものなのよ?

 人間たちに魔石をあたえてやれば、ふたたび帰るためにこの魔方陣を使うわよね。読みどおりよリオラちゃん♡

 うふふ、もう術式はわたくしのものよ。

「人間たちよ、おまえたちの役目はおわりじゃ」

「やりましたね、魔女王さま、すぐブッ殺しましょう」


 暴風のなか、リオラは剣を地に差し、立ち上がっていた。

「やはりか〰〰、そんなことだろうと思ったさ〰〰!」

「どういうことなのです?」エリクシールがそのマントの陰で風を避けている。

「なにもなしに魔石をくれるわけがない〰〰! 魔女軍がはなから攻めてこなかったのは、やっぱり転生魔術がねらいなんだ〰〰!」

 魔女王フォルネウスが、魔方陣のほうへ手をかざしている。その手には別な魔石がある。おそらくは、リオラの転生魔術の術式を写し取るつもりなのだ。

「うふふ、リオラとやら、わたくしに臣従を誓うのであれば、ほかの者どもの命も助けてやらぬでもないぞ」

「そんな気はないさ〰〰」風に声はほとんど飛ばされている。

「その気があろうが、なかろうが、おまえに自由はもはやないがの」

 ずしんと、魔女王の巨大な魔偉がその場全体に降ろされた。

 リオラとタエを除く者たちが膝を突く。

 エリクシールは、その神聖力で仲間全員を支えていたが、すさまじい圧力に苦悶の表情を浮かべていた。

「リオラ、あなたは・・・、魔女王の狙いを、こうなることを予測していたのですね? で、では、どうするつもりだったのです?」

「ああでも、それは、彼女しだいなんだ〰〰!」

 リオラは指さした。

 その先にはタエが。

「その娘にも手出しはさせぬ」魔女王フォルネウスの手が、合図を送るように振られた。


 わたしは固まってた。

 じっとしていればいいのかなと思ってたんだけど。

 魔女の大軍団が出てきて、そんでいきなり、すぐ近くに魔女王が出て。

 ええ? どう、どうすりゃいいの?

 転生は? どうなったの? いまどうなってんの?

 そのとき、いやな音がした。

 ブーンというような音だった。

 おそるおそる、振り返った。

 そこに、ヤツがいた。

 Gがいた!

 崩れかけた魔王城の尖塔のよこの空に、Gが浮かんでた。

「ぎゃあああああああ」

 わたしは叫んだ。


 ああ、タエだ。

 人間に戻ってる。なんだちくしょう、コイツだけなんで。

 あたしがコレなのに、なんで。

 あたしは舞い戻ってた。また異世界に。

 魔女王とかいうキャバ嬢があたしをふたたび召喚したらしいんだが。

 あたしはいきなり、海辺の戦場で戦わされたんだが。

 なんか、わけわかんないままだったけど、流されるままだったけど。

 よく考えたら、どいつもこいつも、あたしをいいように使ってるよな。

 ゆるせねぇな。

 どいつもこいつもゆるせねぇ。

 コロス。

 まず、コイツからだな。

「タエ〰〰〰!」睨んでやった。

「ひぎゃあああああ!」タエはビビりまくってる。

 ざまあ。


 ランスエリスは、荒れ狂う風に翻弄されながら、その魔獣のすがたを見た。

「なんと! どうしてあの魔獣がふたたび?」

「うわ、これは〰〰! 想定外だ〰〰!」リオラが叫んでいた。

「ど、どうするのです?」エリクシールも叫んでいる。

 タエのからだは光っていた。

「もう、できることは決まってるんだ〰〰」

 リオラは、手にした魔石をタエのほうへ投げた。

「時間切れだ〰〰! じつは、この魔方陣は、きみを返すためのものじゃない、最初に言ってたように、もう、きみは帰れるんだ〰〰」

 タエは、リオラが投げた魔石を受け止めていた。

「ええ、帰る? わたし帰るの?」

 タエの足元に黒い渦が生まれ出ようとしていた。

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