第2話 魔女王の陰謀
魔女国は、北限にあった。
冬間近のこの国では、陽のさす時間はわずかしかない。黒々とした曇天を闇空がおおいつくして、
氷点をはるかに下回る大気の中で、降る雪は微細な結晶となって舞っていた。
魔女王城はその隔絶された氷の世界の果てで、鋭利な刃物のような氷柱の尖塔を、天に突き刺して屹立していた。
「そうか、魔族を蹴散らしたか。重畳、重畳」
魔女王フォルネウスはその美貌を天にもたげて、からからと笑った。声は氷刃で覆われた王の間に、玲瓏にこだました。
「いまこそ、ハインデルク大陸をわがものにするときじゃ!」
光をすべて吸い尽くすような漆黒の衣を引きずって、玉座から立つと、満場に控えた魔女軍の精鋭たちに激を飛ばした。
その匂い立つような魔偉が空気を震わし、大気が凍ってダイヤモンドダストを散らした。
城内を埋め尽くした配下のものたちが、いっせいに平伏した。魔女王は、吐息ひとつで数百の魔族を死にいたらしめる真魔の血族。フォルネウスは歴代魔女王のなかでも抜きんでた魔力と、そして残虐さをもっていることを、その場の全員が周知していた。
魔女王フォルネウスはワクワクしていた。
いいぞ、いいぞ〰〰、チャンスじゃないの〰〰。
魔国が滅んだいまだったら、イケるのよね!
これまでいいとこなかったのよ。
だいたい、あたくしのまえの魔女王と、魔国の先王とが『不戦の魔術契約』なんかむすんでなきゃ、海峡ぐらいすぐ渡れたのよ?
魔女国はこんな場所だし、なにしろ半獣半魔の魔女ばっかだから、明るい土地にはなかなか行きづらかったりしたんだけど。
陰キャから脱出よ! あるのかすら知られてない、伝説の魔女の国なんて言われないのよ! 引きこもり扱いなんてされないわ!
知られてないみたいだけど、魔女国だって軍隊は強くなったのよ? あたしはいまじゃ、魔王にもひけをとらないのよ? 魔力はいっぱいもってんのよ? 魔術操作においては魔王だってしのぐはずよ!
目のうえのコブだった、その魔王ももういないし!
魔王と人間の巨獣との戦いを、かげでこっそり調べてて正解だったわ。
あの巨獣はヤバかったけど。転生魔術さえ押さえておけば、どうってことないってわかってんのよ。
異界魔術が人間や、魔族だけのものだと思ったら、大間違いよ!
うふふっ。
「魔女王さま、人間どもの特使を迎える準備、整いましてござりまする」
魔女メリュジーヌが寄ってきた。銀の髪に、透きとおった肌がはかなげで美しい。魔女王配下の魔女のなかでも抜きんでた美貌のメリュジーヌは、しかし実力においても同じく他の追随を許さぬ強者でもあり、フォルネウスの右腕でもあった。
歩を進めるたびに地響きがする。そのからだの周囲に立ち昇る魔威がゆらめいて、足元の石床を小刻みに揺らしていた。
周囲の小物魔女たちが恐れをなしてあとじさった。
「きたらすぐ、ブッ殺せます!」メリュジーヌは右手でガッツポーズした。
「やめよ、わたくしたちはこれから中央に出るのじゃぞ。大陸を制圧してもっと大勢のうえに立つのだ。そんなんでどうするのじゃ。田舎者丸出しではないか。ブッ殺すとか言うでない。もっと上品にだな・・・」
「はっ、あ、はいっ、そうですね・・・、はい、では、上品にブッ殺します!」美人なのに、残念なヤツ。
「そ、そういうことじゃないのじゃ。荒っぽい言い方はいかんと言っておる」
「ははっ、そうですね。そうです。で、では、スッ殺します」
「なんだよ、スッ殺すって? いや、ソコ柔らかく言えってんじゃないのよ」
「では、ヘっ殺します」
「スもヘもいっしょだよ! 殺す、からはなれろよ!」
そこへ別な手の者がやってきた。
「魔女王フォルネウスさま、人間の特使がまいったようでございます」
「む?」
魔女王フォルネウスはちょっと焦った。
ええっ! もうきたの? ついさっき特使よこせって要求したばっかじゃないの?
「やけに早いのではないか?」
ぐっと魔威を込めて睨むと、その従者の魔女はあぶら汗をかいて震えた。
「あ、ま、魔族の転移陣と、飛行魔術をつかったようでございます・・・」
なに急いでんのよ〰〰? 急にきたらびっくりするじゃないの〰〰。ま、まあいいわ。
「いいでしょう、通しなさい」
「魔女王さま、ヘっ殺しましょう」
「おまえは黙ってろ」
わたしは震えてた。
すごく怖かったけど、それ以上に寒かった。
うへあああああ〰〰。
この城に近づくまではすごく幸せだった。なにしろ、転移陣やら、飛行魔術は、わたしたちのからだには効かないので、ランスエリスの腕に抱えられて飛んだのだった。いい気持ちだった。風は強くて寒かったけど、彼のマントのなかで、そんなの感じているヒマはなかった。
ところが、ここは寒いどころの騒ぎじゃなかったわ。ほぼ南極。ウソでしょ?
着るものはもらってたので、丸々と着込んではいたんだけど、そういうレベルじゃなかった。じっとしてたら目玉が凍るんじゃないかってくらいのトコだった。
わたしたちは、そろって魔女王城に出向いていた。城のなかを案内され、そして女王の間のまえで待たされていた。
「どどどどどうなってんの? まままだ、待たされんのののの?」
声がどうにかなってた。
「そそそそうだよね〰〰」リオラも震えてた。
わたしを筆頭にする特使団は十人ぐらいいて、みんなエリクシールの神聖力で魔偉や寒さからも守ってもらっていたんだけど、お約束でわたしとリオラには効かないんだった。
「あ、お呼びがかかりましたよ!」
地獄門かっていうような、ブロンズの彫像がのたくりあった巨大な門が開き、女王の間に通された。
「あうわっ」
壮麗な氷の宮殿だった。
見上げる壁や天井のすべてを氷の彫刻が飾っていた。それらは闇の国のなかにあって、月の光のように青く輝いて見えた。
そこには寒気どころか、凍死しそうな魔女王の妖気が、ブリザードのように舞い踊っていた。立っているだけで、命を持っていかれそうな感じだった。
「ひいい」
広間にはみっしりと、魔女王の配下らしい魔女や、半獣魔女がそろっていた。
魔女王らしい女は、その真ん中に立っていた。バーレスク東京とかにいそうな、ちょっとケバい美女だった。ムネと腰を強調した黒いドレスを着てた。
「さあ、もっと近う寄れ」
声が響き渡った。
その場の大勢や、わたしたちについている騎士団までもが、あとじさったことからすると、女王のその魔威とやらはものすごかったんだろう。
魔女王フォルネウスはちょっとドキドキしていた。
こいつ、やっぱりわたくしの魔威が利いてないみたいだわね。
こいつがあの、四大魔軍王をあっさり蹴散らして、魔王まで倒したってヤツか〰〰。そうは見えないコムスメだけどな〰〰。魔術効かないってのはホントなんだわ。
転生魔術は、わかってるのよ。異界にいる者を転生させるんでしょ? 巨獣とか、怪獣とか転生させてたよね? でも、このコムスメがなんであの巨獣?
どうするかな?
殺せるかな? 殺せそうだな。
コイツと、いっしょにいるのが、魔術師リオラってヤツなんだよね。コイツいろいろやってんだ。あなどれないのよね〰〰。ヤバそうだわね〰〰。でも、若いわね。十代くらいよね。まあ、ちょっとカワイイけどね。まあ、ちょっとね。
「魔女王さま、早くブッ殺しましょう」魔女メリュジーヌが頬をピンクに染めながら、耳打ちする。
うっ。
「し、しばし待て」
「しかし、奇襲で一気にブッ殺す段取りが・・・」
「わたくしに考えがある。待て」
とにかく、コムスメと、魔術師さえなんとかしとけばいいわけだもんね。わかってんのよ? ちゃんとわたくしにはわかってんの。
まあ、ちょっとようすを見ようではないか。魔術師リオラはもっと役にたつんじゃないかな? カワイイし。
魔女王フォルネウスは、じつはショタコンであった。
騎士ランスエリスは苦悩していた。
魔女国は謎に包まれた王国であった。北の辺境にあって、存在すら伝説であった。
だが、この城に達するまでに見てきたのは、城を囲む数十万の魔女軍と、魔国をもしのぐ巨大な王城であった。
そして魔女王のすさまじい魔威は、エリクシールの神聖力のなかにあってもわかる、数百トンの岩に押しつぶされているようであった。
この軍勢は想像していた以上だ。これを相手取ってはいまのエランジルドに勝ち目などない。
この特使団には、戦うという選択肢はない。リオラとタエには絶対の魔術耐性があり、ランスエリス、そして剣聖となったリオラには剣のスキルがある。手にした剣には神聖力の加護もある。だが、もとよりこの物量に抗えるものではないのだ。
この会合が、人族の命運を決する。
魔女族が歩み寄りを見せればよいが、そうでなければ、この特使団だけでなく、大陸全土が魔女国によって蹂躙されることになるだろう。
リオラが言うには、駆け引きしだいだとのこと。
魔女国がいきなり攻めてくることなく、特使などと水を向けてきたのは、理由があるはずで、それはおそらくは、あの巨獣だ。異界魔法で召喚した巨獣がふたたび現れることを恐れているに違いないのだ。
エリクシールが進み出た。
「エランジルド第一王女エリクシールです。こたび、お招きいただき感謝申し上げます」
魔女王は鷹揚な態度で見下ろしている。
「かしこまらずともよいぞ。わしは人族とよしみを結ぶつもりじゃ」
リオラの予測したとおりの言葉を発した。むろん、本心であるとは思えない。
「では、滅亡した魔国の扱いについて、協議させていただきたい」
リオラが進み出た。これも用意した口上であった。
「まあ、待ちやれ。そのほう、リオラとやら申す転生者であったな、くるしゅうない。ささ、もそっと近う寄れ」
魔女王はなめるような目でリオラを見ると、手招きをした。
リオラがゾクッと肩を震わせるのが見えた。
「魔女王さま! なにをなさっているのです! ブッ殺しましょう!」
「うるさい! わらわに任せておけ」小声で言った。
魔女王フォルネウスは、思い直した。
ようすをみてコムスメごと殺すつもりだったけど、べつな案もあるのよね。それで行こう。そうしよう。
「魔女王さま、若い男好きもいいですが・・・、ここは自重していただいて、ブッ殺しておかないと」
「や、やかましい! 黙っておれ!」
魔女王フォルネウスがイラついたので、地響きが大きくなり、城が揺れて壁の一部が落下した。
ああ、いかん、いかん。
わたくしにはちゃんと考えがあるのよ。あたくしはあの魔王みたいなポンコツじゃないのよ。
フォルネウスは落ち着きを取り戻して前に出ると、リオラに語りかけるように言った。
「魔国の扱いも大事じゃが、まず、よしみを通じるにはじゃ、お互いに、相手のことをよく知らねばならぬであろう」
エリクシール姫は、露骨に警戒する顔しておるのう。
「まずは、もっと足をからめて・・・、いや、膝を交えて話し合おうではないか。どうじゃ?」
「そ、それには、それにはおよびません〰〰。そんなに長くいられないです〰〰」
フォルネウスは、じろりとリオラたちのようすを見た。
寒そうに足をばたばたさせておるのう。なんか、転生者、ひ弱そうじゃのう。かんたんに死にそうなんじゃが、殺してもいいかのう。
「おぬしら、転生者なのであろう。わたくしはよしみをと申したが、おぬしらが、あのような巨獣をまたあらたに喚び寄せて、魔国と同様にわが国を攻め滅ぼさぬという保証もないであろう。ここは、愛人・・・、あいや、友人になっておくべきではないかえ?」
エリクシールが、ぐいとリオラの前に出た。
「そうは申されても、ここでわたくしたちがあなたたちと仲良くしたところで、口先だけの友人などと、あなたは信じられましょうや? それはわたくしたちも同じことです!」
「なんか、ぷりぷりしておるのう。もしかして、その者と恋仲であったりするのか?」
「そ、そのようなことは、あ、ありませぬ!」
赤くなっておるのう。ちょろい娘じゃ。
リオラ仙太郎は考えていた。
なんかなあ、裏がありそうだ。
ゴジ〇は怖いんだろうけどな〰〰、特使なんて言ってわざわざ呼びつけたのは、それを警戒してるだけなのかな〰〰? 巨大な軍隊のようすなんか見ると、すぐにでも大陸を攻める気がマンマンだしな〰〰。
友人なんて言ってるのは明らかにウソだよな〰〰。どうするかな〰〰?。
「では、友好の
「ほう? 証?」
フォルネウスはおだやかに笑う。温かみどころか、差すような風が巻き起って、寒さがいや増す。
「証とはどのような?
周囲の魔族がざわついた。
魔女メリュジーヌが顔を赤らめて進み出た。
「きさま! むけぬけとなにを申すか! おのれらの国などその気になればひねり潰せるのじゃ! おのが立場をわきまえてもの申せ!」
仙太郎は緊張していた。ここが正念場だ〰〰。ゴジ〇が怖いにせよ、なんにせよ、われわれをすぐに殺す気がない以上、それに乗じて譲歩を勝ち取るしかない〰〰。いちかばちかだが〰〰。
「メリュジーヌ、控えよ。宝物や、兵器程度、どうということは・・・」
「魔石をいただきたい〰〰」
リオラのその声は、王の間によくとおって響いた。
「む?」
魔女王フォルネウスは少しだけ色をなした。氷を帯びた旋風が舞った。
魔女王城内は、大きくどよめいた。
「お、おのれえ! 調子に乗りおって! ブッ殺す‼」
メリュジーヌが吠えた。その背に黒い雲が湧いたと思う間に、なかから巨大な死霊鎌が浮き出して、メリジューヌの右手に握られた。
その強大な魔威に、地響きが起こった。旋風は暴風になり、ブリザードと化す。
エリクシールたち人間の一団は、身を寄せあってそれを避けていた。
リオラは寒さに震える歯を噛んだ。
くそっ、ダメか?
「よかろう、くれてやってもよいぞ」
魔女王フォルネウスのその言葉に、メリュジーヌが振り返った。
城内の魔女族のどよめきはさらに高くなった。
「わかっておるぞ。おまえたちは帰りたいのであろう? 転生者はムリヤリこっちに召喚されたのじゃな? 魔石があれば帰れるのじゃ。そうであろう?」
吹雪の暴風のなかで、魔女王の目が赤く輝いていた。
「ま、魔女王さま、そ、それは・・・、魔石を渡して、人間がまたあの巨獣を召喚したら・・・」
ふいに、魔女王フォルネウスのからだが、重さのないもののように宙に浮かぶと、その手が打ち振られる。
その瞬間、魔女メリュジーヌのからだが消し飛ばされ、百メートル以上むこうの広間の壁面にぶち当たった。すさまじい轟音を放って壁面が爆発四散し、巨大な振動が城全体を揺すった。
「黙りおれ。おまえといえども、これ以上このわたくしの差配に口出すことは許さぬ」
魔女メリュジーヌは壁面の瓦礫のなかに横たわり、口から激しく血を吐いていた。
「はう! ははっ、申し訳・・・ありま・・・」
進み出る魔女王フォルネウスの威圧に、城がふたたび大きく揺れ、壁がはげしく崩落した。
満場の者たちが、おののいて地に身を沈めている。
フォルネウスのすがたを中心に、暴風がうずを巻き、黒雲が天井を揺すっていた。その周囲に閃光が走り、稲妻が糸のように絡まり合っていた。その髪が、光を放ちながら水藻のように妖しく揺れ動く。
魔の世界の王たることを、誰の目にも明らかにするすさまじいまでの威圧を示して、フォルネウスはその場に顕現していた。
リオラたちは、震えながらそのすがたを見上げるのみであった。
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