第4話 タエ 対 ハデス

 魔王城のある魔国最奥の空は、黒雲がつねに空を覆っている。まるで生き物のような早さでうごめくそれは陽を遮って、天地のあいだをすべて黒色に落としている。城を中心に、濃密な魔威と瘴気が一帯を覆い、近づく生物はおよそ、すべて侵されて死に絶える。草木のひとつも生きられぬ死の世界である。

 ガーロは息を止めていた。

 地面にひれ伏したまま、震えることすらできないでいた。

 魔王城は、低位の魔族は足を踏み入れることはおろか、近づくことすらできはしない。その魔威に当てられただけで容易に心臓が止まるのだ。

 その魔王城の、しかも魔王さまの御前に引き出されていた。

 死んだ。

 だめだ。もう死んだ。

 横にいるダリをちらっと見る。平伏したまま、また白目をむいて気を失っている。

 ちくしょう。こいつはなんて幸せなヤツだ。コイツのせいなのに。

 ガーロたちのまえには、四人の『魔軍王』が立っている。魔軍王は、魔王直属の英雄級の魔族で、魔軍の総帥に位置し、ひとりで数十万の魔軍に匹敵する力をもつ魔族の最高位である。それぞれが身長三メートルを超す巨躯で、岩のように分厚いからだに、凝集された巨大な魔力を横溢おういつさせていた。

 魔将の数倍のすさまじい魔威の圧力に、城の床が揺れているのが感じられる。これでもおそらく、ガーロたちのためにひどく抑えられているに違いないのだ。それを解除するだけで、ガーロたち低位の魔族の十や二十は簡単に消滅させられる。

 ガーロは、震える歯を噛んで、からだが動かないようがんばっていた。

 死ぬのか? もう死ぬのか?

 先の大魔将グラノドンさまの軍に従って、そこでああいう失態を演じたことは、もうバレているんだろう。だが、すぐ殺されなかったのはなぜなのか?

 もしや、バレてなかったのか?

 あのとき、周りは大混乱だった。私たちのことをだれも気にもとめてはいなかった。

 ぐるぐると考える。気が遠くなる

 いかん、息を止めすぎた。

「殺せ」

「ひい」

「そのような獣など、さっさと殺せ」

 ガーロの額に汗がどっとわいた。ああ、わたしのことじゃなかったのね。

「魔将の一匹や二匹、やられたがどうだというのだ。どれほどでかかろうが、だれでもよい、われら魔軍王がひとり出て、すり潰してやれ。さすれば混乱も落ち着くであろう」

「まあまて、どうも、よくわからぬ。人間がそのような魔物をどのようにして召喚したというのか? 一匹喚べるとするなら、まだ喚べるのか? であれば、面倒なことにならぬか?」

「そは、いったいどこから?」

「魔力のないものを、どう操っているのか?」

 魔王軍は混乱していた。魔将ばかりか、大魔将までもが敗れ、人間軍は逆に進軍してくるようすだというのだ。

「もうよい」

 その重厚な声の響きに、魔軍王たちがいっせいに、膝を屈してあとずさった。

 魔王アガレスは、魔軍王たちの後ろの玉座の高みに座って、落ち着かないようすであご髭をさすっていた。

 その苛立ちが周囲に漏れ出ていて、すさまじい威圧となって大気を重い岩のようなものに変え、その場の者たちの肩を地へと押しつけていた。数トンもの巨大な石で組み上げられた城の床や柱が、その威圧だけで激しく揺れていた。

 氷温に下がった気温に、ガーロのほほの汗が凍った。

 ガーロは声をたてぬよう、平伏したまま口を押えてうずくまっていた。

 魔王アガレスは、魔軍王たちと違って、人間とさほど変わらぬ体型であった。その端正な顔を巡らせて周囲を睥睨する。大きくはないが、鉄筋をより合わせたような強靭な筋肉の体躯が、その黒衣からのぞく。だが、その力は、魔軍王が束になっても届かぬ強大なものであった。


 魔王アガレスは、じつはやや小心者であった。

 二千年まえ、先代の父王は人間族と戦い、そして敗れた。先王はすでに三千年を生き、老齢であったことも災いした。軍を退かせるとほぼ同じにして没していた。

 アガレスは、その王座を継承し、その圧倒的な魔力によって君臨していた。幼少のころより、彼に対抗しうる者は魔族にだれひとりとしておらず、その力は先王をはるかにしのぐといわれていた。

 しかし、彼が青年期に、父王の敗北を見たことはトラウマになっていた。

 魔王アガレスは、じつはそこそこ小心者であった。

 人間族との再戦は、避けて通れぬ魔族の悲願であった。それには慎重にも慎重に準備を重ねなければならないと考えた。

 魔軍を徹底的に鍛え上げ、秀でたものを選りすぐって厳しい修練を科した。そのすさまじい地獄の修練は、優れた者、天才と呼ばれていた者ですら多くが死に絶えるほどで、そして選ばれ抜いた者をさらに鍛え上げた。魔軍王、大魔将といった家臣は、かつての先王の力をも超える者が少なくない。魔軍の小物たちですら、先の戦いの軍の数倍の力をもつはずだ。

 さらに、人間界の弱体化を狙って、二千年をかけて姦計を巡らし、いまでは人間界の武力は、さきの戦いの数分の一しかない。

 ここまでやっておけば、いくらなんでも、アガレスはそう思っていた。

 魔王アガレスは、じつはだいぶ小心者であった。

 なんでだ?

 魔将クラスと、数万の兵があれば、一国ぐらいは落とせるはずだろ?

 それが、大魔将までやられたって?

 どういうこと?

 焦燥がつのって、びんぼうゆすりをした。地響きが起き、城の天井がひび割れて岩が落下した。

「お、お怒りをおしずめくださいませ」

 魔軍王たちが頭をさらに下げた。

 ああ、いかんいかん、俺が苛立つと、威圧で城の者が何人か死ぬんだった。

 しかし、どうしたものか。

「強い敵に戦力を逐次投入するのは愚策ではないか?」

 声をひそめたつもりだったが、鳴り響いた声に、奥に控えた者たちまで大勢が這いつくばったようだ。

「さ、さようですね。では魔軍王のいずれかにて駆逐してしまいましょう」

 いや、それが逐次投入だというのだ。それはわかっているんだ。一気に魔軍王、大魔将みんなでいって、やってしまうか? だが、もし、それでやられちゃったらどうする? 敵がこんどのやつみたいなのを、もっと投入してきたらどうなる? いや、もっと強いやつだって呼べないとは限らないだろ?

 びんぼうゆすりがひどくなって、落ちてくる岩の数が増えた。

「ひえ」

 落ちてきた巨岩が、ガーロの額をかすって床にめり込んだ。ガーロは腰を抜かして床をはいずった。

「む、その者たちはなんだ?」

 魔軍王のまえにひれ伏しているガーロたちを見た。

「それでございますが、魔王様。あの巨獣は何者か、あれを人間どもがどのように召喚したものかなど、人間界に手の者を遣わして探ってみてはいかがかと愚考いたしまして」

「ほう」

 それはよい考えのようにアガレスは思った。心配事はなんとしても消していかないと。決戦なんか挑むのはまだ早いぞ。そうだぞ。

「魔力の高い者は人間に混じるのは難しいわけでございますが、ごく低位の魔族であれば、化けることも可能でございます。この者たちはヒュプノでありまして、やつらの思惑を探るのに適しておるやと」

「なるほどのう。だが、あまり時間はないのではないか?」

 その巨獣が進軍してくるとすると、その結果を待っている間に会敵することになりかねないだろ。

「死にもの狂いで働かせまする」

 冷気のなか、ガーロの額に玉の汗が浮いた。ここで殺されることはないのか。では、魔法で人に化けて人間界に潜入しろということか? ここで残虐な折檻の末に時間をかけて殺されるよりはだいぶましだけど。

「もっと、大勢使ってはどうなのだ。早く調べなければならんのだろう?」

 魔王アガレスは、じつはすごく小心者であった。

 そんなやつらだけで失敗したらどうする? 時間ないんだぞ。調べてるあいだにやってきちゃうよ。もっと、深刻にやっていこうよ! しかし、あんまり言うと、小さいやつだと思われるしな。これまでも、そうとう慎重にやってきたんで、魔王さま慎重すぎとか、そういう噂も立ってるみたいだしな〰〰。こう、毅然としたまま、なんとか早く調査はさせるようにもっていかないと。

「の、呪いをかけておきまする。時縛呪ときばくじゅで」

「ひい」ガーロは滝のような汗をかいた。

 それはあれだ。期限に近づくほどひどい苦痛が襲うやつだ。死よりも苦しいといわれる奴隷呪だ。

「そのような者に頼る必要などございませぬ」

 魔軍王のひとり、リッチ・ハデスが進み出た。

 女族らしい美しい衣を揺らめかせ、その美貌を毅然ともたげていた。

「わたくしにおまかせくださいませ」

 豊満な胸をそびやかし、腰を妖艶にくねらせながら、右手を差し出す。

 その手に、黒煙がわいている。

 見る間にそれが凝集し、黒々とした球体に変ずる。それを中心として風が巻きおこり、放電の稲妻が大気に幾筋も走った。

黒呪ダーク・メイズであるか」

「いいえ、極大黒呪アルティメット・グラウンズでございます」

 おお、とどよめきがわいた。

 あらゆるものを暗黒界に呑み込む黒呪を為せるのは、かつての先代魔王のみであった。それは、いかなる剣士も、軍勢も、いかなる魔術をも吸い込んでしまう、絶対魔術であった。

「極大呪は、黒呪をさらに進化し、一国をも呑み込み、いかなるものも、神聖力であろうが暗黒界に堕としてしまうことができるものでございます」

 どよめきがさらに増した。

「調べるまでもございませぬ。このわたくしが、一瞬で消してごらんにいれまする」

「ま、まあ、よかろう」

 アガレスはちょっと迷ったが、ハデスがにじり寄ってきそうであったので、許すことにした。日頃からハデスは、忠誠をあらわすだけでなく、なにかにつけ、アガレスにシナを送ってくるので面倒なのであった。

「しかし、人間界への調査は、それはそれで行うのだ。あとへ続く召喚巨獣が出てこぬとも限らぬ」

「おお、たしかに」

「さようでございますね」

「さすがは、魔王アガレス様でございます」

 ああ、ちくしょう。

 こいつら、大丈夫かな?

 にらんだ視線のさきで、ガーロたちが死にかけていた。

 ああ、いかん、威圧しすぎた。



 わたしはそう、巨人のように進撃していた。

 敵魔軍に占領されてた町や村をいくつか押し通った。そのたび、魔族の兵は散り散りに逃げてった。

 わたしが立ち止まって、ふと見ると、焼かれた村のほとりに、子供たちが何人か立っていた。ぼろをまとい、焼け出されて、すすけて汚れていた。

 怖がるようすだったが、逃げはしなかった。わたしが敵を追い払ったのは見ていたはずだ。味方だとはわかっているんだろう。

 ガキは苦手だ。

 微妙になに考えているかわからんとこあるからキライだ。

 怖くないぞと、からだを低くして、あたまを傾げてかわいげを出したつもりだったが。ティラノザウルスみたいな感じになって、何人かがあとじさった。

 それでも足元にわらわらとやってきた。

 やめろよ、あぶないよ。

 ちょっとほっこりした。

 ああ、くそっ! コイツら、足にオシッコしてやがる!

 ちくしょう! だから言ったんだ! このクソガキが!

 ああ、ほっとくと、イヌのフンとか持ってくるんだ。ヤメロ。

 見上げると、馬を降りたランスエリスがこっちを見てた。

 傾いた陽に赤く染まった牧草の海がたゆとうのを背景に、銀色の長い髪がゆらめいていた。ああ、キレーだな。ちくしょう。ドキッとするな。

 オシッコ見てなかったのかよ。なんとかしてよ。


 ランスエリスはまた、心のなかに小さな痛みを感じていた。

 巨獣と子供たちのようすを見ていた。

 そこには、明るく笑うかわいい村娘と、子供たちが笑顔ではしゃぎあう幻視が見えていた。

 娘の呪いを解かねばならない。なんとしても。

 また祈るように思った。

 わたしがかならず救います。

 平気ですよ。

 ウンコなすりつけられたって。

「いや、平気じゃねぇわ!」


 山を越えれば魔王国だとリオラが言っていたので、わたしは山へ向かってた。

 前方には雪の載った険しい山脈が壁のように立ちはだかってて、その上で黒雲がうずを巻いてる。

 腰のあたりでなにやら、パチパチと火花のようなものが散っていたけど、痛くはなかったので、そのままにした。ハエみたいな、やぶ蚊みたいなものがいっぱい飛んできて、霧のように前をふさいでいたけど、手ではらって、息を吹きかけてやると消えてった。

 なおも進んでいくと、山と山のあいだの深い谷に差し掛かった。

 谷にはダムみたいな石を積んだ塀みたいなものがあって、道をふさいでいる。

 わたしはジャンプして跳ぼうとしたけど、それほど高く飛べなくって、膝からそれに突っ込んだけど、すごくもろくて、痛くもなくて、ちょっとよろけたけど、向こう側へ駆け抜けた。


 魔王軍の前線は大混乱におちいっていた。魔軍の指導者たちは右往左往していた。

「どうなっておるのだ!」

「ダメです! どんどん進んできます!」

 巨獣は、狂ったように進撃してくる。数多くの前線基地が蹂躙され、なすすべなく後退を余儀なくされていた。

「なんとしても足止めするのだ! 魔軍王さまたちがかならずやってくる! それまでなんとか持ちこたえねばならぬぞ!」

 巨獣のまえには、大魔力をもった魔族を数千も集結させた。魔将クラスや、大魔将クラスの者も含まれる巨大魔術軍であった。

「補助魔法を全開でつかうのだ!」

 魔力防御は数十におよび、魔術を増幅する強化魔法、混合による貫通強化、領域強化などすべてを数倍の強度で与えていた。

「撃てえ‼」

 数千の魔方陣が地を埋め尽くすように立ち現われ、地鳴りを起こしながら魔力を増大させ、そして目を焼くような閃光を天地に放ちながら、極限の破壊魔法が数千発、いっせいに放たれていた。

 巨獣の腰のあたりに着弾したそれはすさまじい爆音を轟かせ、あらゆるものを破壊しつくすエネルギーを巨獣に向けて解放した。

「全軍! 進めえ‼」

 全身に数十重の強化魔法をほどこし、最強のオリハルコンで作られた魔鎧まがいに身を固めた魔軍精鋭数千。先鋒として城攻めをした下級魔族の魔軍とはわけがちがう、魔将クラスを揃えた魔族軍、それぞれが数メートルを超すその巨体をゆるがしながら、雲霞のごとく押し寄せ、突き進む。

 空には同じく巨体を魔鎧に押し包んだ飛竜、飛行魔族数千が、空を覆いつくすように飛翔して、巨獣に襲い掛かる。

 それぞれが、数百の兵に匹敵する強さをもち、さらにひと振りで街ひとつをも破壊できる真魔武器を携えている。

 だが。

 つづけさまに放たれた巨大魔法はすべて、そのからだをゆるがしてみせただけであった。

「ああ!」

 空から襲った魔軍は、巨獣が腕を振るたびにバタバタと地に墜ち、その咆哮が放たれると、空中で爆裂して霧散した。

「げっ!」

 襲い掛かった地上軍は、空の魔族に気をとられた巨獣にはその存在すら見えていないようで、すいすいと踏みつぶされ、まるで渚で足に絡んだ寄せ波のように散らされていた。

「うひいっ」

 魔王軍は、引くしかなかった。

「ひ、引けえ! 引けえ! まずはテリオス大要塞まで戻るのじゃ!」

「ううむ、おかしい! おかしいであろう。あれほどの巨体なのだから、力が強いのはそうであろうとしてもじゃ、なぜこれほどまでに、われらの魔力防御や攻撃が通じぬのじゃ?」

 魔王国と人間の連合国とを隔てるラガストーン山脈、人間はおろか、飛行魔族すら超えられぬ峻険の隔絶で、数千年のながきにわたって世界を分かつ神の領域であった。

 これを超えるにはただひとつ、ラガストーン大峡谷をふさぐ、巨大なテリオス大要塞を抜ける以外に道はない。

 テリオス大要塞は、高さ二百数十メートル、幅数キロにおよび、数千メートルの断崖であるラガストーン渓谷を厚さ数十メートルの巨岩で埋めた、難攻不落の魔族の巨大要塞である。神代の昔に付与された結界魔法は百二十を超える多重障壁であり、数千年にわたっていかなるものもこれを超えられた歴史はない。

「ええい、しかたがない、者ども! 巨獣がくるまえにここで体制を立て直すのじゃ! もう一度、巨大魔法攻撃を・・・」

 そのとき、テリオス大要塞を影がおおった。

「あはぁ?」

 巨獣がもうやってきていた。それはなんと宙を跳んで、要塞に腰から激突した。

「げぇ」

「うへ」

 山脈をゆるがして巨大な轟音が響き渡り、テリオス要塞は半ばから爆裂して吹きと跳び、一気に崩落していった。

 要塞に引きこもろうとしていた魔軍数千が、これにより圧死した。



 ガーロとダリは、エランジルド城の門前に立っていた。

「ええと、こここ、ここで、い、いいのよね・・・」ダリが身をかがめて挙動不審に周りを見回している。

「キョドるなバカ! あ、怪しまれるぞ! 自然に、もっと自然にしろ、ダリ」そういうガーロも表情が岩のように硬かった。

 白亜の巨石で組み上げられた門壁は高く、魔国とちがった明るい陽光のもとで、白く輝いていた。門から続くエランジルドの城下町は、魔族との戦いで多くが破壊されていたが、魔族が去ったことで、多くの領民が生活を戻して往来を闊歩かっぽしはじめていた。

 ガーロとダリは、転移魔法によってエランジルドの城下町へ侵入していた。

 ふたりとも人間の国にきたことなどもちろん一度もない。明るいところに出るのですらまれなのだ。

 巨獣の謎を調べるよう指示されているが、ふたりともなにをどうしてよいやら分からず、城のまわりをうろうろとしていた。

「こ、こんな人間がいっぱいいるとこだとは思わなかったわね・・・」

 ふたりのすがたは魔軍王の変異魔術によって人間に寸分たがわぬように変えられている。服装も、街にいる旅人然とした木綿の地味なものだ。大丈夫なはずだ。ばれないだろう。もともと、漏れ出るほどの魔力は持ち合わせていない。

「ど、どどどどうずる? どうずる?」ダリは必死に背を伸ばそうとして、かえって奇妙な踊りのようになっている。

「どうするったって、おまえ、やるしかないだろ・・・やるしか」

 魔軍王じきじきに指令を出されているのだ。やらなきゃ死ぬ。死ぬどころの騒ぎじゃない。死よりも悲惨なひどい目に遭うに違いないのだ。

「だから、この城に入るのよ、やっぱりそれしかないわよ」

「で、でも・・・ばれたらどうすんの?」

「あたしたち、あの悪名高い時限呪文がかけられているのよ。もたもたしてたら想像を絶する苦痛で発狂するっていうやつなのよ。やるのよ! やれよ!」

「ふ、ふえ〰〰」

 ふたりは、エランジルドの正面を避けて、通用門にやってきた。そこには門衛が立っている。

 ダリはその門衛に近づいてゆく。彼女はまぬけだが、ヒュプノとしてはかなりの能力者なのだ。

「なんだ? おまえたち」

魅了チャーム!」ダリは、門衛に支配魔術をかけた。


 ―――三〇分後。

 ふたりはエランジルド城の大尖塔の中央、王の間に立っていた。

「ふえ〰〰」

 数十メートルの高い天蓋と、ステンドグラス、美しいモザイクタイルで飾られた巨大なホールは、魔王城とはちがってあまりに美麗であった。

「あ、どうぞ、どうぞ」

 椅子を勧めるのは、エランジルド十四世。

「お茶は、いかがかな?」

 銀のティーポットで茶を勧めるのは大司教ゾウラハウスであった。

「ええ・・・」

 ここまで十五人に魅了をかけ、すべて簡単に成功し、言いなりになった。

 それらに城内を案内させ、より位の高い者を教えさせ、そうしてトントン拍子に、王と、大司教のところまできてしまったのだ。

 ふたりの横で、王と大司教が、揉み手をしながら忠実な犬のように控えている。こいつらも、ほかの者と変わりなく、会うなり簡単に術中に落ちた。

「え、っと、人間国、チョロすぎない?」ダリがガーロを見る。

「そ、そうね・・・」

 ガーロは複雑な気持ちになった。

 ここまで簡単にうまくいっていいんだろうか? なんかの罠じゃないのか? 魔国では、人間国も魔法防御は進んでいるはずだから用心には用心をといわれてきたのだが、そうじゃなかったのか?

「この大司教っての、人間の聖魔術のトップなんじゃなかったの?」

 見たところ、ただのじじいだ。にこにこ笑っている。防御魔術らしきものは、かかっていたのはかかっていたが、子供レベルの低位魔術で、ダリの術にあっさりと屈した。魔王さまが、万全を期して魔族を鍛えに鍛え上げたのは、ちょっとやりすぎとの声があるらしいが、ええ? そういうことなのか?

「う〰ん、とにかくさぁ、指令指令」ダリはビビっていた反面、うまくいって安心したのか、積極的になっている。

「いい、まず、あの巨獣。あれは誰がどうやって召喚したのか教えなさい」

 大司教が小学生のようにサッと手を挙げた。王さまは悔しそうにしてから、しょぼんとした。

「はいっ、大司教くん!」ダリが差した。

 大司教がスクっと前に出た。

「あれは私たちが召喚したのでなくて、リオラという魔術師が召喚したものですじゃ」

「リオラ?」

「その者はいまどこに?」

「巨獣といっしょに、魔国に向かっておりますじゃ」

「そうなの? それじゃ、ここに手がかりはないの? もしかして? それはまずいわよダリ」

「ど、どうやって召喚したのか教えなさい」

「あ、それは!」王がぴょんと跳ねて、サッと手を挙げた。

「はいっ、王さま!」ダリが差した。

「それはもういい!」ガーロは突っ込んだ。

 王さまは玉座のほうへ走っていった。戻ってきた王の手には、古びた本があった。

「魔術禁書のなかでみつけたんです!」目をキラキラさせて言った。

「え、これは?」

「異界魔術です! ぐうぜん見つけたのですが、異世界から召喚する術が記されておりましたのです!」

 ガーロとダリは顔を見合わせた。

 これでいいんじゃないの? 指令?

「チョロ・・・」

「これでどんどん、ああいう巨獣を喚べるってことかしら?」

「いいえ、これを使うには膨大な魔力と、魔力制御の能力が必要でしてな。ぜんぜんあの巨獣のようなものは召喚できませんで、とりあえず魔力の強そうな男をひとり召喚して、その者が召喚したのです」

 うん?

 魔力が巨大で、魔力制御の能力が高い者というと、魔王さまでいけんじゃね? ガーロはそう思った。この禁書を持ち帰って、魔王さまが同じような巨獣を召喚すれば、まず無敵になるはずだ。

「ていうかさあ、このふたりヤル? っちゃう?」ダリがそう言った。

「ええ? なに言ってんの、まだ聞いとかなきゃならないことがいっぱいあるでしょ? あの巨獣のこととかさ」

「でも、こいつらがこの国のトップなんでしょ? っちゃえば? そしたら魔国の勝ちなんじゃね?」ダリが首をかしげて言った。

「ああ」

 たしかにそうだ。召喚とかするまでもないのか? そうなのか? チョロすぎないか?

「指令は果たしたんだから、早く帰らないとさぁ」

 あたしだって早く帰りたい。時間呪なんて怖い。ガーロは思った。

「そ、そうね・・・、殺っとくか・・・」

 ガーロとダリは、王と大司教の頭上に手をかざした。王たちはエサをもらう犬の顔で目を輝かせている。生命力を奪う魔術はハービーの得意とするものだ。

 その瞬間、ガーロとダリのからだがいきなり硬直した。

「あへ」

 つぎにすさまじい痛みが全身を襲った。

「ぎゃあ!」

 頭のなかに声がする。

 ―――巨獣が魔国に侵攻してきた! 急ぎ任務を達成せよ! 急げ!

「あひいい!」ガーロは言葉を返すことすらできない。時間呪が早められたのだ。

 ちくしょう、バカ! いまじゃないだろ! もうちょっとなのに!

「に、任務は完了したです!」ダリが叫んだ。

「あ、バカ・・・」

 眼前に転送魔術のうずが現れた。ふたりを魔国に連れ帰すためのものだ。

「ダメよ!」

 ああ、まだ殺してない! 殺さないなら、聞かなきゃならないことがいっぱい・・・。

 ガーロとダリは、転送魔術のなかに吸い込まれて消えていった。



 騎士ランスエリスの率いる騎馬隊は、テリオス大要塞に到達していた。巨獣の歩みの速さには、騎馬では到底追いつけない。

「ありました! 転移陣です!」

 テリオス要塞の最頂部には、魔国と通じる転移陣があるにちがいないと踏んでいたが、的を射ていたようだ。

「よし、これでわれわれも魔国の王城の近くまでゆけそうだ」

 魔王城までは早馬でも七日はかかる距離だ。だが、巨獣に変じたあの少女には二四時間しか猶予がない。あの歩みの速さならそれも届くと思われるが、ランスエリスたちは追いつけないのだ。

「隊長! あ、あれを! こちらにきてあれをご覧ください!」

 その声に、ランスエリスは急ぎ、要塞の最高部にあたる尖塔の周り舞台に出て、周囲を見渡した。

 眼前に迫るかのように切り立つ巨大なラガストーンの山肌が、その世界を分断していた。雲海が渓谷を埋めて、大海のうねりのように揺れていた。

 大要塞の向こう側、巨獣が向かおうとする先に、巨大な黒雲が立ち上がっていた。

 そこから広がる邪悪な波動は、ランスエリスたちの心臓を震わせるものであった。

「あれは、まさか! 黒呪なのでは!?」

 森羅万象すべてを呑み込む黒呪ダーク・メイズは、二千年前の魔王のみが使った最大魔術で、魔物も人間も、魔術も、神聖力ですらも虚無に呑み込んでしまう禁呪だ。人間たちは魔術騎士を数千人もそろえてですら、それの発動を遅らせることしかできなかった。

 それが起動すればふせぐ手段はない。

 それはおそらく、あの娘ですらも。



 魔軍王リッチ・ハデスは中空に浮かんで魔力を最大限に練り上げようとしていた。

 大地は、地震と呼ぶのも足りないほどに揺れ踊り、山が崩落し、森が沈み、地割れがすさまじい勢いで広がっていた。風は巨大な竜巻となって席捲し、木々はもとより巨岩、巨石が宙を舞っていた。

 魔王さまにもっとも近い者はわたしよ!

 強く、美しいあの魔王さまには、近づこうとする女系魔族は数多いが、どれも魔王さまに並べるような者ではない。私だけがそれに見合うものなのだ。

 そのために必死に魔力を磨いた。血のにじむような努力をした。

「いまこそ、その成果をお見せするのよ!」

 その頭上に、黒々とした球形の闇が生まれ出ていた。周囲の魔力と瘴気が、爆音を轟かせてすべて吸い込まれてゆく。

 暗黒魔術は選ばれた者にしか扱えない。森羅万象すべてを呑み込む黒呪ダーク・メイズはその最たるもので、かつては先王さましか扱える者がいなかった。それをさらに超える極大黒呪アルティメット・グラウンズは、誰もなしたことがない究極の暗黒魔術の到達点。

 それはいかなるものも逃れられない。神であろうと、悪魔であろうと、すべてを重力と存在の狭間、暗黒の虚無へと消し去るのだ。

「消え去れ!」

 その頭上から、巨大な魔力がタエに向かって放たれた。


 わたしは道をふさいでいた高い石垣を超えて、まだ進んでたけど、それに気がついて立ちどまった。

 その黒い雲には、なんかそれまでと違うって、いやな気配を感じてた。それに触れちゃいけないような、なんとなくな怖さがあった。

 足元の地面が揺れて、黒い風がまわりに吹いて、目の前が暗くなった。

 へんな地鳴りが聞こえて、なにかがやってくるのが分ったけど、よく見えなかったのよね。

 飛んできたそれが、なんだか怖くて、わたしは目をつぶっちゃった。

 それは、わたしより大きい黒い塊のようなものだった。

「いやっ」

 思わず両手でイヤイヤをして押し返した。

 それは、乗っかかったバランスボールみたいな感じでぐわんとゆがんで、ぼよんと跳ね返っていった。


「うそっ?」

 リッチ・ハデスは、驚愕にあごを外した。

 極大黒呪アルティメット・グラウンズは、巨獣の前で跳ね返り、ハデスの魔王軍を呑み込んだ。

 いかなるものも逃れられない虚無の巨大呪。

 それはそこにいたハデスと、彼女が率いる魔軍数万を呑み込んで、さらに地に幅数百メートルの巨大な溝をうがちながら飛翔した。

 それは、四〇〇キロほど大地をえぐり取りながら魔王国を縦断して飛んで、ついには魔王城にいたり、城の半ばをすっぱりとえぐり取ると、そのまま宇宙空間へと飛んでいった。

 魔軍王リッチ・ハデスは消滅した。


 騎士ランスエリスと、エリクシール姫たちは、同じく驚愕にあごを外していた。

「な、なんで・・・」

 あれは黒呪であったに違いなかった。魔軍王と思しき巨大な魔力を示した魔族や、地を埋め尽くした魔族軍の大群が、なすすべなく地面ごと呑み込まれて消えるのをみな目の当たりにしたのだ。

 黒呪はどのような存在も逃れられぬはずでは?

「ま、そうなるわな」

 ランスエリスが振り向くと、横に魔術師リオラが立っていた。

 風にくせ毛の髪がほどけて、綿毛のようにふわふわと揺れていた。

「い、いったい? あの巨獣がどれほど強いといっても、これではまるで・・・」

 神か、悪魔か。

 リオラは、どうということはない、という顔でにっこり笑った。

「強いんじゃないんだよ〰〰。だけなのさぁ」

「効かない?」

「ぼくたちのもとの世界には、魔術も魔法もないって話したよね。つまりさ、その世界からきたぼくたちには、この君たちの世界の仕組みは通じないのさ。暗黒魔術だろうと何だろうとね〰〰。だけど、両方の世界に同じものもあるんだよね。それはぼくたちにも、きみたちにも有効だ。たとえばそれは、とかさ。だからね、彼女を倒すには、彼女を超える暴力じゃなきゃ。つまり、この世界じゃ誰も彼女を倒せないんだ〰〰。そういうわけさ〰〰」

 ランスエリスにはその理屈はよく理解できない。だが、それが事実なら、あの娘は魔王軍をことごとく駆逐し、魔王を倒すこともできるのかもしれない。

 同時にランスエリスには、あの巨獣の娘や、リオラの存在が、この世界の根本的ななにかをゆがめてしまう、そんな危ういものに感じられた。

 魔術師リオラは、微笑みながらクルクルと回った。だが、ランスエリスにはなにか、その表情が悲しそうに見えた。




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