第1話 タエ 対 グラノドン

 炎の熱を帯びた風が、彼の銀色の髪を焦がした。

 黒煙にかすむ空に、にぶく輝く太陽を、頭上をゆく翼竜ワイバーンの影がなんども覆い隠す。すでに、上空の防御障壁は、第五列まで突破されている。

 戦闘騎士ランスエリスは、汗と土にまみれた顔を上げた。

 キング・ミノタウロスの頭蓋骨を、その角もろとも一刀に両断した彼の手は、その衝撃で震えていた。だが、癒しているひまはない。眼前にはまだ五頭以上のミノタウロスと、ベヒーモス数頭が押し寄せてきていた。

 打ち当たる甲冑の音、剣戟の軋む音、空をおおう魔獣の咆哮ほうこう、火炎魔術に燃え落ちる城門と、つつむ黒煙。すべてが混沌のなかにあった。

ヘルムはすでに失っていた。ブレスプレートも割れていた。周囲にいる騎士たちも同じように満身創痍。

「前進んん‼」

 髪をかき上げ、騎士たちとともに雄たけびを上げ、敵魔族の群れに突進した。魔族の角や爪、戦闘騎士の甲冑が激突するすさまじい打撃音が轟きわたり、怒号と、咆哮の入り混じった歓声に包まれながら、ランスエリスは剣を振り上げた。

 一六〇センチを超える聖剣アストロは、並みの剣士にはただ振ることも困難な神聖武具。火炎と砂ぼこりの戦場に、閃光の筋を描いてアストロの剣先けんせんが舞う。

 濁流が巨岩を押し流すに似て、戦闘騎士団甲冑の金色の流れが、黒々とした魔族の軍勢を押し戻すようすが見えた。

「第二魔術大隊! まえへ! 翼竜とガーゴイルをこれ以上侵入させるな!」走りながら大声で指示を出す。

 だが、すべてはもう遅いに違いない。

「第四、第五陸戦大隊壊滅! 第一魔術大隊は半数を失ったもよう!」

「ガイルド門馬廻うままわしから、ゴーレム多数! およそ二〇〇!」

 城の東側門の魔法障壁はすでになく、魔族の放つ爆炎術式による爆音が、絶え間なく轟いてきていた。


 エランジルド王国は壊滅の危機に瀕していた。二千年にわたって守り続けてきた魔国との国境防壁砦が突破され、魔軍が攻め寄せてきていた。

 エランジルドは、人間世界と魔族国との境界に位置し、その最端を守護する防御のかなめ。エランジルドは、数ある王国のなかで随一の戦闘騎士団、魔術師団を擁し、なんども魔族の侵入を阻んできた。

 二千年まえ、伝説となった魔族と人間との戦い。

 このとき、大陸の王国軍は連合軍を結成し、魔族をいちどは打ち破った。敗れた魔王は魔国に退いて自ら国を封じた。その後、なんどか国境を侵してきたが、最初の戦いの戦力にはとおく及ばない軍勢で、その都度、国境を守護するエランジルド王国に壊滅させられてきた。その間、討伐された魔族の数は数万におよんでいた。

 魔王はしかし、狡猾であった。

 二千年のあいだ、あまりにも弱体化した魔族との戦闘を繰り返すうちに、人間界は弛緩していった。大陸の王国連合のなかで、エランジルドだけが大軍勢の騎士団を保持し続けることに、他の国々が脅威を感じはじめ、それをとがめたて、しわじわとその戦力は削られていった。

 その裏で、魔族は以前に倍する戦力を養っていた。数万もの同胞のいのちをやすやすと捨て去って弱体を装おうなど、およそ人間に想像できぬことであった。

 そして、満を持して進軍を始めた魔軍の力は圧倒的であった。

 国境の砦を押し破り、エランジルドの王都までの七つの支城を、わずか数日で陥落させていた。それに至る十二の町や村からは難を逃れようと多くの民が王都に身を寄せ、王都のなかは難民であふれかえっていた。

「西門に大規模な魔軍襲来‼」

 騎士ランスエリスは、戦列を離れ、物見ものみの塔へ走った。いま大群の敵に城内への侵入を許せば、落城は目前となろう。

 狭間ツインネ回廊城壁のうえを騎馬で走破し、門塔の警護に声を送って開門させながら、馬足を落とすことなく城壁塔のもとまで駆けた。

 馬を捨てると同時に塔へ走り込む。もろい古い木組みの足場を、気にとめもせず駆けあがる。

 物見のたかみから、海風が煙を払うその先を見る。

 エランジルドの王都は美しい港町であった。白亜の壁と素瓦すがわらの赤い色が鮮やかで、ハインデルク大陸の真珠と称される。その街はいま、見るかげもなく蹂躙され、炎と黒煙に包まれている。

 かなりの領民は船で退避させたが、残された多くの領民は裏の外城壁内にみな避難している。城を失えば、その後ろは海で、もう逃がれられる場所はないのだ。

 眼下には王都の街、西門外周城壁のさきに広がる草地といわず、森といわず、黒々とした魔軍の群れが濁流のように侵してくるのが見えていた。おそらくは敵の本隊だ。

 その中心に、数匹のオーク・ロードに担がせた輿こしに乗った魔族の姿が見えた。

 その魔族は、まわりの魔族とは違い、きらびやかな衣装を身にまとっていた。絹のような黒い衣に、宝石と思しき、輝くような飾りがびっしりと施されたもので、輿が揺れるたび、妖しい光を放っていた。

 魔将グラノドン。禍々しい妖気が、物見からからでも感じられる。

 騎士ランスエリスはその美しい眉根を寄せ、苦悶の表情で唇を噛んだ。

 魔将はその単騎だけで、エランジルドの主戦力と同等の力をもつと報告されている。ここまでの戦いだけで、すでにエランジルドの戦力はほぼ壊滅に近い。

 北門がわから騎馬の土煙が上がるのが見えた。陽光を反射してきらめくのは、戦闘騎士団一隊の鎧。北門を守護していたのは、騎士団長ガドガンのはず。その巨躯きょく白髭はくびんが、軍団の先頭の馬上に揺れる。

 騎士団長ガドガンは、王国ではその無双の強さから英雄の再来と称えられる男。騎士団副長であるランスエリスですら、ガドガンには及ばない。

 銀色の騎馬隊が黒い海に突進し、呑み込まれてゆく。

 決死行だと知れた。

 歴戦の騎士たちがその数をみるみる削りながら、それでも槍の穂先のように敵陣を割いてゆく。英雄ガドガンが、魔将グラノドンのもとへ達する、そのために。

 ガドガンのもつ巨大な戦斧せんぷ聖斧せいふスレイが打ち振られると、爆発するように吹き飛ぶ魔族の戦列。その激突音がここまでも届く。

 あと少し。

 そして、英雄ガドガンは宙を飛んだ。その巨体から想像のおよばない、すさまじい身体能力のなせる技であった。

 光線が聖斧スレイから放たれる。聖武具だけが起こし得る奇蹟エンチャント、その神偉しんい力を収斂しゅうれんした一撃は大地を揺るがし、山をも打ち割るとされる。霊圧が爆風となって周囲を席捲し、囲む魔族たちが、その威圧に将棋倒しに崩れるさまが見える。

 そのとき、魔将グラノドンが輿のうえに立ち上がる。

 中空で踊らせるように返した手には赤黒い光を宿した魔剣。

 ガドガンの、ほとばしる聖偉力と、全身の膂力を載せた一撃が、その魔剣と打ち合った瞬間、巨大な神偉しんい魔偉まいの激突による衝撃が、瞬間にその大地に巨大な窪地を穿ち、すさまじい地鳴りを天地に轟きわたらせた。

 ランスエリスは、信じられない光景を目にした。

 鎧袖一触がいしゅういっしょく

 ガドガンの体はその斧もろとも、無残に両断されていた。

 グラノドンは、残骸となった輿のあった場所に、なにごともなかったかのように立っていた。

 城内からは多くの悲鳴があがる。

 ランスエリスが振り返る先の王城の大尖塔には、エランジルド十四世王の姿があった。そのそばにはエリクシール姫の姿も。

 風を受けてローブを揺らせながら、王は毅然と立っていたが、その険しい表情は、もはやの決意を秘めたものであった。



 魔将グラノドンは高笑いをやめられなかった。

 ははっ、楽勝だな!

 人間軍、弱すぎる!

 グラノドンは魔族でも高位のノスフェラトゥの血を引くもの。女性とも見まごう美貌と、高い魔性を誇り、すべての者を魅了する魔力を周囲に充満させている。

「なんとも、もろい! この城でもっとも強いといわれた男ですらこんなものか!」

「グラノドンさまがお強すぎるのです!」

 つき従っている二人の従者、ガーロと、ダリが口をそろえて言う。ふたりのハービーの顔は美しい女性のものだが、首から下はなかば猛禽のすがたである。

 グラノドンは、残酷な男であった。

 ああ〰〰、楽しいぜ〰〰。強い者を苦痛と屈辱にまみれさせて殺すのは最高だ〰〰。

 これまでの町や村で、人間たちを捉え、男たちの目前で女子供を殺し、絶望を味あわせたうえ、さらに残虐に拷問するなど、非道無残を繰り返し、愉しんでいた。

「ただの殺戮など比べ物にならならぬ」

 ルビーのような赤い瞳を輝かせ、喜悦に浸っていた。

「ああ、なんとお美しい!」ガーロが、客を呼ぶ娼婦のように腰をくねらせる。

 グラノドンは抑えていた感情を解きはなつ。

「これほどまでに人間族が弱いとは、いや、わたしたちが強すぎるのだ。魔王さまのながい時間をかけた計画のたまものであろう」

「さようでございますとも!」

「人間とはいかに愚かであるか! かつて二千年前、エランジルドに二万もの戦闘騎士と、三万もの魔術師団を集結させ、魔王様の魔力をも封じたとされる戦力は十分の一もあるまい。大陸の各国にそれぞれに小軍を養うなど、戦術的には各個撃破してくれと言っているようなものではないか!」

「グラノドンさま、これならば、この国のみならず、あと一国や二国をも攻め落とせましょうぞ」

 うーむ、ダリの言葉も無視できんなあ。この国を落とすのはたやすそうだなあ。

 しかしなあ、我の軍は先兵だからなあ。まず、要衝であるエランジルド城をわれが落として、その機をもって、後ろに控える軍勢が各国の城を攻める戦略なんだしなあ。

「不用意なことを口にするでない。これも魔王様のお導きあってのこと」

「この勢いをもって、その先までも攻め滅ぼせば、その軍功をもって、グラノドンさまは晴れて魔将のそのさき、大魔将に」ガーロの目が潤んでいる。ダリがそれに倣う。

 ヒュプノでもあるガーロとダリは、相手の考えを読むことのできる魔人であり、その話術は聞くものを惑わす。

 コイツラに乗せられてやるものもアリかなあ。

 我らの魔力をここまでにした魔王さまの鬼謀はすばらしい。けど、魔王さまは慎重すぎるんじゃないか? これほどまでの戦力差をお考えではなかったんじゃないか?

 大魔将だけじゃなんだぞ、我はやがては魔王さま直属の魔軍王に列せられる日も遠くないんだぞ。このからだにみなぎる魔力はそれに見合うものだぞ。

 やるか!

 グラノドンは、ふたたび宙にのぼって、全軍にむけて声を発した。

「進軍せよ!」

 ひるがえったローブが輝きを撒き散らす。

 グラノドンは力強く腕を振り出した。

 やってやるぜ!

 その瞬間であった。


 プチッッ


 魔将グラノドンは、踏まれた。

『あ、なんか踏んだ・・・』


 目をみひらいたまま、騎士ランスエリスはそのすがたを見た。

 それは身長三五〇メートルを超す巨獣であった。

 虚空に突如現れたそれは、魔軍の大半を押しつぶしてその地に落ちてきた。

 すさまじい地揺れが周囲を襲った。城下の数多くの建物が一斉に崩落し、地割れが地を真っ二つにして口を開けた。遅れて、世の終わりかと思えるような轟音が爆風の衝撃波をともなって襲い掛かり、ランスエリスのいる塔を釣り竿のようにしならせた。

 黒々とした巨岩の集積のようなからだ、山のような巨大な脚と長い尾、のこぎりのような尾びれは、これも巨大で、ひとつひとつが家のように大きい。このような魔獣も、動物も見たことはない。それどころか、いかなる書物にもそのような知見はないだろう。

 巨獣はかがんだ状態から身を起こすと。ワニのような牙を並べた口から、すさまじい咆哮を放った。

 それは鳴き声と呼ぶべきものでなかった。周囲すべてが地震のように揺れ、なお、発した先にあった岩山が爆砕するようすも見えた。その周囲にいた千を超える魔族が爆ぜるように絶命するさまを、ランスエリスは呆然と見ていた。


 ああああああああ! なんなの! なに!? ええええええ! なにがどうなったの!? なによ! なに? この巨大な足はなんなのよ!

 ガーロは我を忘れていた。

「どうなってんのよ〰〰‼ なんなのよ〰〰‼」

 ええ? どうなったの! グラノドンさまこれに踏まれたの? ええええ!

 ガーロのその横でダリは狂っていた。

「あああああああっ‼ あっ、足がっ、でかい足が・・・、グラノドンさま、踏まれ・・・、おほおおおおおおお‼ 踏まれちゃったああああ!」

 ガーロはダリよりまだ冷静であった。

 まずい! ヤバい! たいへんなことになった! まわりは大混乱に陥ってる。魔族軍の多くが押しつぶされ、そのほかの者も逃げ惑ってる。敵の攻撃か? そうなのか? そうだったら、わたしたちもヤバい!

「うひゃあああ!! 踏まれた! 踏まれた! ああああああ! グラノドンさま、ありゃああああ!」

「ダリ、落ち着け〰〰‼」

「おひょおおおお!」ダリは狂っている。

 ガーロは必死に考えた。これは人間のなせるものじゃない。信じられないほど巨大だけど、このようすは魔獣かなにか。

「ダリ! 心を読むわよ! 獣であろうとヒュプノであるあたしたちなら!」

「え?」ダリは目が泳いでいる。

 ダリの正気を待っている余裕はなかった。ガーロはすぐさま集中した。その魔力を巨獣に向ける。その心のなかに向かって。


『―――あ、いやだ。なんか踏んだ〰〰〰。なんかぐちゃっとした。ウンコみたいだった。やだな、どうしよう〰〰〰、ウンコだったら』


「ウンコ‼」

 ダリがいきなり叫んだ。

「グラノドンさまが、ウンコ‼」叫んでいた。

「や、やめろ! ダリ!」

「グラノドンさまウンコぉ‼」

「だから、よせ!」

「グラノドンさまウンコぉぉ‼」

「よ、よせ! それじゃグラノドンさまがウンコしたみたいに聞こえてるぞ! 叫ぶなぁ!」

 魔将グラノドンは圧死した。



 強くなりたい。

 そうですよ、わたしは強くなりたいと願ったよ。

「どうなってんの? どうなったの? え? え? なに?」 

 視界に入った森や、街がやたら小さい。

 からだのようすがおかしい。

 自分のすがたは見えない。下を見ようとしたが、首が固くて下を向けない。

 尻をついたままだったので、立ち上がって周りを見ようとした。

「うわっ! なに? 虫? いや!」

 そのときわたしに見えていたのは、森のほうへ逃げてゆく魔族軍たちだったのだ。

 わたしは悲鳴をあげる感じで声を出した、その声に自分でびっくりした。

 声が変、どころでなかったのだ。

 そのときだ。彼に気づいたのは。

「いいねぇ! 完璧だよ〰〰」

 彼は、そこから少しはなれた牧草地の、羊囲いの石積みの上に立ってた。

 革ひもで縫われたスエード皮の服は、中世ヨーロッパの町民みたいな感じだったが、藍染めっぽい紺色のマントを羽織った姿はなにか、魔法使いみたいだった。

「わかった〰〰? そうだよ〰〰! ぼくだ。ぼくが君を呼んだんだ〰〰!」

 衣装と違って、中身は日本人。そして、わたしは彼の顔を知ってた。

「あ、あなた? あなたはなんでここに?」

 わたしの声は言葉になってない。どういうわけか言葉は出せない。

「だめだよ、きみ〰〰、きみは霊圧がすごいんだから。心の声がだだ漏れだ。魔族のなかには聞こえるやつもいるんだ。気をつけたほうがいいよ〰〰!」

「わたし・・・、わたし、どうなってるの・・・? なんであなたは小さいの?」

 彼はたからかに笑った。

「きみが大きいんだよ。ああ、そうか、わからない? 自分じゃ見えないのか〰〰」

「わたし・・・?」

 わたしは混乱してた。悪役令嬢でないことだけは確かだった。

「きみは、ゴジ〇に転生したんだよ〰〰! ウェーイ! やったねー! 最強! サイキョー! サイコー!」

 そのときになってやっと、わたしは自分がサイアクなことになっていることに気づき始めた。

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