第四章・後編

 様々な色が混ざって灰色になった長方形の塊。鉄骨で作られた巨大なラックに収められているそれらは圧縮データのゴミだ。碁盤目状の白い床には細かいキューブが落ちている。これは何かのキャッシュデータだ。

 そんなデータを管理しているのは二本角のAIたちだ。どれも白く長い髪をしており、灰色の作業服を着ている。こぼれたデータをトングで拾い集めるAIがいたり、巨大圧縮データを運ぶAIたちをホイッスルで誘導するAIがいたりなど様々だ。


だが、僕たち以外に人間はいない。


「どう?」

「どうと言われても」


 僕は働いているAIたちを見た。

 どれも決められた作業を、決められたようにこなしているように見えた。

 黒い天使AIは表情に乏しさを極限にした感じだったが、こちらのAIたちは表情機能がそもそもない。顔が一定に固定されている。真の意味での無表情だ。


 手掛かりになりそうな情報は何も見えてこない。


「何もわからないけど」

「そうだね」

「ここ……、よく人来るの?」

「提出物のシーズンが終わると来る人が多いよ」

「姉さんが来たのは?」

「シーズン外だよ」


 ぴっ、ぴっ、ぴっ、とホイッスルの音と、規則正しくそろったAIの足音が大きく聞こえた。

 僕は不快になって片耳を塞いだ。

 仕方なしに男と距離を詰める。男も同様だったようで、ちょうど肘にぶつかった。


「じゃあ、どうしてここに来たの?」

「わからないけど……。そうだね。最近、AIにはまっているみたいだったから、何かを探しに来たのかもしれないね」

「AI?」

「そう」


 男の声が近くなった。

 僕にしっかりと声を届けるために屈んだらしい。


「特にAIの都市伝説に興味を持っていたね」

「どんな都市伝説?」

「人を殺す通り魔AI」


 第一条が頭をよぎる。


「ありえないんじゃないの?」

「だから、調べていたんじゃないかな。まあ、作れなくはないよ。個人製作だったら、可能性はあるよ。監視の目をかいくぐれればの話だけれど」


 監視の目とは電脳世界を守るセキュリティ全般の話だろう。

 政府が作ったもの、企業が作ったもの、個人が作ったもの。様々なセキュリティプログラムが干渉しあっている。

 だから、この世界は犯罪が少ない。

 平和なディストピアだ。


「無理でしょう」

「無理だね。是高これだかとかそれをどうにかしようとして、失敗していたよ。警察沙汰になったね。ああ、是高って、この前、大声で話していた男ね」

「へえ」

「まあ、AIの話はいいよ。また後で検証しよう。それよりも現場検証だ」


 僕は男に案内されてトラッシュボックスの中を散策した。


 黄色いファイルの塊。紙クズのように見えるドキュメントデータの塊。独りでに音が鳴っている音声データらしい黒い塊。カラフルなモザイクが蠢いている動画データらしい塊。


多種多様なデータが区分別に収められているのが見えた。倉庫のようだった。


「目ぼしいものはなかったよね?」


 ゴミ倉庫の一番奥まで進むと、男は僕に問いかける。

 僕は素直に頷いた。


 突き当りの床には大きな穴が開いていた。

 最終的にゴミを捨てる穴か何かだろう。


「この穴の下、そうなっているか知っている?」

「知らない」

「パソコンのゴミ箱を思い浮かべると良いよ。しばらく、データが残っているでしょう。それと同じだよ」


 穴の底は見えない。

 僕のスペックでは描画できないほど深いのか、それとも元々ビジュアルが設定されていないのだろうか。

 いずれにしてもあまり近づきたくはない穴だ。


「ところで、聞きたいことがあるんだけど」

「何?」

「君は彼女を殺した犯人のことをどう思う?」


 男は穴を呆然と見つめていた。

 質問の意図が取れなかった。


「どうって?」

「君は犯人がどんな存在だと思う?」


 男は穴に話しかけているようだった。


「えっと……」


 僕はこの男を疑っていたことがある。

 しかし、今はよくわからない。

 犯人がここまで協力するのだろうか。否、全部が嘘の可能性もある。


「すごくヤバいやつだと思う。だって、姉さんを殺したんだし」


 だが、姉を殺すほどの格はこの男にはないように思える。


「正直に言って、信じられないよ。あの姉さんを殺すことが。死ぬことはないと思っていたもん。それくらい、姉さんは特別な存在だよ」


 姉を殺すことができるのは神くらいだと思う。


「わかるよ。彼女は死なないよね」


 それを肯定できるこの男は容疑者のステージには立てない。

 だからこそ、僕はこの男を掴みかねているのだ。


「俺の推理を聞いてくれるかな?」


 男が僕の顔を見る。

 僕はその表情からいかなる感情も読みとることができなかった。

 瞳は凪いでいて、口角は水平を保っていた。


「まず、注目すべきなのは彼女の最期の行動ログ。これを信用するのであれば彼女が死んだときには、彼女以外、人間がいなかったということになる。だったら、彼女を殺したのは人間じゃない」


 落ち着いた声だった。それと同時に、恐ろしさも感じた。

 真相をナイフで捌いて探っていくような冷たさがあったのだ。


「次に、注目すべきなのは彼女がバックアップを使用しなかったということ。つまり、蘇りを拒否した、生きるつもりがなかった、死のうと思った、ということが推察できる」

「そんなことは」

「彼女が考えていることを、君は理解したことがあるのかい?」


 僕は口を閉じるしかなった。


「まあ、僕が言いたいのは……。彼女は自殺だったんじゃないかということだよ。手段はわからないよ。事故かもしれないし、自壊プログラムを自前してきたかもしれない。でも、ここでは手段はどうでもいいんだよ。大事なのは動機だよ。バックアップを使わなかったと考えた動機」


 空気が張り詰める。吸われることを拒否している。僕は息苦しかった。


「そこで考えてほしいんだ。彼女が死んで、一番、変わったことは何?」


 小石がぶつけられたような感触がした。


「質問を変えようか。彼女が死んで、一番、変わった人は誰?」


 胸に釘が打ち付けられたような感触がした。


「気づいたようだね。そうだよ。君だよ」


 男は目を見開いて、両手で僕の頭を掴んだ。



 男の爪が僕の首裏に刺さる。

 抵抗しようと腕を動かしたが、腹に膝蹴りされてどうにもならなかった。


「大丈夫、命は取らないよ」

「けふっ。な、何が目的?」

「ただ、弟の存在が許容できないから、消えてもらおうかなって」

「死ねってことじゃん」

「頭悪いなあ」


 怒気を孕んだ声だった。イケメンクソ野郎の顔が歪む。


「弟だった事実を消すから、お前は死なねえよ。俺がするのはただのデータ整理。掃除だ」


 僕の顔を睨んでいたが、少しすると笑顔になった。

 無理矢理口角をあげた作り笑顔だ。


「だから、大人しくし落ちてよ」


 僕は乱暴に穴に投げ込まれた。


「安心して。人間のデータは消えないよ。一か月は上がれないけどね」


 落ちている感覚はなかったが、イケメンクソ野郎の姿が小さくなっていった。

 手を伸ばすが、届かない。


 どうして僕が投げられなければならないのか。僕があの男に何をしたというのか。怒りが沸々とわいてきた。すぐに殴ってやりたい。着地したら壁をよじ登ろう。どんな手段を使ってでも、何があっても、舞い戻ってやろう。絶対に一か月待つようなことはしない。


 背中が床についた。その感触を得た頃には穴は見えなくなっていた。


 僕は起き上がって、上に戻る手段を探そうとした。


 しかし、目の前には白い女性型のマネキンの山が大量に転がっていた。


 マネキンたちはぎこちなく腕を回し始める。すると、綺麗な羽根が生えてきた。純白、黄金、紅色、翡翠――。宝石のような彩りだった。頭にも変化が現れる。髪の毛が生え、瞳に色が入る。目元にはアイシャドウ、頬にはチーク、唇には口紅が浮き上がり、化粧が完成されていく。


「あら、あら、あら。いらっしゃい」


 甘ったるい声が反響する。

 ハーピィ系のAIだろう。AIたちが柔らかな羽根腕を僕に一斉に伸ばしてくる。


 僕は口を抑えて、うずくまった。


 気持ち悪い。本当に気持ち悪い。しかし、吐けない。こんなところにいる場合ではないのに。


 僕は立ち上がろうとしたが、足が震えてできなかった。


 ――もうおしまいだ。


 敗北を悟った僕はゆっくりと目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る