第四章・前編
「酔い止めすご……」
デスクトップの青い世界に立った僕は感動した。
どうやら、天才は真実だったらしい。
肉体がある時と同じような感覚で、電脳世界に存在できたのはこれが初めてだ。
否、むしろ、こっちの世界の方が調子がいいかもしれない。
そんな錯覚がある。おそらくは薬の成分で神経がいくらか落ち着いているせいだろう。解像度の高さで気持ち悪くならない。
黒い天使のAIは床で寝そべって欠伸をしていた。
私の仕事はありませんよね? と、主張するかのようにこちらを細い目で見ている。
僕は、いつも仕事してないだろうが、と睨みつけた。
AIは身体を起こして胡坐をかく。
左手を器に見立て、ごはんを食べるジェスチャーをした。
食べましたよね? と紅い左目を大きく開く。
確かに、あれは仕事だ。
元気にここに来れていることを考えると、良い仕事ぶりだったのだろう。
しかし、僕の真の目的は健康に生きることではない。
姉を殺した犯人を捕まえることだ。
僕はAIを見つめて、念を送った。
しかし、それは通じなかったようで、AIは僕から背を向けて寝ころんだ。
「もう」
僕は文句を言ってやろうと、一歩踏み出した。
しかし、その瞬間に、白いメッセージウインドウが表れる。
『Visitorが来ました。入室を求めています。許可をしますか?』
誰だろうか。こんな時に。
僕はセキュリティを高めに設定している。
人との接触が苦手だから、その可能性を減らそうとしたのだ。
だから、ここへのリンクを持っているのは姉くらいなもの、そのはずだ。
ウインドウの設定的に、Visitorと表記されているから人間だ。
AIであれば、そのように表記される。
また、ウインドウの色が白ということは女ではない。
一応、区別するように設定してある。
白は女と姉以外だから、男がやって来たのだろう。
僕に知り合いの男などいない。本当に、何だろうか。
取りあえず、許可を出す。
来訪者の像が徐々に浮かび上がって来た。
――滑らかな黒髪、僕より二十センチは高い身長、透明のサングラス、水色の透けたシャツと白いTシャツというようなおしゃれぶった合わせ、意味のない腕時計型デバイス。
大学にいたクソ男だ。
「こんにちは」
男はにこやかに笑みを作った。
「自己紹介がまだだったね」
「お、お前の名前なんか聞きたくないが」
「え。嫌われるようなことしたかな」
眉を下げる男の顔が心底むかついた。
「自分の胸に問うんだな」
僕は床に唾を吐いた。
「ああ、もしかして。俺が彼氏だと思ってる?」
その発言に僕はドキリとした。
「図星か。いや、それはないから、安心してよ」
「でも、あの、なんか、女が」
意表を突かれたことが許せなくて、反論しようとした。
「友達の
「……本当か?」
「本当だよ。だって考えてごらん」
男は諭すようにこう言った。
「彼女は誰かのものにあるような存在だったかな?」
確かに、正論だ。しかし、それを口に出すのは負けを認めた気がする。
「沈黙は肯定と受け取るよ」
穏やかな声に対抗して、僕は責めるように質問を投げかける。
「じゃあ、お前、何? 誰?」
「俺は
「
「よろしくね」
男は手を差し出したが、僕は首を横に振った。
「で、何の用。どうやってここを突き止めたの。個人パソコンなんだけど」
「アドレス自体は彼女の行動ログから突き止めたよ」
個人の行動ログは基本的に許可がないと見られないものだ。例外的に見る手段があるとしたら、警察か、それとも違法な手段だろう。
僕は男から距離を取った。
「警戒しないで。俺もどうして彼女が死んだか気になるからね。どうやら、誰も興味がないみたいだけど」
「確かにそうだけど」
「彼女の消え方はあまりにも不自然な点が多すぎる。本来であれば、ネット警察が動いて良さそうな案件だけれど、どうやら自殺として処理されてしまったみたいでね」
「え、なんで?」
それは初めて聞く話だった。それから、思い浮かばない想定だった。あの姉が自殺するとは思えない。そんなネガティブな人間ではない。
「周りに誰もいなかったことと、それから……」
「それから?」
「彼女は消滅を拒否できる手段を持っていたのにも関わらず、それを使わなかったこと。これが大きいかな」
消滅の拒否。どういうことだろうか。
「なにそれ?」
「バックアップだよ。知らない?」
バックアップは知っている。
人間用のデータでも作れることは知っている。かなり審査と費用が厳しいと聞いたことがあるから、その可能性は頭から除外していた。
「俺らは君と違ってデータが主体だからね。死んでもバックアップで蘇れる。本来はコストが高いけれど、大学生だからお得なプランや制度が適応できる場合があるんだ」
「姉さんって、バックアップを用意していたの?」
「していたらしい。けど、死ぬ間際に消去されている」
聞いたことがない話だ。
姉のことなら、少なくとも他人より詳しい自信があるはずなのに。
「それ本当? どうしてそんなことを知っているんだ?」
「調べたからだよ」
「どうやって?」
男は腕時計を二、三回ほど回した。
「そうだね、手段は開示した方が誠実だよね」
そして、親指と人差し指を曲げて、僕に見せる。
「今回、使った情報ソースは三つ」
男は小指だけを立てた。
「一つ目は警察。当然だよね。殺人事件らしきものが起こったんだから、この組織が動いていないはずがない」
怪しい点があったら、論破してやろうという気概で男の言葉を傾聴する。
「けれど、あまり真面目にバックアップの件があったからね。捜査していなかったらしくてね。関係者、まあ、僕とか大学の知り合いとの事情聴取と、軽い行動ログの確認しかしていなかったよ。ちなみに、この情報は僕が事情聴収されたときに警察から聞いたものさ。さすがに、録音データまでは取っていないけれど、相手が相手だから、そこはご容赦願いたい」
事情聴取の録音データを出せと言おうとしたが、先手を取られてしまった。
男は二本目、薬指を立てる。
「二つ目は彼女自身の行動ログ。どうして、僕が最上級のプライベートデータを見ることができたかというと、答えは簡単」
僕の目の前に小さなウインドウが現れる。
そこには個人情報の扱いについての契約に関して、事細かに書かれていた。
「この電子契約書を見てほしい。彼女には試作AIを試してもらったんだよね。それ関連で、ログの閲覧許可をもらっていたんだ」
専門的な内容はわからないが、僕は全てに目を通す。
契約書には確かに、姉の署名と、この男の名前が書かれていた。
「ちなみに、試作AIはこちら。君も見たことがあるだろう?」
男の指の上に、銀髪の妖精が現れた。大学で見たあのAIだ。
「フェアリー系は愛玩目的が多いけれど、僕が作ったこのAI――、M-seekerは違くてね。お掃除・片付けAIだよ。彼女にはいくつかお願いをしていたけれど……。まあ、行動ログの閲覧許可を得たのは、探知機能の精度を確かめたくてね。お片付け機能の一環で探知機能をつけた方がデータ整理に役立つんじゃないか、と」
妖精AIは逃げるようにして、男の肩に飛び移った。男は困ったように笑う。
「だから、そんなに怖い顔はしてほしくないかな」
「あ、そう……。それで、ログからわかったことは何?」
「周りに人間がいなかったことかな。一応、探知データの判別ができるんだけど」
銀縁のウインドウを男は出す。
そこには緑色の2Dマップが表示されていた。
マップには建物や道と思しき枠線があり、他には赤やオレンジの丸印が点滅していた。
「赤が人。オレンジがAI。緑色の枠線はオブジェクトを上から見た様子。タッチをすれば詳細を見れるようになっているんだけど」
男が操作して、僕に見せる。その数字は死の直前の姉の電脳体のデータであった。見たことがある。
しかし、僕が見たことがデータも存在していた。接触ログだ。
「死亡時刻に人とは接触してない。AIくらいだね。ここに常駐しているのは、余分なデータを削除する、クリーナー系のAI。でも、AIは他害できない」
「第一条」
「そう。『AIは他害してはならない』。AI三原則があるから有り得ない。製造時に、AIが一番最初にプログラミングされる事柄だよ」
AIは人間に作られた被造物だ。
便利に使うための道具だ。
人間が不利になるような設定は、基本的にはされないし、法律できにも出来ないようになっている。基本的には。
「最後、三つ目は現地調査。トラッシュボックスの調査だね。この場所でバグは起きていなかった。そんな痕跡はなかったよ。でも」
「でも?」
「他のデータはともかく、俺の視点での観測だから、見落としがある可能性は高い。そこで、君に頼み事がある」
男はまっすぐにこちらを見つめる。
「他人の視点が必要なんだ。協力してくれないかい?」
「どうして僕に?」
断りたい気持ちは大きいが、僕一人では姉を殺した犯人にはたどり着けないだろう。取りあえず、理由だけ聞いておくことにした。
「理由は二つある」
男は小指と薬指を立てて、手首を揺らした。
「一つ目は、君が一番、電脳世界から遠い存在だからだ。電脳酔いが酷いんだろう? 今は、薬は何かで安定を図っているんだとは思うんだけど……。そんな人間に電脳世界での殺人の実行は無理だ。それに、警察が関係者から外した時点で、そんなに深くこちらにアクセスはしていないみたいだしね。閲覧くらいしかしていないんじゃない?」
「まあ、そうだけど」
「だから、君を選んだ。あと、君、シスコンでしょう」
親指を添えるようにして拳を握ると目潰しができると聞いたことがある。
僕は拳を握りしめた。
「やっぱり? じゃあ、猶更だね」
「シスコンが二つ目?」
「うん」
男はいたずらっ子のように軽く答えた。
僕は拳を三ミリだけ上に挙げた。
「まあ、そんな顔しないでよ。貶しているわけじゃないんだからさ。それで、答えは?」
「行く」
この男への信頼性は低い。もしかしたら、犯人かもしれないが、情報が必要だ。
僕は一度拳を収めた。
「はやいね。じゃあ、ショートカットでこれから飛ぼうと思うんだけど、準備はある?」
「ない」
「そう。連れていくAIとかは?」
僕は寝ころんだAIを一瞥する。
「一人で行く」
どうせ命令をきかないのだ。連れて行かなくていい。
「おっけ」
男は広げたウインドウを閉じる。丁寧に一つずつ「×」を押していた。その丁寧さが気持ち悪い。男は手の上にショートカットキーを取り出す。
「じゃあ行くよ?」
僕らはトラッシュボックスへと跳んだ。
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