第二章・中編

 パズルで組み上がった白い壁は、時折、虹色の光が走っている。壁は四階建てのビルくらいの高さがあり、五十メートルプールが八つ囲えるような幅がある。しかし、実際に解凍したら、いかなる自然の山より高く、海よりも深いデータが放流されるのだろう。それくらい強固なファイアーウォールなのだが、恐れる必要はない。


 しっかりと入り口で問い合わせて、正規のアクセスをすればいいだけだ。


 僕は門へ向かった。

 門、といってもそれほど大きくはない。両開きの扉と表現した方がより正確だろう。黒い檻のような扉だ。


 そして、その前には門番AIがいる。

 黒いロングコートを羽織り、虎の耳と尾を有した屈強な男の形をしている。


 僕は大学に入るためのごく自然な理由を脳内で組み立て、口を開こうとした。


「御用でしょうか?」

 門番AIは人のよさそうな笑顔を作る。

「うえっ」


 先を越されてしまった。何を言おうとしたんだっけ?


「ご気分が優れないのですか? 電気信号に乱れが見られますが……? 救護をお呼びしましょうか?」


 酢の感触が舞い戻りそうになったが、ここでは吐きたくない。


「だ、いじょぶ。えっと、用事。用事があって」

「なんでしょう? 私にできることでしょうか?」

「中に入りたいんですけど」

「どのようなご用件でしょうか? 見たところ、こちらの学生ではありませんよね?」

「その」


 門番AIから笑顔が消える。目を上下左右に動かし、僕を検分している。橙色の瞳が燃えるように光っていた。


「け、見学って、やってないですか……。大学進学を、考えているんですけど……」


 そんなことは微塵も思っていない。今の僕が中に入るには、この理由が自然だというだけだ。


「ああ、そうだったんですね!」


 門番AIは大仰に声を弾ませた。目尻を緩ませる。


「ご予約はされておりませんよね?」

「は、はい」

「承知したしました。臨時のパスの発行が可能かどうか、問い合わせをいたします」

 一呼吸もしないうちに、

「学長より、許可がおりました」


 門番AIは確認を済ませた。

 大学のAIというだけあって、元々、処理速度が速いのだろう。その上、穏やかなキャラクターで受付を行いつつ、来訪者をスキャンして有害ではないかを多角的にチェックし、(恐らく)外敵排除のプログラムも組まれているだろうから、かなり盛り込んでいる。普通なら、分業して、受付対応1、外敵排除1で、排除用AIにスキャン機能をつけるだろう。その方が先鋭化できて高いパフォーマンスを発揮できる。でも、そうしなかったあたり、技術者の挑戦が見えるような気がする。


 まあ、細かい感情の機微には対応できなさそうだが、それは求めすぎというものだ。


「パスを発行いたしますので、名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」

「馥業……、烈人……です」

「馥業烈人様と、AIに大学の臨時アクセスを許可いたします」

「ん? 連れ?」

「後ろの」


 僕が振り返ると黒い天使のAIがいた。


「は、なんでついてきているの?」

「答えるのを拒否します」


 AIは目を閉じて、僕から顔を逸らした。

 いつものことだから怒りは沸かない。

 もうこれに僕の言うことを聞かせるのは無理だろう。

 そのような仕様だから致し方ない。

 理性的に受け入れてやる。

 しかし、勝手についてきたことは解せない。一体、どのようなアルゴリズムが働いているのだろうか。いや、それはわからない。僕はそれほどこのタイプのAIに詳しくはない。AIオタクでもないし。僕の知識なんて、一般人に毛が生えた程度のものだ。


 考えられることがあるとすれば、姉が何かを仕込んでいる可能性だ。

 姉は考えが深い人間だ。

 いつも何を考えているかわからないが、必ず、最適解を引っ張って来る。


 両親が死んだときだって、全て、姉のおかげでどうにかなったのだ。

 一夜で全財産を失ったはずだったのに、翌朝になったら、姉がどこからか巨万の富を得ていたのだ。


 もうわからない。だから、このAIも僕には理解できないのだろう。


「烈人様? それとも、そちらのAIは置いていかれますか? こちらでお預かりすることもできますが」

「あ……、その。だいじょうぶ、です」

「かしこまりました。それでは、馥業烈人様とAI、Denier-104Cのアクセスを許可します」


 扉がガシャリと大きな音を立てて開かれる。

 その奥がどうなっているかは外側からはわからない。

 真っ白に光っている。セキュリティ上、そうなっているのだろう。


 僕がその光の中に足を踏み入れようとすると、

「ああ、馥業烈人様。二名から伝言を授かっています。馥業深様と学長からです」

 門番AIが声をかけた。


 僕は足を止めた。


「……なんて?」

「馥業深様からは、『やったね! こっちに来られてえらーい!』と。学長からは、深様へのお悔やみの言葉として」

「そっちはいいや……」

「かしこまりました。それでは、良い一日を」


 僕は光の中へ駆けこむ。


 どこまでも続く白に、僕は方向感覚を見失っていた。

 自分の足で進んでいるのか、それとも浮いているのかが区別がつかなかった。そもそも、進んでいるのだろうか。勢いのままこちらの世界に来てしまったが、正直に言って、犯人の当てはない。どうして大学に来たのかもよくわからない。


 それらしい理屈はいくつかつけられる。姉の主な活動場所が大学だから、とか、現場が大学付近のトラッシュボックスだったから、とか人が多そうで何か情報を得られるかもしれない、とか。もしかしたら、僕はそういうことを考えていたのかもしれない。しかし、自信がない。


 姉の伝言のせいかもしれない。僕がこちらに来るなんて、普通であれば0だというのに、姉はあのような伝言を残した。死ぬ直前に残したのか、それとも、もっと前に残したのかは知らないが、僕は姉の想像の範疇から出られないのは間違いない。


 僕は姉には遠く及ばないのだ。矮小な人間だ。


「……姉さんって何を考えていたと思う?」


 AIに声をかけた。無駄な行為だ。しかし、この黒い天使なら、何かを知っているかもしれないと、わずかな希望に縋った。


 僕は『答えたくありません』という返答を待っていた。


「何も考えてないんじゃないですか?」


 しかし、返って来たのは意外な言葉だった。


「え、どうして、そう思ったの?」

「答えたくありませんね」


 今度はニ十%は引けなかったらしい。


 黒い天使に無駄な動きはない。

 僕の三歩後ろを髪の毛一本揺れない静かさで歩いている。

 目が合うことがない。合っても身体をかきむしりたくなるくらいに困ってしまうから、別にいいのだが、やはり不気味だ。


 はるか昔のAIはとても不自然だったという。しかし、それは人間を基準にしているからそう見えるというだけで、その感覚は不適だと僕は思う。今日は、人間に近づける方面で発展してきたおかげか、それとも我々がAIに慣れたからか、不自然という感覚は大方、世間から消えたように思える。


 しかし、僕はこのAIにどこか不自然さを覚える。否、もしかしたら本当は違う言葉を当てはめるべきかもしれないがやりたくない。

 なんだか嫌だ。これでいい。これで済む問題だ。

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