第6話 VRシステム
このVRシステムであるが、大きくは二つの技術によって構成されている。一つはVR世界の構築。現在知りうる全ての物質的なデータを基に、無機的な世界を発生させ、その上に植物や細菌、昆虫や魚、哺乳類などを再現させる。そして、その世界が過去の歴史と近い未来と違えないように、フィッティングを何度も行い、それは数兆回にわたったが、過去と矛盾しない世界を作ることが出来た。それは特殊な光に複数の状態をのせ、いくつかの光を重ね合わせることによって、複数の状態を同時に処理できる次世代コンピュータの出現によって創ることが出来たともいえる。また、もう一つは電子人格である。この創られた世界は結果から導かれた、所謂哲学的ゾンビであり、このままでは対象の人物に脳をリンクさせても、五感の電子信号が脳に送られるだけである。その為、莫大な人間の脳を調査し、解析、再構築させ、違和感なく被験者とリンクするまで調整を行い、そのデータを機械学習と深層学習によってあらゆる人物に適合できるようにしたのが、電脳人格である。
小一時間もするとカプセルが自動的に開き、彼が起き上がってきた。「いかがでしたか。ああそうですよね。不思議な感覚ですよね。前世と言うものがあれば、前世の記憶みたいなものでしょうか。それとも現実と全く変わらないような夢の記憶。それはそうと、新たに何か創り出せそうですか。そうですか残念です。ゴッホの偉大さを感じただけですか。そうですね、では次はルノワールで行きませんか。でも少し休憩しましょう」と言ってテラスに誘った。
テラスでは暖かい紅茶とお菓子が用意されていた。彼は甘い菓子を頬張りながら、先ほどの体験を話し出した。彼が言うには、VRの中では、ゴッホとして産まれ、ゴッホとして死んでいった。カプセルで目を覚ますまでは自分がゴッホであることに何ら疑いも無く、ゴッホ以外の自分があるなど考えも付かなかったと。目覚めると、ゴッホの芸術に対する高い精神性や鋭い感性は受け継ぐことは出来、ゴッホは、生まれ変わりの様に自分の中に生きているが、ゴッホの作品以上のものを作ることは出来ないと。「なるほど、ここまで違和感なくリンクできるのは、芸術家としてゴッホと精神構造が近いのでしょうね。一方で、近すぎるため、新たな変化は無かったようですね。少しほかの芸術家の人生をトレースして見ましょう。あと、いくら脳内の事とは言え人の一生を短時間で経験しているので、脳自体に莫大な負荷が掛かりますので、あまり詰め込み過ぎず、十分な栄養、特に糖分と休息を取りながら進めましょう」と言ってK所長は紅茶を啜った。
それから数週間かけてルノワール、ミケランジェロ、モーツアルト、ワーグナーと時代も作品も異なる人物の人生をトレースしたが、自分の人生ではないような多少の違和感が出た人物もあったが、概ね問題なくトレース出来た。だが、彼の中に新しい創造の種を産み出すことは出来なかった。
「このまま続けて見込みはなさそうですね。他人の人生を経験するのではなく、ご自身で、色々な環境を生きてみるのはいかがですか。あなたの人格をそのまま、VR世界で再現してご自身の脳とリンクさせます。例えば、あなたの人格のままでピカソとして産まれることも可能です。無名の一市民として産まれることも出来ますし、容姿も才能も思いのままです。特別な能力や、今の記憶を持って生まれることも出来ますが、あまりやりすぎると、現実と大きく乖離してしまい、バランスの悪いロールプレイングゲームみたいになってしまいますから、アトラクションとしては良いですが、あなたの目的を考えるとお勧めは出来ませんね。そうですね、ダ・ヴィンチは如何でしょうか。よろしいですか。彼rは様々な分野で功績をあげてますからね。新たな発見があるかもしれませんね」と言って彼をカプセルに導いた。
カプセルから出ると、覚醒しきっていない体を引きずりカンバスに向かった。助手が止めるのを振り切って一心不乱に描きだし、数時間後には見事な絵画が出来上がった。と思った瞬間、傍にあったパレットナイフでその絵を切り裂いた。「どうしたのです。見事な作品ではないですか」K所長は少し驚いた顔で彼に尋ねた。しかし彼は首を振り、そのまま、倒れ込んでしまった。翌日以降も彼は偉人となり、多くの人生を過ごしたが、目覚めては創作に入り、そして完成間近で壊す事を繰り返した。そのうち、壊れた作品が周囲を取り囲み、乱暴に押し退けて創作を行っていた。
「ちょっと難しいようですね。なるほど、その時代では彼らの偉業を超える最高傑作を作り出せたが、改めて現代で創るとその作品はいずれも何処かで見たような既に創られた作品と変わらないものであったと。一掃の事、芸術に関係しない人間になってみてはどうでしょう」とK所長は新たな提案をした。その結果、時代、時代に歴史を改変するほどの偉大な芸術家を生んだが、彼の今までの作品を超えるものは出来なかった。さらに、芸術の才能を皆無の人物の人生も歩み多くの作った作品創ったが、は彼にとっては斬新であっても、それはすでに類似の作品が存在した。
これ以上、闇雲に行うには限界があった。彼の肉体は健康状態を保てるように、食事から運動まで徹底的に管理し足し、脳の疲れも、このシステムを利用して良質な睡眠を得ることで、常にリフレッシュした状態にはなっていた。だが、心は違った。たった一度の人生でさえ、心が耐えきれないことがあるのに、それを短期間で数多くの人生を送れば、心も擦り切れるだろう。脳科学的に強制的に記憶の消去や負荷の軽減出来るが、擦り切れた心を取り戻すことは出来ない
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