第218話 大事な当たり前のこと
「先に言っておくけど、具体的になにをしたらいいとかって話じゃないんだよね。もしかしたら新崎さんが求めてることと違うかも。それでもいいかな?」
「うん、大丈夫だよ。聞かせて?」
栞が頷いてくれたのを確認して続ける。
「わかった。えっとね、新崎さんが藤堂とデートをしていて、少しでも楽しいって感じたんだったら、その気持ちを真っ直ぐに表情とか言葉に出したらいいんじゃないかって思うんだ。って、さっきの俺達の話そのまま、みたいな感じなんだけどね」
「楽しい気持ちを……?」
「うん。もちろん楽しくないのに無理をすることはないし、やりすぎるとわざとらしくなっちゃうからあくまでも自然に」
栞の笑顔を見ると俺が嬉しくなるように、そういうのって伝わるものだから。
一人じゃないなら、楽しい気持ちは循環するんだ。そしてその循環を繰り返せば繰り返すほどに大きくなっていく。栞との会話の中でようやく辿り着いた答えがそれだった。
新崎さんと藤堂は現状ほぼ付き合いがない。そこからいきなりのデートとなれば緊張もするだろう。もし、ぎこちなくデートをして、微妙な空気で解散することになったら恐らく次はない。
デートが苦痛な時間だったなら、そうなっても仕方がないとは思う。でも、お互いに少しでも次に繋げたいという気持ちがあるとするなら、そんなもったいないことはない。
俺の結論はつまり、失敗しないための心構えといったところだ。
「そっか……」
しばらく考えて込んでいた栞が目を閉じ、息を吐くように呟いた。それがやや重苦しく感じて、少しだけ不安になる。
「これじゃ、ダメだったかな……?」
「違うの。その逆でね、涼ってすごいなぁって」
再び俺を見た栞の目が輝いているような気がした。そんな目で見つめられると、少しこそばゆい。
「俺、そんなすごいことを言ったつもりはないよ……?」
むしろ、なんでこんな簡単なことに今まで気付かなかったのかって思うくらいで。
「ううん、すごいよ。だってそれってさ、あなたと過ごす時間は私にとって楽しいものですって伝えようってことでしょ? そんな感情を向けられて嬉しくない人なんていないもん」
「よくよく考えれば当たり前のことなんだけどね」
これはデートのためのアドバイスというより、家族でも友人でも、人付き合い全般に言えることだと思うし。
「その当たり前なことに気付けて、大事にできる涼はやっぱりすごいんだよ。当たり前なことって、実は結構当たり前じゃなかったりするんだから」
「そう、なのかな……?」
当たり前が当たり前じゃないって、矛盾したことを言っている気がするけど……。
「そうなんだよっ。本当に涼に相談してよかったなぁ。ありがと、涼。美紀にはちゃんと涼からって伝えておくからね」
「俺からっていうのは言わなくてもいいと思うよ……?」
「だーめっ。それじゃ私が涼の手柄を横取りしたみたいになっちゃうでしょ?」
「栞が気付かせてくれたんだから、横取りにはならないんだけど」
「なら、私達二人からってことにしておくね。というわけで、ここからはそれをふまえてやってこっか?」
「いや、俺達だとふまえるまでもなくない……?」
だって自然とできちゃうし。
そもそも、俺も栞も気持ちを伝えようとして楽しく振る舞ってるんじゃないんだよ。勝手に溢れてくるっていうか、逆に止めようと思っても止めれないっていうか、とにかくそんな感じだ。
「それはそうなんだけど、一応実践してみよっかなって思ってね。それと、涼といるとすぐ嬉しくなって楽しくなって幸せになっちゃう私をもっともっと見せてあげたいから」
「……じゃあ、俺もそうしよっかな」
今まで意識せずにしていたことを、意識してやるとどうなるのかも気になるし。まぁ、普段と大差ないとは思うけどね。
「へへ。楽しいデートがもっと楽しくなるねっ。ほら、遊ぼっ? クレーンゲームもまだ途中なんだから」
「そういやそうだった」
俺が栞を止めたせいだけど、ほったらかしにされたクレーンゲームはずっと寂し気にプレイ中の音楽を垂れ流しにしている。
「さっき言いかけたんだけどね、残りは涼かやってほしいの。私ね、涼にリョー君のお友達を取ってもらいたいなぁ?」
「リョー君に友達?」
「うん。今もお部屋に一人ぼっちにしちゃってるから可哀想なんだもん」
「あー、なるほど。なら栞、ちょっとシオのこと預かっててもらえる?」
「はーいっ。シオちゃん、ママのところにおいでーっ」
栞は俺から受け取ったシオを大事そうにその胸に抱きしめた。俺は栞に代わってクレーンゲームの前に。
「ねぇ、栞。どれがいいとかはある?」
栞がお金を入れているので、一応確認しておく。
「んーん、涼が取ってくれたのならなんでも大丈夫だよ」
「わかった。じゃあ取りやすそうなので……」
ひとまず、取り出し口の穴に近そうなのに狙いを定める。シオよりもさらにデフォルメされて、ちょっと間抜けな顔になった柴犬だ。
「パパ頑張ってー!」
「う、うん……」
その呼び方は恥ずかしいんだけど、と思いながらもアームを操作していく。
なんとなくわかっていたことだけど、
「あー、おしいっ……! もう少しだったよ、パパ!」
「全然おしくないよ?!」
たぶん、回数か確率でアームの掴む力が変わるんじゃないかな。さっき栞がやった時とは違い、持ち上がったかと思ったら、スルリと抜け落ちてしまう。
あっという間に栞が残した五回分が消し飛んでいた。さらに俺は自分の財布から五百円を投入することに。それでも、
「あー……、残念っ」
「……くっ。ちょっと両替してくる!」
その六回分もあっさりと使い切り、財布の中の小銭が尽きてしまった。
「えっ、いいよぉっ! そんな無理しなくても。もし取れたら、くらいでよかったのに……」
「あ、あと五百円分だけにするから、やらせてっ!」
店の思う壺なのはわかってる。わけってるんだけど、このままではどうにも引っ込みがつかない。
可哀想って思うほど栞がリョー君を大事にしてくれてるんだからさ、友達の一人や二人、どうにかしてあげなきゃって思っちゃうじゃん。
「涼がここまでムキになるとは思わなかったよ。しょうがないなぁ。でももう、これで最後だからね? 次は私も本気で止めるから」
「わかった……」
両替を済ませて再度五百円を投入、最後の六回分。そう思うと、少しだけ緊張してきた。
「シオちゃんもママと一緒に応援しようねっ。パパ頑張れーっ!」
栞がシオの手をパタパタと動かしながら応援してくれる。でもまぁ、応援されたからといってうまくいくものでもなく、
「次で最後かぁ……」
気付けばラスト一回を迎えていた。狙っている獲物は俺の足掻きによって少しずつ位置を変えて、もう少しで落ちるんじゃないかという感じになっている。栞もそれがわかっているのか、応援に熱が入ってきた。
「頑張れ頑張れパーパっ! もうちょっとだよー!」
そんな声援を受けながら、まずはアームを横方向に移動させる。
うん、悪くないんじゃないかな。
「これはいけるよっ! やっちゃえ、パパーっ!」
「よ、よしっ……!」
最後の縦方向、その操作ボタンを押し込んだ瞬間だった。
「……お前ら、なにやってんだ?」
突然後から声をかけられて身体が跳ねて、ボタンから手が離れてしまった。
あぁ、これで最後だったのに……。
そう思いつつ振り返ると、申し訳なさそうな顔をした遥と、その横には楓さんがいた。
「わりっ……。邪魔しちまった……」
「あれっ? でも────あっ、落ちた!」
「……へ?」
クレーンゲームに向き直った時には狙っていた柴犬のぬいぐるみの姿はどこにもなく、代わりにカコンと物が落ちる音がした。
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