第217話 リョー君の妹『シオ』

 ワンフロア全部を使ったゲーセン、多くの人が出入りしているのを見るになかなか賑わっているようだ。ほんのりと薄暗いフロアがゲームの筐体の発する色とりどりの光に照らされていて、激しめのBGMに混ざってゲームに興じる人達の声が聞こえてくる。


 ガチャガチャした雰囲気の場所は栞が苦手なんじゃないかと思ったが、意外と平気そう、というよりもむしろワクワクしているのが左腕から伝わってくる。


「あっ! ねぇ、クレーンゲームがあるよ! わぁ、可愛い子がいっぱいいるよ!」


 真っ先に栞は入口付近に設置されていたクレーンゲームに目を付けたらしい。俺から離れて、いくつもある中で栞が吸い寄せられていったのは、ガラス張りの中に種類豊富な動物のぬいぐるみが押し込まれているものだ。


「あれ、プリクラ撮りたいんじゃなかったっけ?」


「それは後でもいいよっ。適当に遊んで、出る前にでも撮ろ?」


「栞がそれでいいなら。でも、こういうのってちゃんと取れるのかな?」


 ゲーセン側だって商売だ。そんなにやすやすとは景品を取らせてはくれないと思うのだが。


「わかんないけどぉ……」


 そう言いながら栞は積まれたぬいぐるみの山をじっと見つめる。


 欲しいものでもあるのかな?

 こないだリョー君をあげたばっかりなんだけどなぁ……。

 あれじゃ足りなかったのかな……?


「とにかく、やるだけやってみる! 涼は見ててねっ」


 まぁ、やりたいというのなら止めることもないか。もしやってみて無理そうなら栞だって諦めるだろう。


 部屋が殺風景なのを気にしていたから、賑やかしが欲しいのかもしれないしね。


 たくさんのぬいぐるみに囲まれて眠る栞の姿を想像するととても微笑ましい。そして、きっと栞が抱きしめて眠るのはリョー君だけ。そう思えば先ほど感じたもやっとしたものはきれいさっぱり消えていった。


「ん、わかった。応援してるから頑張って」


「うんっ!」


 書かれている説明をざっと読んだ後、栞が五百円玉を一枚投入するとゲームが始まる。ワンプレイ百円、五百円だとそれが六回になるらしい。お得なのかお金を使わせるための罠なのか判断が難しいところだが、栞はお得と見たようだ。


 横方向と縦方向、動かせるのはそれぞれ一回きり。栞は真剣な表情でボタンを押し、アームを操作する。中央付近で停止して大きく手を広げたアームが下へと降りていく。


 そして、


「あっ! ねぇ、涼! これ、取れたんじゃない?!」


 栞が興奮気味に声を上げる。


「まじ?! まさか、そんな一回で……?!」


 再び引き上げられたアームにはがっちりとぬいぐるみが一つ掴まれていた。途中で落ちてしまうことも心配したが、それは杞憂に終わり、ぬいぐるみは取り出し口に繋がる穴へと吸い込まれていった。


「……取れちゃったよ、こんなあっさり」


「やったぁ! ねぇ、私の腕前はどうだった?」


「いや、すごいとしか言いようがないんだけど」


 ただ腕前がすごいというより、栞は初めてのクレーンゲームだったのでビギナーズラックと言うのが正しい気がする。前にプレイした人か店員がいい位置に動かしてくれていた可能性もあるかもしれない。


 得意気な栞に水を差したくないから言わないけど。栞がもっているのは確かなんだからさ。


「えへへ。じゃあ、これは涼にあげるから、大事にしてあげてね?」


 取り出したぬいぐるみを一度ぎゅーっと抱きしめた栞は、それをそのまま俺に押し付けた。


「えぇっ?! せっかく栞が取ったのに?」


「だって、最初からそのつもりだったんだもん。私にはリョー君がいるでしょ? だからこの子は私の代わりってことで、涼に持っていてもらいたいの」


「栞の、代わり……」


 リョー君は寂しがり屋の栞の心を埋めるためにという理由もあった。ということは、この子は栞のいない間、俺に栞のように思ってほしいということだ。


 栞から強引に受け取らされたぬいぐるみに視線を落とす。真っ白な、ややデフォルメされたデザインの猫のぬいぐるみだった。


「この子、猫だけど……、いいの?」


「うん? 猫じゃだめだった?」


 ポカンとした顔でコテンと小首を傾げる栞。


 あれ……?

 なにかが噛み合っていない気がする。


「あのさ、俺、栞の前でなるべく猫って言葉を出さないようにしてたんだけど……。もしかして俺、またいらない心配してたり、する?」


「あぁっ! そっか、そうだったぁ……」


 俺の言葉でようやく栞も気が付いたらしい。


 夏休みの終わりから二学期の頭にかけての出来事、栞は楓さんに家猫に喩えられて、無力な自分と重ねて悩んでしまった。そこから俺の中で、栞の前では『猫』がNGワードということになっているのだ。


 通学途中なんかに目の前を猫が横切ったりした時も、見て見ないふりをしていたくらいで。


「えっと……。ごめんね、涼。ずっと気を遣わせちゃってたよね。まだ平気って言ってなかったもんね」


「それは全然大丈夫なんだけどさ……。なんだぁ、平気になってたんだ……」


「うん。それもね、かなり早い段階で……」


「でも、どうやって平気になったの?」


「それは──」


 栞はそこで一度言葉を区切ると、照れたようにはにかんで、わずかに頬を赤くした。


「──涼がね、私に笑ってって、言ってくれたから、だよ」


「え、そんだけ?!」

 

 確かに俺はそう言った。


 ──笑ってよ。俺さ、栞の笑顔が大好きなんだよ。ずっとずっと、いつまでも見ていたいくらいに、ね。


 って。


 寝込んでいる栞のもとに駆け付けて、栞の悩みを払った時のことだ。


「そんだけ、なんかじゃないよ? 本当に嬉しかったの。私が笑うと、涼はすっごく喜んでくれるでしょ?」


「そりゃそうだよ。大好きな栞が笑ってくれないなんてさ、俺にはそれ以上に悲しいことなんてないし」


「うん、涼はいつもそう言ってくれるもんね。私もそれと一緒で、大好きな涼が喜んでくれたら嬉しいの。でね、気付いたんだよ。飼われてる猫も同じなんじゃないかなぁって」


「同じ……?」


「幸せそうで可愛い姿が見られたら、いっぱい愛情を注いで大事にしてる飼い主さんは嬉しいでしょ? 私は別に涼に飼われてるわけじゃないけど、愛してもらってるって意味では似たようなものだから。なにもできてないなんて、そんなことないってわかったの」


 つまり、俺に大事にされている栞は幸せで、そこから生まれる笑顔を見た俺も嬉しい、と。たぶん、その逆も同じことが言えるはずで。


 栞が大切に思ってくれるから俺は笑っていられる。俺が笑えば栞はさらに幸せになれる。


 そしてそれは良い循環になる──


「そうか、そうだったんだ……!」


 栞の言葉にじんわりと心が温かくなり、おまけに一つの答えにも辿り着いた。映画が始まる直前で感じたものと、今の栞の言ったことがようやく俺をそこへと導いてくれた。


「うん。だからね、なんにも気にせずこの子は涼が持ってて? あとは、できたら名前も付けてあげてほしいんだけど」


「……わかった。うーん、どんなのがいいかな?」


 栞から期待するような視線を向けられながら考える。栞は俺のあげたテディベアにリョー君と名付けた。


……なら、それに対応するような名前にしたい、かな。


 そこに至ると数秒で決まった。


「じゃあ、この子の名前はシオにするよ」


「シオかぁ……。ふふっ、予想通りだったけど、なんかくすぐったいね。シオリじゃないだけマシなのかな?」


「言っとくけど栞が先にやったんだからね? 俺はそれを真似しただけだから」


「わかってるよ。別に変えてほしいなんて言ってないもん。じゃあ、シオちゃん? これから私がいない間のパパのこと、よろしくね?」


 シオの頭を栞が優しく撫でる。


「あ、やっぱりこの子も子供扱いなのね?」


「ダメだよ、涼? この子じゃなくて、シオちゃん! 涼が決めたんだからちゃんと名前で呼んであげないと。それから、シオちゃんはリョー君の妹だからねっ」


「あ、うん……、ごめん」


 また俺達にぬいぐるみの子供ができてしまった。この調子だと、本当の子供ができる前にまだまだ増えそうな気がする。


「さーてっ、それじゃ残ってる五回分、やっちゃおっか! 次は涼が──」


「あ、ちょっと待って。その前に」


 クレーンゲームに向き直ろうとする栞を止めた。お金を払った分をやるのは大事だけど、ここで言っておかないとタイミングを逃してしまうかもしれない。せっかく思い付いたのに忘れてしまったら大変だ。


「ん……? どうしたの?」


「あのね、俺、新崎さんに言ってあげること、一つできたかも」


「本当っ?!」


 栞は目を丸くして食い付いてきた。


「うん。こんなんでいいのかなって気はするけど、一応ね」


「涼が思い付いたんだもん、すごく大事なことに決まってるよ」


「じゃあ──」


 全幅の信頼を寄せるような栞の視線に圧されながら、俺は口を開いた。

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