第209話 栞の独り立ち?
家に帰り着くと玄関先に一つの段ボール箱が置かれていた。昨日宿から置き配を指定して送っておいた荷物だ。配送のタイミングも俺達が帰宅する頃合に合わせておいたので、たぶんここに置かれてからそう時間は経っていないだろう。
「よかった。ちゃんと届いたみたいだね」
「そりゃね。自分の家の住所を間違えたりはしないし、お金も払ってるんだから届いてくれないと困るよ」
「そうなんだけどー。でもね、大事なものも入ってるから」
栞はしゃがみこんで、段ボール箱にそっと触れる。
「あ、俺が持つよ。悪いけど栞は玄関開けてくれる?」
「はーいっ」
二人分の荷物が入っている箱、それなりの重さがある。ここは栞じゃなく俺が持つのが妥当なところだろう。
配送の人がなにも考えていなかったのか、玄関を塞ぐ形で置かれた段ボール箱。まずはそれを持ち上げて横にずれる。その間に栞がうちの合鍵を使ってドアを開けてくれた。
こうして栞がなに食わぬ顔でうちの玄関を開ける姿を見るのにもだいぶ慣れてきた。
最初は不思議な感覚だと思っていたはずなんだけどなぁ。
「涼、先に入って?」
「うん、ありがと」
家の中に入ると、物音を聞きつけた母さんリビングから出てくる。
「二人とも、おかえりー」
「ん、ただいま」
「ただいまです、水希さん」
帰りの挨拶を済ませると、母さんの視線は俺の手に抱えられた段ボール箱へと注がれる。
「あら、もう届いてたのね。ごめん、全然気が付かなかったわ」
念の為、母さんには荷物が届く時間帯を伝えて、家の中に入れておいてもらうように頼んでいたのに、役には立ってはくれなかったようだ。
「まぁ、無事にここにあるからいいよ。それより、荷解きした後でお土産渡すから」
「……お酒かしら?」
「なに言ってんの。未成年の俺達に買えるわけないだろ……。普通にお菓子だよ」
栞と二人で土産物屋を物色している時、もちろんお酒も目には入った。酒の種類も両親の好みのものもわからないが、地酒と書かれているとお土産にいいんじゃないかと思ったりもして。でも、商品の下に書かれていた『20歳未満の方には販売できません』という文言、これを読んであえなく断念したというわけだ。
そうでなくても、最近はなんだかんだと俺と栞のイベント事にかこつけて飲んだくれている両親達である。そもそも買えないというのを抜きにしても、お酒を選ばなかったのは正解かもしれない。
お土産にお酒を買ってきた程度でどうこうなるとは思っていないが、飲み過ぎで身体を悪くされたら困る。事あるごとに栞との仲をからかわれたりして鬱陶しく思うこともあるけれど、やはり自分の親には永く健康でいてもらいたいものだ。もちろん、いずれ第二の両親になる予定の聡さんと文乃さんも含めて。
「それもそうねー。残念だけど……」
まぁ、それも本人に自覚がなければどうしようもないのだが。本気で残念そうにするの、やめてほしい。
「まったく……。こないだ二日酔いになったの忘れた? 随分苦しんでたみたいだったけど」
朝まで飲んで騒いでいたらしく、午後になっても頭をおさえてうんうん唸っていた母さんの姿は記憶に新しい。
「そうですよ、水希さん。あんまり飲みすぎてるの見ると、私も心配になっちゃうんですからっ」
俺の誕生日に聡さんを酔い潰す計画を立てていた人の言葉とは到底思えないけれど、そのおかげで俺も幸せな思いができたのだからあえて突っ込んだりはしない。
「栞ちゃんに心配されちゃったら逆らえないわねぇ。今後は気を付けます」
「はいっ、そうしてくださいね」
「……俺は?!」
俺だって心配して言ったのに。
「涼に言われてもねぇ……。ま、どのみちお酒じゃないんだからいいじゃない。それより、こんなところで油を売ってるとイチャイチャする時間が減っちゃうわよー?」
毎度のことながらこの扱いの違い。母さんが栞を可愛がっているのは知ってるけどさぁ。
つい、イラッときてしまった。
「またそういうことをっ……!」
「まぁまぁ、涼。怖い顔になってるよ? 私、涼の優しい顔が好きだなぁ?」
「ぐっ……、わかったよ」
栞にそう言われると矛を収めざるを得ない。
「そうそう。涼は栞ちゃんにデレデレしてればいいのよ」
「水希さんもですよっ。水希さん相手だと、涼はすぐムキになっちゃうんですから。ほどほどにしてあげてくださいね?」
「うっ、……はい」
黙り込んだ俺と母さんを見て、栞は満足そうにニッコリと頷いた。我が家全員、完全に栞の手の平の上で転がされている。驚くことに、あの父さんでさえうちに入り浸っている栞に対してはかなり打ち解けてきていたりするのだ。
「それじゃ涼、お部屋行こ?」
「うん……」
「水希さん、また後で」
「はーい、ごゆっくりー」
リビングに母さんを残して俺の部屋へと場所を移す。段ボール箱もしっかりと持ってきた。
まずは俺と栞の物を分けてしまわないと。そう考えて口をとめているガムテープを剥がしながら、先ほどの栞の言葉を思い出した。
「そういえば大事なものが入ってるって言ってたけど、なにか入れてたっけ?」
ここに入れたのは着替えや栞の化粧品類、それからお互いの家用のお土産くらい。どれも大事な物には違いないかもしれないが、なんとなくそれではない気がする。
「うん。持って帰ってきた分じゃなくてね、こっちに入れてたの。美紀へのお土産」
「あぁ、なるほど」
確かにあの時、栞は新崎さんの分も購入していたっけ。たぶん、それを栞の家用のお土産と一緒に入れておいたのだろう。
栞は俺が開けた箱の中から、今日楓さんと橘さんに渡していたのと同じハンカチを取り出して、胸に抱いた。
「あのね、涼。私ね、一人でこれ、美紀に渡しに行こうと思うの」
「一人で、平気?」
過保護すぎるってことはわかってる。でも、これまで栞が新崎さんと会う時は必ず俺が側にいた。復縁してから栞が新崎さんと二人きりで会うのはこれが初めてになるのだから、どうしても気になってしまう。
「うん、大丈夫だよ。会ってはいないけど普段からやりとりはしてるし、ちゃんと仲直りしたところだって涼も見てたでしょ?」
「見てたけど、ね……」
「ふふっ。出たね、涼の心配性。気持ちは嬉しいけど、本当に平気だから。このお土産もね、それを証明するためにっていうのもあるの」
「証明……?」
「だって、そうしないとずっと涼に心労かけちゃうでしょ? いつまでも心配させっぱなしじゃいられないもん。そろそろ昔のことは綺麗さっぱり解消できたんだぞってところ、きちんと見せておかなきゃ」
栞の言いたいことはわかる。けど、心配くらいはさせてほしい。ただ、そうなると今度は逆に栞がそれを気にしてしまうのも理解している。
なら、栞の思うようにやらせてあげるのがいいんだろう。この心配が杞憂ならそれで良し、そうじゃなくても俺はいつでも栞の拠り所になるつもりなのだから。
「わかったよ。でも、もしなにかあったら絶対に言うこと。一人で抱えたらダメだからね?」
「わかってる。涼のことは、いつも頼りにしてるよ」
「ん、ならいつでも行っておいで」
「うんっ、ありがとね、涼」
栞は俺の胸にぽすんと顔を埋めて、俺は栞をしっかりと抱き寄せた。
本当に、栞は強くなったなぁ。
そう思うと──
「なんか、ちょっとだけ寂しいかも」
本音が勝手に口からこぼれていた。
あれ……、本音って?
俺、寂しいって思ってるのか?
喜ぶべきことの、はずなのに?
よくわからないモヤが心に立ち込めてくるようで。
自分の感情に戸惑っていると、栞は優しく背中を撫でてくれる。
「涼。私はここにいるよ、ずっと、いつまでもね。これからももっと涼に甘えるし、我儘もいっぱい言うから。それにね、今の私があるのは、全部涼がいるからなの。だから、寂しいなんて言わないで?」
俺はなにが、とも、なんで、とも言っていない。それなのに栞にはこうも簡単に見透かされてしまう。
一瞬俺の心をよぎったのは、栞が俺を置いてどこか遠くに行ってしまうんじゃないか、そんな不安だったらしい。
あぁ、まったくバカだなぁ俺は。そんなことないってわかってたはずなのにさ。これじゃどっちが心配される側なのかわからないじゃないか。
「ごめん、そうだね。寂しいことなんて、なにもなかったよ」
「へへっ、でしょー? てことで、とりあえずちゅーしよっか!」
「とりあえずって、な──んむっ……!」
俺が余計な事を考えなくていいようにしてくれているのだろうか、かなり激しめに口を塞がれた。
心の中のもやはそれで完全に消えていった。
そこからはもう、いつも通り。ただひたすらイチャイチャするだけの時間となった。今日はこっちが先、予習復習は後回しの日のようだ。
抱きしめあってお互いの温もりを感じて、キスをして。歯止めが利かなくなるまではいかずに、ほどよく満足したところで離れる。
本来であれば、ここからは真面目に勉強に入るところだが、
「さぁて、やるべきこともちゃんとやらなきゃ──なんだけど……、その前に美紀に会える日確認しといてもいいかな? 早い方がいいと思うし」
「うん、それくらいなら全然待つよ」
「じゃあ、ちゃちゃっと──って、あれ?」
鞄からスマホを取り出して画面を点灯させたところで栞は首を傾げた。
「どしたの?」
「えっとねぇ……、美紀から連絡きてたの。今日会えないかなって」
またタイミングのいいことで。
「ちょうど良かったんじゃない?」
「うん。ねぇ、涼。この後、行ってきてもいいかな?」
「もちろん。時間が足りなくてできなかった分は各自でやればいいだけだしね」
「ありがと。そう返事してみるっ」
新崎さんも栞の返信を待っていたようで、すぐにやりとりが始まった。その隙に俺は栞の死角でこっそりと着替えを済ませてしまうことに。
「お待たせ。18時に、私の家の近くのあの公園で会うことになったよ」
栞が顔を上げたのは着替えが終わって数分後のことだった。
「そっか。あと一時間くらいだけど、どうする? 荷物もあるし、一回帰るつもりならもう出る?」
栞の家まではおよそ20分の道のり、そこから着替えて荷物の仕分けなんかをしてしまうと考えると一時間なんてあっという間だ。
「うーん……。それだといつもよりだいぶ早くなっちゃうなぁ……」
「なら家まで送るよ。そしたらもう少し一緒にいられるし、ついでに俺を荷物持ちにできるからお得だよ?」
「もう、本当に涼はそういうの上手だよね。……なら、お願いしちゃおっかな」
「おっけー、任せてよ」
というわけで、うち用のお土産はポイッと母さんに渡してから栞とともに家を出ることになったのだった。
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