第208話 校内衝突事故
席替えが完了してから、いや、する前からだったか。とにかく教室内は喧騒に包まれていた。
もれなく俺もそれに加担しているうちの一人だったりする。念願の栞の隣という席を獲得して静かにしていられるわけがない、というわけでもないのだが、やはり仲の良いメンバーが近くに固まれば騒がしくもなろうというものだ。
「はいはい、皆静まりなさーい! もう決まっちゃったもんはしかたがないけど、授業中に騒がしいって聞いたらすぐにまた席替えするから肝に銘じておくよーにっ!」
先生がパンパンと手を叩きながら声を張り上げると、ようやくざわついていたのが静かになった。それを見て、先生は満足気に頷く。
「よろしいっ。それじゃ、今日はこれでかいさ──」
「あっ。その前に先生、ちょっといいっすか?」
先生が解散を言い渡そうとしたのを遮って、遥が手を挙げ立ち上がった。
「ん? どうしたの、柊木君?」
「えーっと、皆にお知らせっつーかなんというか。昼に集めた意見をまとめたんだが、今度の日曜の午後ってことで決定にしようと思う。時間もねぇし内容については俺と彩で決めさせてもらうぜ。明日にでも出欠の確認取るからさ、どうするか決めておいてくれな」
「んん……? なんの話?」
先生はポカンとした顔で首を傾げた。
俺達はすでに聞いた後なので打ち上げの話だとすぐにわかったが、それを知らない先生からすればなんのこっちゃということになる。
「そういや先生にはまだ声かけてなかったっすね。学校祭の打ち上げやるつもりなんすけど、予定が合うなら先生もどうっすか?」
「打ち上げって……、私も、いいの……?」
「いいに決まってるじゃーん! れんれんだってクラスの一員でしょー? なんだったら旦那さんも連れてきていいよー! ね、皆?」
つい今しがたまでぶーたれていた楓さん、こういう場面では切り替えが早い。明るい声で教室中に問いかけると、返ってきたのは賛同ばかりだった。
それだけ連城先生がうちのクラスで慕われているという証拠なのだろう。そうでなければ文化祭で先生夫婦の結婚式などしなかったわけで。
「もうっ……。そんな楽しそうなの参加しないわけないじゃない! 旦那は……、さすがに無理かもしれないけど……」
「んじゃ、とりあえず先生は数に入れときますね。ってことで、俺からはそんだけです」
「楽しみにしてるわね! で、他になにかある人がいなければ終わりにするけど────なさそうね。それじゃ、今日は解散!」
先生が教室を後にすると、クラスメイト達は各々散っていく。部活に急ぐ者、教室に残って駄弁っていく者、帰宅する者、様々だ。
俺はもちろん、
「りょーうっ、かーえろっ?」
「うん、行こっか」
栞と一緒に帰宅組である。放課後になったらさっさと帰る、それが俺達のスタイルだ。その理由は、二人だけの時間を少しでも長く、なんて人に聞かれたら呆れられてしまいそうなものなわけだが。
それでも帰宅して一番にすることは、基本的にその日の授業の復習と翌日の予習。実に真面目なものだ。
その限りではない日も多々あるが、そこは目をつむろう。やらないわけではないのだ、栞とイチャつく時間と前後するだけで。
今日がどっちになるのか、それは帰るまでわからない。
「それじゃ、皆また明日」「ばいばいっ」
友人達への帰りの挨拶をして教室を出る。これも席が近いと一人一人に声をかけてまわらなくて済むので楽なものだ。
「んふふ〜♪ 涼のとっなり、うっれしいなぁ〜♪」
昇降口へと向かう途中、妙な節を付けて歌い、そのリズムに合わせるようにぴょんぴょんと階段を降りていく栞。楽しそうなのはなによりだけど、ここは階段。後を追う俺は内心ヒヤヒヤしながらそれを見ていた。
「栞、そんなに跳ねたら危ないよ?」
「大丈夫だもーん♪ ほーらっ!」
ふわっと華麗に階段を最後まで降りきって着地したところまではよかった。その場でクルリと反転して俺の方を向こうとした瞬間、階段横の廊下から勢いよく飛び出してきた何者かが栞に突っ込んでいった。
校内ではあるが、立派な衝突事故である。
「──きゃっ」
栞は短く悲鳴を上げてよろめき、軽く尻もちをつく。
「あぅっ……」
「栞っ?! 大丈夫っ……?!」
急いで駆け寄ると、ぶつかってきた相手も反動で床にお尻をくっつけていた。どうやら二年生の女子生徒、つまり先輩である。学年別にカラー分けされた校内履きのスリッパが物語っていた。
「いてて……」
まぁ、先輩だとかはこの際どうでもいい。いや、よくはないけれど、それよりも状況が問題だ。その先輩、転んだはずみでスカートがめくれあがっていて──
待て待てっ、いったい俺はなにを見ようとしてるんだ。余所見は厳禁というのを忘れたのか?
栞のならまじまじと見てもいいってわけじゃないけど、とにかく栞以外はダメだ。
慌てて視線を逸らして栞に向けると、まさかのこっちはこっちで同じ──いやむしろ、栞の方がさらにひどい。俺の位置からはチラ見えどころじゃなくて、モロ見えになっていた。
……ほぉ、今日は白かぁ。見た目清楚な栞っぽくていいよね。
最近じゃ中身は清楚からだいぶかけ離れてきているような気がするけれど、それでもやっぱり栞には白が似合う。
って、違う、そうじゃない!
落ち着いて鑑賞してる場合じゃないのに、思わずまじまじと見ちゃったじゃないか。
これも、俺の視線に対する栞の吸引力の高さのせいだ。
思考が正常に戻ると、このままでは他人にも見られてしまうんじゃという危機感が湧いてくる。
「栞、立てる……?」
動揺を隠し、今見た光景を密かに心のメモリーへ保存しながら栞に手を差し伸べて立ち上がらせる。栞が立ち上がれば、スカートもしっかりと本来の位置に戻る。
「ありがと、涼。……あの、すいません。変なところで立ち止まったりして」
「こっちこそ、ごめんねっ……! 怪我とかしてな──って、あれ……? あなた、もしかして……、黒羽、ちゃん?」
「? ……栞の、知り合い?」
「ううん。知らない、と思う……」
栞の校内においての交友関係が狭いのは俺も知るところで、クラス内の友人達のみ。そして俺も栞と同類。
誰か一人忘れている気がするけど、まぁいいか。
ただ、この先輩のことはどこかで見たような気がしなくもない。でも、それがどこでなのかさっぱり思い出せない。
「えぇっ……?! ほら私っ、私だよっ!」
「んー……?」「えぇっと……?」
床にへたりこんだままの先輩と、それを見下ろす二人の後輩という奇妙な構図で固まること数秒。その間、脇を通り過ぎていく人達の視線が痛い。
「あの、とりあえず、立ちませんか……?」
このままだと、上級生をいじめる下級生として悪い噂が流れかねない。やむなく、俺はその先輩へと手を差し伸べた。
「おっと、ありがとね。うんうん、さすが高原君、気が利くね」
先輩は俺の手を取って立ち上がると、腕を組んで一人で勝手に納得し始めた。
「……これくらい普通だと思うんですけど?」
「謙遜謙遜! ねっ、黒羽ちゃん?」
「え、えぇ、まぁ。私もそういうところが好きなんで」
……栞は初対面の人になにを言っているのかな?
「おぉ、言うねぇ。いやいや、さすがバカップルとして名を馳せてるだけのことはあるね!」
先輩は陽気にカラカラと笑う。やたらフランクで悪い人ではなさそうなんだけど、ねぇ……。
「バカップルで名を馳せたくは、ないんですけど……?」
というのが本音だ。
「まぁいいじゃないの。それよりもそろそろ私のこと、思い出してくれたかな? 私はしっかりと覚えてるんだけどなぁ」
体育祭で目立って有名になってしまったから、一方的にこの先輩が俺と栞のことを知っていても不思議ではない。でも、本人の様子を見るにどうやらそれだけじゃなさそうなんだよね。
俺と栞が顔を見合わせて首を傾げていると、先輩は痺れを切らしてしまったらしい。
「うーん、わっかんないかぁ。じゃあもう私から教えちゃう! ほら、体育祭の借り物競争の時のっ」
「「あぁっ……! あの係の人!」」
俺と栞が気付くのは同時だった。楓さんに『バカップル』として呼び出されて、それを証明しろとか言ってきた人だ。おぼろげな記憶をたどれば、確かにそうだ。
「やっと思い出してくれたようだね。いやぁ、あれはなかなか良いものを見させてもらったよ。しかも、特等席でさ」
全校生徒の注目の中、あわやキスまでしそうになった記憶が鮮明に蘇ってくる。思い出すだけで悶えそうになるくらい恥ずかしい。
「……ところで、すごく急いでたみたいですけど、用事とか大丈夫なんです?」
栞が話題を変えてくれて助かった。栞も顔が少し赤くなっているので、思い出して恥ずかしくなってしまったのかもしれない。やたらと見せつけたがる栞だけど、限度はあるらしい。
クラス内ならオッケーっぽいところがあるので、その基準はいまいちわからないが。
「……あぁっ!! そうだった、急いでたんだった……! えっと、私ね、これからすっごく大事な用があるの。ぶつかっておいて何もお詫びはできないけど……」
「いえ、お構いな──」
「そっか。ありがとっ、ごめんねっ! それじゃ、二人ともまたねっ!」
栞が言い終わるよりも早く、先輩は昇降口で靴を履いて風のように飛び出していった。
「ねぇ、涼……? いったいなんだったんだろうね?」
「さぁ……」
完全に取り残された俺達は、しばらくあの先輩の去っていった方を見つめて立ち尽くすことになった。あんなに慌ててどこへ行こうとしていたのか、疑問は尽きないけれど、たぶん俺たちに関係ないことだ。
「……とりあえず、帰ろっか?」
このままぼーっと突っ立っていても時間の無駄でしかない。
「そうだねぇ。でもその前に、涼?」
「ん?」
「あの先輩の、見たでしょ?」
栞のその一言で心臓が止まるかと思った。抑揚のない声で言うから、余計に。
咎められている、それだけはわかった。
「いや、見てない、よ?」
動揺しつつも、どうにか弁解することには成功した。危ないところではあったけれど、嘘は言っていない。
なのに、
「本当かなぁ?」
栞の目が細くなる。完全に疑われているらしい。
「本当だって……。ほら、俺が栞に嘘つかないって、知ってるでしょ……?」
こうなっては、これまでの実績をもとに信じてもらう他ない。それでだめなら徹底抗戦の構えだ。どこまでも無実を貫く覚悟を決める。
それなのに、あっさりと栞は手のひらを返した。
「もちろん知ってるよー。ふふっ、そんなに焦らなくても冗談なのに。見てないのも、わかってたから」
そして、俺が動揺しているのを楽しむかのように笑う。栞は時々こういう意地の悪いことをするんだよ。
「……栞に弄ばれたっ!」
栞を非難するように言いつつも、俺は心の中で安堵していた。見ていないことの証明なんて、どうやってもできないのだから。
でも、ここで安堵したのはまずかったかもしれない。一つだけ、俺の中にやましいことが残っていたのだ。今更そんなこと、という内容ではあるけれど状況次第ではやましいことに該当する。
「ごめんねっ。でも、私のはしっかり見てたよね?」
「そりゃ、あんだけスカートがめくれてたら──って、気付いてたの?!」
気が緩んだせいで、思わず正直に答えてしまっていた。自分の言葉が耳に届いて、初めてしまったと思った。
ただ、ここで救いだったのは栞の表情が変わらなかったこと、かもしれない。俺を動揺させて楽しんでる顔のままだ。
「涼の視線くらい、私がわからないわけないでしょー? ──で、どうだった?」
「どうだったって……?」
「言葉通りの意味だよ。見られちゃったなら感想くらい聞きたいじゃない。今後の参考に、ね?」
いったい俺はなにを聞かれているのだろうか。何度も見たことがあるはずなのに、なんで今、しかもこんな場所で。
ここは昇降口のすぐ手前。今もひっきりなしに横を人が通り過ぎていく。
そんな中にも関わらず、栞はじっと俺の答えを待っている。答えを聞くまでは動かない、そんな様子で。
「えっと……。栞らしくて、いいと思う……」
今はこれが限界だ。誰が聞いているのかもわからないのに、そんな詳細に語れるわけがない。
「そっかぁ。涼はこういうのが好みなんだぁ。ん、覚えとく。じゃあ、帰ろっ?」
「え、あ、うん」
これから靴を履き替えないといけないというのに、栞は頬をゆるゆるにしてべったりとくっついてくる。
「えへへ〜♪」
俺が余所見をしなかったからなのか、俺の好みを知れたからなのかはわからないが、栞はとても嬉しそうに笑っていた。
栞のそんな顔を見ると、俺だって嬉しくないわけがない。栞が心底笑ってくれているのなら、その理由に頓着しないのが俺である。
さすがに非常識なことに笑うようになったらドン引きして注意するつもりではあるけれど、そこは良識を持ち合わせている栞なら心配するだけ無駄なことだ。
そうしてその後はいつも通りに談笑しつつ帰り道を往くことになり、さっきの先輩のことは記憶の片隅へと追いやられていくのだった。
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