第189話 望むところ

「それじゃ、準備しよっか?」


「って言っても、あとは服脱ぐだけだけどね」


 タオルはすでに用意済みだ。露天風呂には洗い場はないようなのでシャンプーやらボディソープやらは持ってきていない。そういうのは露天風呂とは別にシャワールームが設けられていて、そっちの方でするようになっているらしい。


「ダメだよ、涼。その前にやらなきゃいけない大事なことがあるんだから」


「大事なことって?」


 本気でわからなくて尋ねると、栞は呆れた顔をする。


「もう……。背中の絆創膏、剥がれたりしてないか確認しなきゃでしょー?」


「あー……。でも、昨日も風呂入ったけど全然平気だったよ?」


 昨日の今日だけど、完全に痛みがなくなって怪我のことなんてすっかり忘れていた。栞が朝からずっと可愛いかったせいでもある。


「ダーメっ! 昨日は昨日なのっ。ちゃんと私の目で見るまではお風呂には入らせません!」


「う、うん。わかったよ」


「いい子だね、涼。じゃあとりあえず上脱いでこっちに見せてね」


 まぁ、見てくれると言うなら見てもらうとしよう。俺だってせっかくの温泉で傷がしみるのはイヤだ。


 俺は言われた通りに、まずは上半身だけ裸になり栞に背中を向ける。栞は俺の背中にそっと触れて、絆創膏を一つ一つ指でなぞって慎重に確かめていく。


「んー……。どれも問題なさそうかな……? うんっ、大丈夫みたい」


「よかった。なら、このまま入れるね」


「うんっ! じゃあ早速……」


 そう言うと、栞は服を脱ぎ始める。俺の目の前で。そして脱ぎ捨てられたニットカーディガンがパサリと床に落ちた。


「わわっ! 栞、そんないきなり……!」


「ん〜? 涼ったら、今更こんなことで照れてるの? か〜わいっ♪」


「いや、だって……」


 開放感全開の今の栞に恥じらいを求めるのが間違っているのかもしれないけどさ。


「あっ。もしかして、涼が脱がせたかった? それならそうと言ってくれたらいいのに。しょうがないなぁ。はい、どうぞ?」


 ただでさえいきなり脱ぎ始めた栞にドキドキしてるっていうのに、ニコニコしながらどこからでも脱がせろと言わんばかりに両腕を広げる栞。


「俺、そんなこと言ってないよ?!」


「あれ、そうなの? じゃあ、言い方変えよっかなぁ。お願い涼、脱がせて?」


「うぐっ……」


 ここでお願いを使うのはずるい。これはなんでもしてあげると言った俺の退路を断つ魔法の言葉。


「ねぇー、早くぅ」


 更に甘え声まで使ってくる。こうやっていつだって俺は栞の手の平の上で転がされてしまうんだ。


「……わ、わかったよ。でも、せめて後ろ向いてもらってもいい?」


「いーやっ♪」


「……って言うと思った」


 と、こんな感じで真正面から栞の服を脱がせることに。


 栞は本当に夕飯後まで我慢するつもり、あるのかしら……?


 最初に靴下、それからワンピースを脱がせて、残すは下着のみとなったところで、栞は俺の手を掴んで止めた。


「……? どうしたの?」


「私だけ脱がされるんじゃ平等じゃないでしょ? だから、涼のは私が脱がしてあげるねっ」


「俺は自分で脱げるけど?! ていうか、平等もなにも、そもそも栞が脱がせてって……」


「いいからいいから」


 もうその時には栞は俺のベルトに手をかけて躊躇もなく外していた。


「ちょっとまっ──」


「待たないもーんっ。えいっ!」


 そのまま俺のズボンは栞によって下ろされてしまった。パンツも一緒に、そりゃもうスポーンって感じで。


「おーっ♪」


 『おーっ♪』じゃないのよっ?!


 栞が俺のある一部を注視してそんなことを言うから、俺はもうどうにかなりそうだった。


 だってこんなの自分じゃどうしようもないじゃん。栞の服を脱がせてるっていうこの状況でなにも反応しないほうがおかしいでしょ。


「しーおーりー……?」


 軽く睨んでみても栞はどこ吹く風で、


「えへへ、今度は涼の番だよ? 私、これじゃお風呂入れないなぁ?」


「あぁもうっ、わかったって……」


 これ以上こんなことをしていたら本当に理性さんが職務放棄して帰ってしまう。せめて夕飯が終わるまでは働いていってもらわないと困る。


 気を引き締めて、まずはブラのホックを外して、


「んっ……」


 拘束から解放されて艶めかしい声を上げる栞を無視して腕から引き抜く。もちろんなるべく見ないようにして。


「次は、こっちもね……?」


 栞はショーツのゴムに手をかけて、パチンと音を鳴らす。本気で全部俺に脱がさせる気らしい。


「わかってるから……」


 ショーツもまた視線をそらしながら脚から引き抜いて、ついに俺達はそろって生まれたままの姿になった。


「へへ、涼に脱がされちゃったぁ」


 なんでそこでそんなに嬉しそうな顔をするのかね?

 俺はもういっぱいいっぱいだよ?


 栞が余裕そうでちょっぴり悔しい。


「まったくもう……。ほら、さっさと風呂入るよ」


「あっ、待って。髪、濡れないように纏めちゃうから」


 栞は器用に長い髪をクルクルっとして、あっという間にお団子にしてしまう。これはこれで似合っていて可愛いのだけれど、できれば脱ぐ前にしてほしかった。


 ほら、もう全裸なわけでさ……。


 そんな状態で腕を上げて髪をいじれば必然的に前面にある柔らかいのがふるふるしちゃって、とっても目に毒だ。せっかくさっきまで頑張って見ないようにしてたのに、思わずしっかり見ちゃったじゃないか。


「……できたなら行くよ?」


 俺はもう挙動不審になるのを必死で抑えて、そう言うしかなかった。


「はーいっ」


 さすがに裸のままでグダグダしていたら身体が冷えてしまう。手近にあったタオルを腰に巻いて、栞の手を引く。栞はというと、その後も当然のような顔をして一切隠しもしない。


 俺の奥様(未来の)はとても大胆であらせられる。


 最近の栞は俺に見せつけて、動揺している姿を楽しんでいるフシがある。そして俺はその術中にまんまとハマってしまうのだ。


 カラリとガラスの引き戸を開けると山間部の夕方の風が身体を撫でる。


「うわっ、ちょっと冷えるね……」


「だね。早くお湯に浸からなきゃ」


 俺達はお互いに掛け湯をし合って、急いで湯船に身を沈める。


 ややぬるめではあるけれど、肩まで浸かるとじんわりと身体の芯まで温度が伝わっていく。お湯はわずかにとろみがあり、肌に触れるとぬるぬるというかスベスベとした感触がある。


「あ"〜……」「ほわぁ〜……」


 その心地良さに、二人して気の抜けた声を漏らしていた。


「なんか涼、おじいちゃんみたいだよ?」


 俺の上げた声に栞がクスクスと笑う。


「しょうがないじゃん、気持ちいいんだから」


「気持ちいいのは同感。なんか溶けてお湯と一緒に流れていっちゃいそうだもんねぇ……」


「それは困るなぁ。栞が流れていかないようにしっかり掴まえとかなきゃ」


 そんなことしなくても流れていったりはしないのだけど、ひとまずはしっかりと手を繋ぐ。


「私も涼に掴まっとく〜」


 俺の隣に身を沈めている栞がいつもの調子で腕に抱きついてきて、二つのふわふわにダイレクトに挟まれた腕が幸せな状態に。しかもお湯が無色透明だから、その薄ピンクの先端までしっかりと見えてしまって。


「栞、当たってるけど……」


「んふっ、ここは当ててるのよって言うのが正解なんだっけ?」


 いったいどこでこんな知識を付けてくるのか。


 ……前にもこんなこと言ってたことあったっけ? あれはいつだったか……。


 まぁ、今はそれはいい。俺もそろそろ限界だ。釘を刺しておく必要がある。じゃないと夕飯の後って約束なのに、その前に栞を食べてしまいかねない。


 そうなれば、夕飯が運ばれてきた時にえらいことになる。このままだとお互いにちょっとやそっとじゃ収まらないだろうから、それだけは避けたい。栞が言った、時間を気にしなくていいというのは恐らくそういうことなのだ。


「ねぇ、栞。あんまり煽ると、どうなっても知らないよ?」


「そんなの望むところだよ?」


 うん、わかってはいたけど、これくらいじゃ栞には効果がないよね。


 ならさ、たまには思い知ってもらわないといけないよね? 

 俺だけドギマギさせられてちゃずるいもんね?


 俺はいつも栞にされるように耳元に口を寄せて囁く。くすぐるように、少しだけ声のトーンを落とす。


「じゃあ、夕飯の後、覚悟しておいてね?」


 俺だって男だ。そりゃ遥なんかに比べたらなよっちろいかもしれないけどさ、やられっぱなしで黙ってなんていられない。


「ひゃうっ……。えっ、覚悟……? そんなのとっくに……」


 思惑通りに栞は身体をピクリと震わせてくれる。


「できてるんだ? ならよかったよ。いっぱいいじめてあげるからさ、楽しみにしててね?」


 煽られて我慢させられた分、たっぷりと可愛がってあげるつもりだ。


「はぅっ……。ど、どうしたの、涼? 今までそんなこと……」


「俺だってたまには、ね?」


「ちょ、ちょっと、涼……?」


 栞の声が震えて、俺は効果を実感した。とはいえ、別に乱暴にするつもりはないんだ。怖がらせるのは本望じゃないしさ。


「大丈夫、心配しなくても優しくするよ。栞は全部俺に任せてくれたらいいからね」


「あうぅ……」


 栞は顔を真っ赤にして、口までお湯に浸かってぶくぶくし始めた。


 そんな栞の姿を見て、俺は心の中でニヤリと笑う。


 栞が悪いんだからね?


「いいもん、どうせ涼に昨日のお礼するつもりだったし、少しくらいなら……」


 お湯から顔を上げた栞はちょっぴり唇を尖らせていた。まだ余裕があると見える。


「少しで、済めばいいね? あーむっ」


「……ひゃんっ」


 最後のトドメに耳を甘噛みしてやった。


 これで少しは懲りてくれると──


「あん、もうっ、わかったよぉ。涼がその気なら私も遠慮しないからねっ?」


 ──いいんだけど……って、あれ?


「えっと、栞、さん……?」


「なぁに?」


「ちょっとは動揺してくれたんじゃ?」


 栞に思い知らせてやったという気持ちが急激に萎んでいく。


「動揺? してないけど? 私、望むところって言ったでしょ?」


 ……あっれー?


「涼がいきなり耳元であんなこと言うからびっくりしたけどね。でも、涼がその気になってくれて嬉しいよ? なんかねぇ、いつもの涼と違ってゾクゾクしちゃったぁ」


 もじりと身体をくねらせながら、更に引っ付いてくる栞に俺は混乱しっぱなしだ。


 もしかして赤くなってたのも、ただ耳が弱いからってだけだったり、する……?


「んん〜……?」


「だからぁ、涼も覚悟、しておいてねっ? ご飯の後、楽しみにしてるからねっ♪」


「えっと……、はい……」


 やっぱり俺は栞のことを嘗めてたのかなぁ……? 今のも火に油を注ぐ結果に終わったみたいだし。


 どこまでいっても栞は栞で、到底俺が敵う相手じゃなかったということなのかもしれない。


 あー……。夕陽が綺麗だなぁ……。


 そんなことを考えて現実逃避をすることしか──


「りょーうっ?」


「うん?」


 視界いっぱいに栞の顔が迫る。


「ちゅーっ♡」


「んんっ……?!」


 いつの間にか栞に正面から抱きつかれていて、唇を塞がれた。どうやら俺は現実逃避すらさせてもらえないらしい。


 理性さん、ごめんなさい。もうしばらくは過酷ですが、持ち堪えてください。夜になったらゆっくり休んでもらって構わないので。


 俺は観念して、栞を抱きしめ返すことに。そこから、あまり当てにならない俺の体感で一時間近く、栞の猛攻をひたすら耐えることになった。


 突然栞が立ち上がり、


「あぁっ!! お母さんに連絡するの忘れてたぁっ!!」


 そんな叫び声をあげるまで。

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