第188話 一つ目の誕生日プレゼント

「りょ〜うっ♪」


 二人きりになった途端、栞の纏う空気が変わった。この顔はすでによく知っている、甘えん坊モードのものだ。


「うん。おいで、栞」


「えへ〜。はーいっ」


 栞は肩から下げていたポーチをポーイっと放り投げて抱きついてくる。そこから俺の胸に頬擦りしてくるところまでが甘えん坊モードの時のワンセット。


「お部屋が想像以上に素敵で、私びっくりしちゃったよぉ。ありがとっ、涼。連れてきてくれて」


「うん。でも、ここを選んでくれたのは聡さんと文乃さんだよ?」


「そんなことはわかってるけど、いいのーっ。涼が旅行に行きたいって言い出してくれなかったら、そもそも来れなかったんだもん。だから、ありがとでいいんだよ。大好き、涼っ」


「まぁ、そういうことにしとこうかな」


 手柄独り占めみたいで気が引けるけれど、栞の言うことも間違ってはいない。俺が真剣にお願いしたから、二人だけの旅行も許可してもらえたのだと思うから。


「はぁ……。幸せだぁ……」


「まだ着いたばっかりでなにもしてないよ?」


 これだけで幸せなんて言ってたら、この先が思いやられるよ。栞にはまだまだここからもっと幸せを感じてもらわないといけないんだから。


「それもそうだね。じゃあまずはー。ねぇ、涼。ちょっとこっち来て?」


「ん?」


 栞に手を引かれて連れて行かれたのは寝室。二つあるベッドの片方の淵で栞は俺の胸をトンッと押す。完全に油断していた俺はそれだけでベッドに倒れ込んでしまった。


「うわっ、と……。ちょっと、栞?!」


「えへへ。私もーっ、えーいっ!」


 可愛らしい掛け声とともに俺の隣にダイブしてくる栞。


「栞っ?! 危なっ──」


「ふあぁ……。お布団もふっかふかだぁ」


 俺の注意なんて聞いちゃいない。まぁでも、楽しそうだからいいか。栞は布団に沈み込んでご満悦な表情をしていた。


 ただ、そこからゴロゴロと転がるものだからどんどん布団が乱れていく。


「いきなりベッドくちゃくちゃになっちゃうよ?」


「二つもあるんだからいいでしょ? どうせ一緒に寝るんだし、その時はあっちを使えば。あっ、そうだ。ならこっちは──」


 俺以外に誰もいないというのに、栞は声をひそめて言うんだ。


「くちゃくちゃになってもいいこと、するのに使おっか?」


「っ……!!」


 あぁもうっ、いきなりそういうこと言うんだから。


「栞? そんなこと言うと、俺止まれなくなるよ?」


 もちろん期待はしてきたけれど、さすがに着いて早々にというのは、ねぇ?


「んふふっ、私は別にそれでもいいけどね。でも、そうだねぇ。えっちはぁ、晩ご飯食べてからゆっくりすることにしよっか? その方が時間も気にしなくていいもんね」


「いや、さっき濁した意味?!」


「だってー、するでしょ?」


「そりゃ、うん。する」


 もしここまできてお預けなんてされたら……、俺壊れちゃうかも。一昨日もしたんだけどさ、俺の栞への愛情を舐めてもらっては困る。


 ここで断じて言っておくが、これは性欲とは違う。栞のことが大好きで、愛おしくて仕方がないからしたくなるんだ。


 それを性欲というんだと言われてしまったらそれまでである。


「えへへ。じゃあそれは後のお楽しみってことにして、とりあえず1ポイント、使っとく?」


「あれ? 1無量大数ポイントじゃないの? 全部のポイントを無量大数倍って言ってなかった?」


「消費分はそのままなのーっ! 増えるのはバックの分だけなんだからーっ! って、もうっ。そんなこといいから早くっ。ねぇ……?」


 確かにどうでもいいことかもしれない。どうせお互いにポイントは無限大に発散しているのだ。更にその先でどうなるのかは俺もまだ知らない。きっとそれを知るのはもっと未来のことになるだろう。


「そんなに焦らないの。ほら、栞」


 そっと頬を撫でる。


「んっ……。だって、ずっと我慢してたんだもん……」


 そりゃ俺だって我慢してたさ。だからっていきなりがっついたらぶち壊しじゃない? せっかくなんだから雰囲気も大事にしたいし、少しずつ蕩けていく栞も楽しみたい。


「ちゃんとしてあげるから。ね、こっち見て?」


「うん……」


 潤んだ栞の瞳が真っ直ぐ俺を見つめてきて。そこでようやく、


 ──ちゅっ


 まずは軽くから。そっと触れるだけのキスをする。


「んっ。……やぁ、そんなんじゃ足りないよぉ。もっとぉ、もっとしてっ」


「栞は欲張りだなぁ。俺がこれで終わりにするはずないのに。でも、そういうところも可愛くて好きだよ」


「あぅ……。涼のばかぁ……」


 本当、可愛いなぁ。


 さっきのあれ、言うなら今、かな……?


「ねぇ、栞?」


「……なぁに?」


「今日と明日はさ、たくさん我儘言ってよ。栞のしたいこと、してほしいこと、なんでもしてあげるから」


「なん、でも……?」


「うん、なーんでも。明日誕生日の栞に、俺から一つ目のプレゼントだよ」


 俺がそう言うと、栞は一度視線を逸らして考えるようにして、それからまた戻ってきた。その顔はさっきよりも少しだけ赤くなっているかもしれない。


「……本当に、なんでもいいんだね? 言質、取ったからね? あとでダメっていうのは、ナシだよ?」


「う、うん。そんなに念を押さなくても……。でもそこまでして、してほしいことあるの?」


「えっと、うん……。あるんだけど、それはまた後で言うね。今は……、もっとキス、してほしい」


「ん、わかった」


 ベッドに横になったままで栞を抱き寄せて、再び唇を重ねて。啄んでみたり、唇に吸い付いてみたり。


「んっ、栞、好きだよ」


 もちろん合間に愛を囁くのも忘れずに。


「うんっ、ちゅっ。私も、好きっ。んっ、好きっ、大好きっ。ふぁ……」


 しばらくはお互いに夢中でキスをして、栞はどんどんふにゃふにゃになっていく。


 そして、15分か30分かはたまた1時間か、どれくらいの時間キスをしていたのかわからなくなってきた頃、


「はふ……。涼とキス、溶けちゃいそう……」


 栞がうっとりと吐息を漏らした。


 うん、もうだいぶ溶けてるね。


「満足してくれた?」


「んー……。たぶんだけどね、完全に満足することはないんじゃないかなぁって思うよ? だってね、キスするたびに涼がもっと好きになって、もっともっとしてほしくなるんだもん」


「そりゃ大変だ。って、俺も似たようなものかも」


 そう考えると壊れていると思っていた栞ポイントのシステムも、あながちおかしくないのかな。あれは愛情であると同時に欲求でもあるのだ。


「へへ、一緒だぁ。それからね──」


「ん?」


「えっちもねぇ、キスと同じなんだよ?」


「……それは、本当に大変だぁ」


 主に俺の体力的な意味で。キスと違って、そっちは無限にできるほど俺は人間やめていたりしないわけで。


 底なしになりつつある栞に少々不安になる。俺がへばった後に物足りなさそうな顔をされたら……。


 つい想像してしまう。


『えっ……。涼、もう終わりなの……?』


 なんて言われ、た、ら……。


 うわぁ……。凹むぞ、それ。


 まぁ、栞のことだからないな。なんだかんだでいつも最後は嬉しそうな顔をしてくれるんだ。


「別に涼に無理をさせるつもりはないよ? でもー、今夜は寝落ちしちゃった一昨日のリベンジってことで、朝まで頑張ってみる?」


「十分無理してる気がするよっ?!」


 朝までって、いったい何回することになるのかな……?

 俺、干からびちゃうよ……?


 当初の疲れを癒すという目的はすでにどこかへ行ってしまったらしい。


 そもそも、今回は栞が用意すると言っていたアレはそんなに在庫があるのだろうか。確認したいけど……、やっぱり怖いからやめておこうかな。


「ふふっ、冗談だよー」


 栞が笑って、俺も安心したのに。


「半分くらいは、ね?」


「お、おぉ……?!」


 この言葉でまた戦々恐々としてしまうのだった。とりあえず頑張れるところまでは頑張ろうと思う。なんでもするって言ってしまったばかりだしね。


「さーてっ! 次のしたいこと聞いてもらっちゃおっかなぁ」


 そう言うと、栞はぴょこんと起き上がる。


「うん、なんでも言ってよ」


「なら、一緒にお風呂、入ってくれる?」


「もちろん」


「やったぁ! あがったらさっきの浴衣も着るね?」


「おー! そっちも楽しみだよ」


 さっそくメインイベントということか。せっかく温泉に来てるのだから当然入らないという手はない。部屋に立派な露天風呂がついてることだし。


 余裕はなくなるかもしれないけど、それはそれだ。

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