第184話 栞ポイント
「いい、栞? 浮かれて羽目を外しすぎないようにね。まず宿についたら忘れずに連絡すること。明日の朝と、帰りに向こうを出る前にも必ずね。それから絶対に涼君とは離れちゃダメよ。あとは──」
「お、お母さん、それ昨日も聞いたよぉ……。もうこのくらいでいいでしょ?」
駅へと到着したところで文乃さんから栞へ注意事項が矢継早に伝えられる。
これはすでに二度目のようで栞はうんざり、というよりは早く行きたくて仕方がないようだ。その証拠に、栞の手は車のドアのハンドルにかけられている。
「大事なことなんだからちゃんと聞きなさい」
「だって、そろそろ行かないと電車乗り遅れちゃう!」
そんなに慌てなくても時間には余裕を持たせているので電車に遅れたりはしない。俺としても早く栞と二人になりたいとは思うけれど、文乃さんの気持ちもわからなくはないのでひとまずは黙って聞いている。
初めての子供だけの旅行、しかも泊りがけ。そんなの親ならば心配になって当たり前のことだと思う。まぁ、うちの母さんは結構楽観的なので口うるさく言われなかったが。
『あんただけじゃ不安だけど、栞ちゃんが一緒なら大丈夫でしょ』
このたった一言だけで終わった。相変わらず母さんの栞への信頼はとても厚い。そして、俺への信頼度が相変わらずなのが地味に辛い。
「まったく栞は……。涼君、悪いけど栞のことお願いね?」
「はい。命に変えても栞は無事にお返しますから」
我ながら大袈裟だとは思うけれど、俺達だけでの旅行を許可してくれたのだからこれくらいの覚悟は当然──
「それじゃダメよ。栞だけ無事でもね、涼君になにかあったらこの子おかしくなっちゃうわよ」
「そうだよ、涼。私を一人にしたら許さないからね?」
栞の目がジトッと俺を見つめる。
「いや、そんな気は全くないけど……。ただ、それくらいのつもりって話だからね?」
「ダーメっ! そんなこと言って、何かあったら涼は絶対に無茶するんだから」
「それは、まぁ……」
そこに関しては俺も否定できない。現に昨日はそれで背中に小傷をたくさん作ってしまったわけだし。
「だからね、涼のことは私がちゃーんと見ててあげる」
「う、うん。じゃあ、それでお願いするよ……」
なんだかんだで俺達はお互いに過保護がすぎるのだ。
「そうそう滅多なことは起きないと思うけど、困った事があったらすぐ連絡しなさいね」
「はい」
「はぁい」
素直に返事をすれば文乃さんからのお話は終わりのようだ。
「よろしい。それじゃ、気を付けて行ってらっしゃい。楽しんでくるのよ」
「うんっ!」
「文乃さん、送ってもらってありがとうございました」
俺達が車を降りた後、文乃さんは姿が見えなくなるまで立ち去らずに見送ってくれていた。
「さーて、いよいよだねっ!」
ホームにつくなり、栞は俺の左腕にしがみついてくる。いつも以上に可愛い栞に、俺のドキドキもいつも以上になってしまう。
「って言っても、しばらくは電車移動なんだけどね」
「いいのっ! 移動時間だって旅行の一部だもん。違うかな?」
「それもそっか」
「でしょ? だからね涼、今からきっちり楽しむよっ?」
「りょーかいっ!」
俺も上がりに上がっている栞のテンションにしっかりと合わせていく。そうすれば、相乗効果でより楽しめるはずだから。
それから時間通りに到着した電車に乗り込んだ。通勤通学時間を避けたおかげか、車内はガラガラで席は選び放題。おまけに俺達が乗った車両はクロスシート(進行方向を向いて座る二人掛けのタイプ)で、二人でゆったり座るにはもってこいだった。
「栞、荷物もらうよ。網棚に置いとくから」
ここから乗り換えのターミナル駅までは少し時間がかかるので、ずっと膝の上に荷物を抱えていたら俺はともかく栞が疲れてしまう。
「うん。ありがと、涼」
「ううん、これくらいはね」
二人分の荷物を網棚に置いて、身軽になった俺は栞の隣に腰を下ろした。
「えへへ。私ね、涼のそういうところ好きだよ」
「ん? 荷物のこと?」
「それだけじゃなくって、いつもさりげなく気を遣ってくれるところ、かな?」
「だって邪魔になるじゃん」
「そうかもしれないけど、私はそう思うのっ。だからね、そんな涼には栞ポイントを1ポイント進呈します!」
「──……ぷっ。なに、それ?」
思わず吹き出してしまった。いきなり栞の名前を冠した不思議なポイント制が始まったのだから、笑うなというのが無理な話だ。
「んふふー。なんでしょー?」
「いや、いいんだけどね? で、そのポイントはなにかに使えるの?」
ポイントがつくということはその使用先があるということで。
「んー? もちろん使えるよっ。1ポイントでキス一回、ってのはどう?」
「安くない?!」
明らかに今思いついた感じの設定なのだが、それにしても安い。栞とのキスはもっと価値があるはずなのに。
「安くないもーん。ちなみにキス一回で2ポイントバックだよ」
「増えてるし! 使えてないじゃん!」
「ちゃんと使ってるもんっ。使ったうえで増えてるだけだもん。それからね──」
栞は俺の耳元に口を寄せると、密やかに甘い声で囁いた。
「えっちはぁ、一回10ポイント……、だよ?♡」
「いや、安いでしょ! 安すぎるよ!」
キス十回分のポイントバックで一回なんて、栞は大安売りでも始めたのだろうか。
「安くないもーん。それにどのみち涼しか使えないんだから、たとえ安くてもいいんだもん。ついでに言うとね、こっちは20ポイントバックです」
「だから増えてるよ?! さっきから使った分の倍がバックされてるじゃん! 使うたびに増えてたらポイント制破綻しちゃうから! どこまでもポイント増え続けちゃうから!」
もう意味がわからない。栞ポイントのシステム、壊れすぎでしょ。
「それでいいんだよ。だって──」
栞はさらに俺に身を寄せて、肩にスリスリと頬擦りをして、
「このポイントはねぇ、私が涼のことを大好きって、愛してるって思う気持ちなんだもん。増えることはあっても、絶対に減ることなんてありえないんだよ。それにね、もうすでに数え切れないほど溜まってるんだから」
「栞……!」
いやいや、どうしたの今日の栞は!
いきなり飛ばし過ぎなんじゃないの?!
でも、こんなこと言われちゃったらもう。
「じゃあ、これからももっともっと栞ポイント稼いでいかなきゃね」
そしたら、今以上に俺のことを好きだって思ってくれるってことでしょ?
「うんっ、たくさん稼いでね。私も涼ポイントたっくさん稼ぐから」
「あっ、そっちもポイント制なのね……?」
「もちろんっ!」
いつの間にか、俺の方までポイント制が導入されていたらしい。でも、ここまできたら栞に全力で乗っかってあげるしかない。
「じゃあさ、栞が笑ってくれたら50ポイント進呈ってことでどう?」
「多いよっ?!」
「栞の笑顔にはそれくらいの価値があるんだから全然多くないよ? もう少し増やしてもいいくらいだし。ちなみにこれ、一秒あたりだから」
ポイント設定が済んだ瞬間から、ポイントカウンターは爆速で回りだす。
「やっぱり多いよっ! 笑うだけで稼げちゃったら大変だよぉ!」
驚いた顔も可愛いから、内緒でさらにポイントを追加しておいてあげよう。毎秒30ポイントくらいでいいかな。やっぱり笑顔には敵わないからね。
「いいじゃん、別に。俺は栞にチョロ甘なんだからさ」
「もー、甘すぎっ! それに涼ばっかりそんなにたくさんでずるいよっ! こうなったら私のポイント、全部百倍にするっ! 私だって涼に甘々なんだからぁ!」
「おっと、そうきたか。なら俺も千倍にしようかな。栞への甘さでなら負けるわけにはいかないよ」
「むー! 涼がそんなこと言うなら一万倍にするもんっ!」
「栞は負けず嫌いだなぁ。じゃあ十万倍でどうだ!」
そこからどんどんと倍率は増え続け、栞が無量大数倍を宣言したところでこのアホらしくて無益な争いは幕を下ろすことになった。
俺がその先を知らなかったから。
「くっ、ここまでか……。栞の、勝ちだよ……」
わざとらしく悔しがってみせた俺に、栞はニンマリと満足そうに微笑んだ。
「ふふっ。なかなかやるね、涼。ここまでついてくるとは思わなかったよ」
「栞もね。昔なんとなくで覚えた知識が、まさかこんなところで役に立つとは思わなかったよ。負けたけどさ」
ちなみに無量大数に至るまではこんな感じ。
一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、𥝱、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数。
全て漢字で書けるまでになった中学時代の俺、暇すぎる。それを言うと栞も同類になってしまうんだけど。
というか、俺達は電車の中でいったい何をやっているのだろうね?
幸い近くに人はいないみたいだからいいけれど、もし誰かに聞かれていたらまたバカップルと言われてしまいそうだ。
「ねぇ、涼?」
俺が周りを見渡してホッとしていると、栞がクイッと腕を引いた。
「ん? なに?」
「えへへ、大好きっ」
本当、栞はずるい。ついさっきまでムキになって張り合ってきてたっていうのにさ。
だから、俺もずるいことをする。
大丈夫、周りに誰もいないのは確認済みだ。
「栞」
「なぁに? ──んっ」
栞が真っ直ぐ俺を見た瞬間を狙って唇を奪う。栞もまさか電車の中で俺がこんなことをするとは思ってもみなかっただろう。
「んん……。もうっ。いきなりどうしたの……?」
うっとりとしつつも目をパチクリさせる栞に言ってやるんだ。
「俺の気持ち。行動で示してみた」
ってね。ついでにこれで2無量大数栞ポイントもゲットだ。
と、こんなことをしている間に俺達は乗り換えの駅に到着していた。
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