第99話 幼馴染の勘

 放課後になっても俺は教室に残っていた。他のクラスメイトはもう誰もいない。皆下校したり部活へ行ったりしてしまった。


 そして俺は一人スマホの画面を眺めている。


 授業やら帰りのSHRやらが終わった後で俺は栞にメッセージを送ったんだ。


(涼)『学校終わったよ。具合、少しは良くなった?』


 送ってからしばらく時間が経つけれど、返信はおろか既読もつかない。


 やっぱり寝てるのかな……。


 お見舞いに行きたいところなのだが、朝にはダメと言われているし、できれば栞の許可をもらってからにしたい。


 電車で降りる駅のこともあるので、こうして待っているしだいだ。もちろん一度帰ってから向かうということもできるのだけど。


 最近仲良くなりつつある友人達からは去り際に、


「大事な彼女だろ。見舞いくらい行ってやれよ?」


「こういう時って心細くなっちゃうもんねー! しおりん、高原君の顔見た途端に良くなったりして!」


「お見舞い行くなら、早く元気になってねって伝えてね。私も栞ちゃんのこと心配だから」


「それに黒羽さんいないとなんか高原まで元気ないしなー」


 と言われている。


 橘さんからは言伝まで預かっているので、できれば直接伝えたい。


 というのは言い訳で、ただ単に俺が栞に会いたいだけなんだ。栞が弱っているのなら、隣で声をかけてあげたい。そして、少しでもいいから笑った顔が見たかった。


 それから一時間が経ち、さすがに俺も教室を出ることに。しびれを切らしたというか、もういっそ行ってしまえという気持ちで。この時は完全に勢い任せだった。


 電車に飛び乗って、いつも降りる駅を一つ飛ばして栞の家の最寄駅で降りる。


 ここから栞の家までは歩いて5分程、と思ったらまた不安になってきた。教室を出る時の勢いも、電車に揺られているうちに揺らいでしまった。


 学校を休むほどなのに、俺が会いに行ったら無理させてしまうんじゃないかとか、ダメと言われたのにノコノコと会いに行ったら鬱陶しがられるんじゃないかとか。


 栞には嫌われたくないし、言われた通りにするのが正解なような気もする。でも、ここまで来たのにこのままスゴスゴと帰っていいものか。


 進むべきか退くべきか、心の中の天秤がグラグラと定まらなくて動くに動けない。駅の柱に背を預けて、栞からの返信が来ないかなんて思いながらスマホをじっと見つめたりして。


 そんな時だった。


「あれ? 高原さん、ですよね……?」


 不意に俺に声をかける人物が現れた。


 声のした方向を向けば見覚えのある顔、それは美紀さんだった。制服姿なのと時間を考えれば、彼女も帰宅途中なのだろう。


「やっぱり高原さんだ」


 美紀さんは俺の顔を見て確信したのか近付いてくる。


「えっと、お久しぶり、ですかね?」


 最後に彼女に会ったのはちょうど一月ほど前、栞との話し合いの場だ。


「ですね。でもよかったぁ。ちょっと雰囲気が変わってたんで一瞬違うかと思っちゃいましたよ。あの時はありがとうございました」


「いえ、俺はただ立ち会っただけですから」


「そんなことないですよ。たぶん、高原さんがいてくれたから栞は──って、今日は栞は一緒じゃないんですか? 高原さんがいるなら栞もいるかと思ったのに……」


 露骨に残念そうな顔をする美紀さん。でも、それも当然のことだと思う。


 栞と美紀さんは次に偶然出会うことがあったら、もう一度友達としてやり直そうという約束をしているのだから。


「あの……。もしかして俺と栞がいつも一緒だと思ってます……?」


 ほとんど一緒なのは間違いないんだけどさ。それでもいつもというわけじゃない。


「違うんですか? 栞のあの様子だと結構べったり……。あっ、もしかしてもう付き合ってたりします? そこのところどうなんですかっ?」


 美紀さんは意外とフランクというか、突っ込んだことを聞く。それに興味津々でグイグイ迫ってきて。


 栞の幼馴染だからなのか、それともこれは女の子の習性なのだろうか。やたらと目を輝かせているし、顔が近い。


「え、えぇ、まぁ。あの日の直後くらいから、ですかね……?」


 つい勢いに負けて答えてしまったじゃないか。


 栞以外にそれ以上近付かれたくなかった、というのもある。


「本当ですか?! そっかぁ……。栞にも彼氏ができたんだぁ……。いいなぁ……」


 そうしみじみと言われると照れくさくて、話題を変えることに。


「あっ、そうそう。その栞なんですけど、今日は体調崩して学校休んだんですよ」


 ただの世間話、聞かれたことに対する回答、それだけのつもりで言ったのだけど、美紀さんの表情が固まった。


「栞が、体調を……?」


「そうなんですよ。ここのところずっと調子が悪そうで」


 俺がそう言うと、美紀さんは険しい顔をして考え込んでしまった。ここで話を切り上げて立ち去るのも気が引けて待っていると、


「あの……、高原さん。今すぐ栞のところへ行ってあげてください!」


 突然顔を上げた美紀さんが叫ぶように言う。


「えっ……? 今すぐ、ですか?」


「はい。これは栞の幼馴染としての勘なので間違ってるかもしれませんが……。もしかすると栞は何か悩んでいるのかもしれません」


「は? 栞が、悩む……? なにに……?」


 言われている意味がよくわからない。だって、栞は美紀さんとの話し合いの後、ほとんどの悩みから解放されたはずで。


 それ以外で栞が悩むようなことに心当たりがなかった。


「私が知っている限り、の話なんですけど……、栞は過去三回学校を休んだことがあります」


「はぁ……」


 突然語り始めた美紀さんに、俺はそう返事をするしかない。


「そのうちの一回は、言わなくてもわかると思いますが、私との一件の時です」


 これは栞からも聞いたことがある。三日間休んだと言っていた。


「それから、小学生の時に私と大喧嘩をした時。原因は忘れちゃいましたけど、初めての喧嘩だったんです。その時は私がお見舞いに行って謝って、仲直りしたらすぐに治りました」


 懐かしむように語る美紀さんだが、すぐに表情を戻した。


「それともう一回は……、中学二年の時です。栞への嫌がらせが始まった直後」


「えっ……。でも、栞は嫌がらせなんて平気だったって……」


 栞から過去の話を聞いた時は確かにそう言っていたはずだ。


「高原さんには強がってみせたんでしょうか……。そこは私にはわかりません。とにかく、その前から少し様子が変だった気がしてたので、お見舞いに行った時に問い詰めたら、ようやく話してくれましたよ」


「そうだったんですね……」


「まぁ、結局は嫌がらせがだんだんとエスカレートして、怖くなった私が栞を一番傷付けたんですけど……」


 過去の自分の行動を悔いるように、悲痛な声が美紀さんから漏れた。もうわかっていたことだが、彼女は本当に反省しているようだ。


「えっと、今はその話は置いておきませんか?」


 じゃないと先に進まない。


「あっ、ごめんなさい。そうですね。で、何が言いたいかというと、栞が体調を崩す時は決まってなにかあった時なんです」


「だから、今回もってことですか……?」


「さすがに私も絶対とは言い切れませんよ? でも、その可能性が高いんじゃないかなって……。それで、今その原因を取り除いてあげられるのは、たぶん高原さんだけです」


「俺、だけ……?」


「はい。栞が今一番信頼してるのは高原さんでしょうから。じゃなきゃあの栞が彼氏になんてしませんよ」


 確信に満ちた目で見つめられると、本当にそうなんじゃないかって思えてくる。それに、一度途切れたとは言っても、誰よりも栞の側にいた時間の長い美紀さんが言うことには説得力があった。


「……俺、行ってきます」


 どっちつかずだった天秤は完全に傾いていた。


 栞が悩んでるなんて聞かされて、このまま放っておくことなんて俺にはできない。


 栞にずっと笑っていてほしいと言ったのは俺なんだ。


 美紀さんの勘が間違っていた時は、まぁその時。普通にお見舞いをして帰るだけのことだ。


「あっ、ちょっと待って!」


 勢い込んで走り出そうとした俺の腕を美紀さんが掴んでいた。


「でも、急いで行かないと!」


 栞が苦しんでいるのなら、少しでも早く向かいたいのに。それでもなかなか離してはもらえない。


「一言だけですから! 栞は頑固なんで、なかなか話してくれないかもしれません。だから、根負けしたらダメですよ!」


「わかりましたっ」


 ようやく腕を解放された俺は駆け出した。


 栞の家への道中、文乃さんへと電話をかける。栞が寝ていて返事をくれないのなら、最初からこうしていれば良かった。


 幸いなことに、文乃さんはすぐに出てくれた。


『涼君? どうしたの?』


「あのっ、今から、栞のお見舞いに、行きます!」


 走りながらなの言葉がで途切れ途切れになってしまう。でも、俺は行きますと言い切ったんだ。なんと言われようと栞に会うつもりだ。


 それで必死さが伝わったのだろう。


『……わかったわ。本当はダメって栞から言われてるんだけどね』


 文乃さんは許可をくれた。


「ありがとう、ございます! あと、数分で、着きます、から」


『玄関の鍵は開けておくから、静かに入ってきてね。今、栞は眠ってるの』


「わかり、ました」


 電話を切って走り続けて、あっという間に栞の家に辿り着いた。玄関をそっと開けて、音を立てないように閉めて、最初にリビングに顔を出す。


「すいません、文乃さん。無理を言ってしまって」


「ううん、いいのよ。なんだかんだ言ってもね、本当はあの子も涼君に会いたいと思うから」


「そうだといいんですけど」


「きっとそうよ。ほら、早く行ってあげて。でも、起きるまでは静かにね」


「はい、わかりました」


 文乃さんにお礼を告げた俺は階段を上り栞の部屋の前に立つ。深呼吸を一つして、ドアを開けるとベッドで眠っている栞が目を入る。


 ゆっくりと近付いて、栞の顔をしっかりと見た俺はギョッとした。栞の目尻には涙が浮かび、流れ出していた。


 栞は眠りながら泣いていたんだ。うなされているようにも見える。


 美紀さんの話の信憑性が増した、というよりもほぼ確定だ。なにもないのに眠りながら涙を流すことがあるとは思えない。


 俺はたまらずに栞の手を取った。そのままそっと両手で包み込む。


 自分が情けないよ。あれだけ一緒にいたのに。栞の不調もずっと見ていたはずなのに。なんでこんなふうになる前に……。


「栞、ごめんね……。俺、全然気付かなくて……」


 栞の耳元で囁くと、ピクリと反応が返ってきて。


 そして、栞はゆっくりとその目を開いた。

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